帰還の誓い
昼下がりのフェルドランは、珍しく風が緩かった。
冒険者ギルド前の石畳では、鍛冶師が打つ金属音と、酒場から洩れる笑い声が混ざり合い、日常という名の匂いが街を満たしていた。
バルムド・アークヴェインは、石段に腰をおろし、空になったジョッキをぶらりと揺らす。
「まったく、損な性格だよな、俺らって」
その隣で、ミレーネ・ルーメンが柔らかく微笑んだ。
「いいじゃないですか。明日からのことは一回忘れて、今日くらいはゆっくりしましょう。ね、バルムドさん。ここ最近、全然休めてませんから」
長い金髪が夕陽を受けて淡く光り、まるで聖女画のように見える。
しかし、その絵面を一瞬でぶち壊す大声が響き渡った。
「ハーハッハッハッハッハッ! 飯だ! 肉だ! 酒だァ!!!」
街半分に響き渡る声。ゴルド・バーンフィストだ。
「おい、ちょっとは落ち着けよ、ゴルド。お前の声で休暇が消える」
「馬鹿言え! 英雄は、食って笑って寝てまた食って戦うんだ! それ以外に何がある!」
「……ゴルド、あなただけはほんと変わりませんね……」
ミレーネがため息をつきつつ笑う。
そんな三人の前に、ひとりのギルド係員が駆け込んできた。
「よかった、バルムドさん! 急ぎの召集です!!」
「またか……」
係員の震えた声は、ただの依頼ではないことを示していた。
***
十大貴族ラングロード卿の邸宅。
それはバルムドたちにとって、依頼主の館である前に、帰還を報告する場所でもあった。
ラングロード卿は、ただ金を出す貴族ではない。
冒険者の命を駒のように扱わず、成果には正当な報酬を、失敗や犠牲には誠実な責任を返す男だ。だからこそ、バルムドもミレーネもゴルドも、この男の呼び出しには応じる。
通された部屋には、普段通り、バルムド、ミレーネ、ゴルドの三人だけがいた。
奥の重厚な椅子に腰を下ろしたラングロード卿は、眼鏡越しに三人を見つめると、まず静かに口を開いた。
「まずは、ズィルヴァリアの件……本当によくやってくれた」
飾りのない声だった。
「レオナルト軍本隊と側近を切り分け、王を生け捕りにした。あの無茶な作戦を成立させたのは、お前たち三人だからこそだ」
ゴルドが鼻を鳴らす。
「ガッハッハ! まあな!」
ミレーネはほっとしたように肩の力を抜いた。
バルムドは短く頷くだけにとどめる。
「レオナルト=ザイ=ビーストフォールは、現在フェルドラン監獄の最深部に収監している。拘束は万全だ。王を討たずに止めた判断も含め、見事だった」
バルムドは少しだけ眉を動かした。
「あんたにそう言われるなら、まあ悪くねぇ結果か」
「悪くない、ではない。最善に近い」
ラングロードは即答した。
「ズィルヴァリアの混乱はしばらく続くだろうが、少なくとも人類圏にとって最大級の火種は、いったん封じられた」
そこで、彼は一度言葉を切る。
空気が変わった。
「……だが」
眼差しが沈む。
「その報告を喜ぶ暇もなく、さらに悪い知らせが届いた」
ゴルドの笑みが消えた。
ミレーネの背筋が伸びる。
ラングロードは、重い口を開いた。
「聖王国が、落ちた」
その一言で、部屋の空気が凍った。
「落ちた……だと?」
ゴルドが呻くように言う。
「そうだ。聖王都にはすでに王城の代わりに、通称“神罰の遺跡”と呼ばれる黒い建造物が鎮座している。賢君アルセリア十三世は殺害された」
バルムドの拳が、ゆっくりと固く握られる。
「待て、ラングロード卿。かの国には剣聖リオネル・ファーレンハイトがいる。あいつはどうした。国を取り返すために動いてるんじゃないのか?」
ラングロードはまっすぐに答えた。
「私も何度も聞き直したよ。だが、結論は同じだった。剣聖リオネル・ファーレンハイトは死んだ」
一拍。
「それも、侵略者のたった一撃で」
ゴルドが、初めて笑わなかった。
ミレーネの指先が、膝の上で白くなる。
バルムドは、何かの聞き間違いだと思いたかった。
だが、ラングロード卿の目は、誤報を告げる者の目ではなかった。
リオネル・ファーレンハイト。
自由国家フェルドランのS級冒険者以上の戦力を持つとまで言われた、近隣国家最強の男。人類の到達点。その死は、それだけで現実味を拒む報せだった。
ラングロードは目を伏せる。
そして、感傷に逃げず、淡々と事実を並べた。それが彼なりの誠実さだった。
「淡い期待を抱かせるのは、かえって残酷だ。だから断言する。リオネル・ファーレンハイトの死は――確実だ」
バルムドの胸が重く沈む。
ラングロードは続けた。
「そして今、問題となっているのは聖王国南部だ。もう隠していても仕方がない。あの依頼を出したのは私であり、私の上の存在でもある」
ミレーネが息を呑む。
「聖王国は、新たな聖王を名乗るアンドリュー・ジャスティス・ガイツによって支配されている。さらに南部は、ガイツの右腕と目される存在――奇将ウンゾニック・バトラー将軍が実効支配している」
奪われたものは、奪い返す。
レオナルトの言葉が、妙に耳に残っていた。
土地を、資源を、生き方を。
彼はそう言っていた。
聖王国で起きていることも、同じ匂いがする。
ただし、こちらには思想の影すらない。
あるのは、もっと雑で、もっと乱暴な略奪だ。
「ウンゾニック・バトラー将軍……何者なんですか?」
ミレーネの表情に、緊張が走る。
「聞いたこともねぇが、楽な相手じゃねぇだろうな」
ゴルドが唾を飲み込む。
バルムドは依頼書の文面を思い出しながら、低く言った。
「なるほど。だからこそ、俺たちか」
「そうだ」
ラングロードは迷わなかった。
「お前たちにばかり頼りきりで申し訳ない。だが、今の私に打てる最善の一手は、これ以外に考えられん」
そう言って、ラングロード卿は深く頭を下げた。
フェルドランの支配階級、十大貴族が、三人の冒険者に頭を下げる。
その事実だけで、事の重大さは十分すぎるほど伝わった。
数刻の沈黙を切り裂くように、ミレーネがそっと言った。
「バルムドさん……」
バルムドは少し考えるふりをした。
だが、答えは最初から決まっていた。
机の上に、冒険者ギルドに貼られていた依頼書をバンと置く。
「ラングロード卿。あんたに頼まれるまでもない」
一拍。
「放っておけるわけがないだろ」
ゴルドがニヤリと笑い、拳をバルムドの胸にドンと当てる。
「ガッハッハッハ! だよな! 行くぞ、ミレーネ! 俺たちで南部で暴れてるド畜生を殴り倒してやる!」
「ゴルド、なんだかちょっと嬉しそうですね」
「当たり前だろ。でかい相手をぶん殴るのは気分がいい!」
ラングロードは顔を上げ、バルムドに書類を差し出した。
「詳細はこれに記した。南部のレジスタンスには既に話を通している。まずは彼らと合流してほしい」
バルムドが書類を受け取る。
「リーダーは?」
「“黄金の少女”だ」
ラングロードの表情が、わずかに変わる。
「若いが、信頼に足る。必ずお前たちの力になる」
「了解したぜ、ラングロード卿。ま、吉報を待っててくれ」
ラングロードは、硬い表情をほんの少しだけ崩した。
「頼むぞ。……だが、無理はするな」
その声音には、本物の情があった。
「お前たちはこの国の未来に欠かせない存在だ。私は、それを失いたくない」
バルムドは背を向けたまま、無言で親指を立てた。
***
夜のフェルドラン中央都市の外れ。
三人は出立の準備を済ませ、焚き火を囲んでいた。
「バルムドさん」
ミレーネが隣に座る。
「……本当は、怖いですよね」
「怖くねぇとは言わん。でも……」
バルムドは焚き火を見つめた。
「俺たちが行かなきゃ、南部の連中はもっと怖いだろ?」
「ガッハッハッハ! そりゃあそうだな!」
ゴルドが豪快に笑う。
「だったら行くしかねぇだろ! で、全員救って、飯食って酒飲んで帰る! 聖王国の飯はうまいって聞くぞ!」
バルムドの言葉に、ミレーネも笑う。
「帰りましょうね、絶対に。必ず、三人で」
そのとき、バルムドの視界に淡い光が滲んだ。
最適未来指標――アセスメント・ラインの前兆。スキルが提示する“未来の二択”が、脳裏に流れ込む。
【最適未来指標】
『選択肢A:フェルドランに留まる→生存率100%【推奨】』
『選択肢B:南部へ向かう→生存率60%』
(また推奨かよ……)
バルムドは光を振り払うように、焚き火へ顔を向けた。
このスキルが見るのは、自分の生存率だけだ。
仲間の命も、南部で怯える人々の未来も、そこには含まれない。
だからこそ――
「……選択肢なんか、どうでもいい。行くんだよ、俺たちは」
「バルムドさん?」
ミレーネが小首をかしげる。
「なんでもねぇよ。よし、明日の朝には南部へ向かう。体を休めておけよ」
三人はうなずき、焚き火の火が静かに揺れた。
翌朝。
フェルドランを背にしながら歩く三人の先頭で、バルムドは深く息を吸い、振り返って言った。
「――帰るぞ。三人で」
二人は笑ってうなずいた。
出立の足音が静かに石畳へ響く。
三人のあいだで交わされたその言葉が、やがて重い意味を持つことになる。
【次の話】
第18話「ミレーネ・ルーメン」
公開中です。




