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黄金の少女

挿絵(By みてみん)


 そこが、もはや日常の場所ではないことは、一目で分かった。


 焼け落ちた家々。崩れた石壁。街道脇に立てられた、悪趣味な漆黒の旗。

 人が暮らしていた痕跡の上に、別の秩序が無理やり塗り重ねられている。


「ここが、聖王国だった場所か」


 丘の上で足を止め、バルムドが低くつぶやく。


 眼下には、黒旗の立つ村や簡易砦が点々と見えた。ミレーネは地図を広げ、指でなぞる。


「ラングロード卿のお話だと、この辺りにレジスタンスの拠点があるはずです」


 ゴルドが荷を担ぎ直しながら言う。


「リーダーの“黄金の少女”か。南部の連中をまとめてるって話だが……」


 言いかけて、ゴルドは口を閉じた。


 視界に広がる光景が、それ以上の軽口を許さなかった。


「……冗談みてぇな状況だな」


 バルムドは何も言わず、丘を下りた。


 指定された倉庫は、ただの廃屋にしか見えなかった。

 床板を外すと、地下へ続く階段が口を開ける。


「……いかにも、ですね」


 三人が降りると、そこには粗末な地下室があった。


 手描きの地図。積まれた物資。包帯。疲れた顔の人間たち。

 戦うためというより、“耐えるため”の場所だった。


 青年が駆け寄り、頭を下げる。


「フェルドランから来てくださった、バルムド・アークヴェイン様ですね!」


「“様”はやめてくれ。ただの冒険者だ」


「ですが……本当に来ていただけるとは。リーダーもお待ちしていました」


「例の“黄金の少女”さんか」


 そのとき、奥にいた女が立ち上がった。


 煤けた外套。結んだ髪。

 どこにでもいそうな、ありふれた女性だった。


 だが――


 その“ありふれた誰か”が、この場の中心に立っている。


 それが、この状況の異常さを、何より雄弁に物語っていた。


「来てくれて、ありがとう」


 彼女は静かに頭を下げた。


「こちらが、聖王国南部レジスタンスのまとめ役――黄金の少女、メリナ・ハチミツさんです」


 聖王都から黄金の聖遺物を持ち出し、南部に反撃の火を残した少女。

 誰からともなく、人々は彼女をそう呼び始めた。


「座って。遠くから来た人を立たせたまま話すほど、余裕がないわけじゃないの」


 気取らない言葉だった。

 それだけで、少しだけ空気が緩む。


 机に広げられた地図は、軍略図ではなかった。


 村の名前、井戸、畑、パン窯、避難路。

 人がどう生きていたかが、そのまま残っている。


 バルムドが言う。


「取り戻すための地図、ってやつか」


「ええ」


 メリナはうなずいた。


「私はもともと、王都でパンを焼いていたの」


 指先が、地図の一角をなぞる。


「ここに市場があって……朝になると人が集まって、焼きたてを取り合ってた」


 ほんの一瞬だけ、目が遠くを見る。


「……そういう場所だったのよ」


 ミレーネが静かに息をつく。


 メリナはすぐに表情を戻した。


「本題に入るわ。敵は強い」


 地下室の空気が引き締まる。


「一人ひとりが、ドラゴン級……そう思ってくれていい」


 ゴルドの顔から笑みが消える。


「……おいおい、そいつは洒落にならねぇぞ」


 ミレーネも声を落とす。


「それが複数、ですか……」


 バルムドも眉をひそめた。


 だが、メリナは首を横に振る。


「本当に問題なのは、そこじゃない」


 一拍。


「剣聖リオネル様が負けるはずがないの。相手が“そこまで”なら」


 バルムドの目が細くなる。


「……その上があるってことか」


「ええ」


 メリナは言った。


「魔神よ」


 地下室の空気が凍る。


「私は王都で見た。あれは戦いじゃない。人の理の外の力だった」


 誰も言葉を挟まない。


 メリナは続ける。


「でも、あれは無条件に出てくるわけじゃない」


 地図の上に、小石を三つ並べる。


「魔神の召喚。その鍵になっているのが“聖遺物”」


 バルムドが目を細める。


「……初耳だな」


「王都の奥に安置されていた、黄金の正四面体。古い時代の聖人が遺したものと言われているわ」


 小石を指でなぞる。


「魔神の降臨には、そのうち三つが必要。三点で術式を成立させている」


 ミレーネが息を呑む。


「つまり……」


「一つでも欠ければ、呼べない」


 メリナは静かに言い切った。


「だから、戦後の混乱に乗じて、残っていた聖遺物は全部、国外に持ち出して封印したわ」


 ゴルドが目を見開く。


「全部、かよ……」


「ええ」


 メリナはうなずく。


「ラングロード卿の手も借りた。今、奴らの手の届く場所に聖遺物はない」


 バルムドが息を吐く。


「……なるほどな」


 一拍。


「つまり今なら、“魔神抜き”でやり合えるってわけだ」


 ゴルドが肩を鳴らす。


「簡単に言うなよ。ドラゴン級の“生身”が相手だぞ」


「それでも……やるしかないですよね」


 ミレーネが言う。


 バルムドは腕を組んだ。


「で、それがあんたらの見立てか。俺たちなら止められるって?」


「ええ」


 メリナは迷いなく答える。


「このまま南部が落ちれば、聖王国は“帰る場所”を失う。それだけじゃない。暴力は外に広がる」


 一拍。


「だからお願い。まずはウンゾニック・バトラーを倒して。南部の人たちが戻れる場所を取り返してほしい」


 その言葉は、静かに、だが重く落ちた。


 バルムドの視界の端で、淡い光が揺れる。


【最適未来指標(アセスメント・ライン)】

『選択肢A:撤退→生存率100%【推奨】』

『選択肢B:討伐へ向かう→生存率58%』


(……またかよ)


 バルムドは、わずかに息を吐いた。


 地図の上の井戸。畑。パン窯。

 “帰る場所”。


 それを見て、引く選択は――


「決まってる」


 小さくつぶやく。


「ミレーネ、ゴルド。行くぞ」


「はい!」


「おう!」


 三人の声が重なる。


 そのときだった。


 メリナの視線が、バルムドに留まる。


 前に出ると決めた人間の立ち方。

 危険を理解した上で、それでも踏み込む重心。


「……あなた」


 ぽつりと漏れる。


「危ない方を選ぶ人ね」


「褒めてるのか?」


「いいえ。心配してるの」


 メリナは胸元から鎖を引き出した。


 小さなペンダントが揺れる。


 少しの間、それを見つめてから差し出した。


「これ、持っていって」


「お守りか?」


「そんなところ」


 一拍。


「でも……ただの気休めじゃないわ」


 静かに続ける。


「あなたを見てたら、これを託してもいいと思ったの」


 ミレーネもゴルドも、何も言わない。


「自分のためじゃなくて、誰かのために踏み込める人に」


 バルムドは少しだけ困った顔をした。


「買いかぶりすぎだ」


「かもしれない。でも、たぶん間違ってない」


 揺らがない声だった。


「持っていて。返すかどうかは、帰ってきてからでいい」


 バルムドは受け取る。


「……借りるぞ」


「ええ」


 一拍。


「次の勝ちを、持ち帰って」


「行くぞ」


 三人は地下室を後にする。


 その背を見送りながら、メリナは静かに目を閉じた。


 託したのは、ただの飾りじゃない。


 けれど、その意味を今、語る必要はない。


 必要なのは――


 生きて、次へつなぐこと。


挿絵(By みてみん)

【次の話】

第21話「十字要塞の奇将」

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