帰還
戦いの余熱が、まだ城の中に残っていた。
砕けた石床。崩れた柱。あちこちに刻まれた爪痕と爆ぜた魔力の焦げ跡。
レオナルトとの死闘を終えたバルムド・アークヴェインは、血に濡れた剣を肩に担ぎながら、静まり返った廊下を歩いていた。
すると、正面の角から駆け込んでくる二つの影が見えた。
「バルムドさん!」
真っ先に飛び込んできたのは、白いローブを纏った女だった。
金髪を振り乱し、肩で息をしながら、それでも真っ直ぐこちらへ駆けてくる。
ミレーネ・ルーメン。
光魔法を扱うAランク冒険者。バルムドと幾度も死地を越えてきた相棒だ。
その後ろから、大股でやってくる巨漢が豪快に笑った。
「ガッハッハッハ! 間に合わなかったか!」
筋骨隆々、禿げ頭の大男――ゴルド・バーンフィスト。
元S級冒険者。今は資格を失っているが、実力だけならなお怪物の域にいる。
「お前ら、早かったな」
バルムドが言うと、ミレーネが胸を押さえて息を整える。
「レオナルトの親衛隊と残党は、ゴルドさんと私でなんとか切り分けました。城の外にいた主力も、足止めはできています。でも……」
ミレーネの目が、バルムドの全身の傷を見て揺れた。
「ほんとうに、よかった……」
その声音に、バルムドは少しだけ視線を逸らす。
ゴルドは城内を見回し、低く口笛を吹いた。
「ったく、派手にやったもんだな。こっちはレオナルト軍と側近どもの相手で手一杯だったってのに、てめぇは一人で王を仕留めちまったのかよ」
「まあな」
「まあな、じゃねぇよ。あの化け物相手だぞ?」
ゴルドは笑っていたが、その目にはわずかに驚きが残っていた。
実際、三人の作戦は最初から決まっていた。
レオナルトのもとへ辿り着くため、ミレーネとゴルドが軍勢と側近を引き受け、バルムドが単独で王を討つ。
無茶な作戦だった。
だが、成功した。
(……成功、か)
バルムドは内心で苦笑する。
成功したのは、あくまで結果論だ。
彼の視界には、さっきまで別の未来が出ていた。
最適未来指標――アセスメント・ライン。
この世界に転生したときから、バルムドに与えられていた異能だ。
目の前の行動を二択に圧縮し、その先にある未来を“自分の生存率”という形で示してくる。
しかも厄介なことに、選んだ選択肢に合わせて身体の動きまで最適化される。
端的に言えば、生き残るための反則じみた力だ。
ただし――
(あのスキルが見てるのは、俺だけだ)
ミレーネやゴルドの生死は、勘定に入らない。
だからこそ、示される“推奨”はいつもどこか薄情だった。
たとえば先ほど、レオナルトの最後の一撃を前にしたときもそうだ。
撤退すれば、生存率88パーセント。
踏み込めば、生存率28パーセント。
スキルは迷わず撤退を推した。
だが、もしあの場でレオナルトを逃がしていたらどうなったか。
目の前の二人も、城外で踏ん張っている仲間たちも、次は無事では済まなかったはずだ。
(ほんと、融通の利かねぇスキルだよ)
バルムドは肩を竦める。
ミレーネが不安そうに覗き込んだ。
「バルムドさん?」
「いや、なんでもねぇ」
軽く手を振る。
「とりあえず、生きてる。だったら十分だろ」
「死にそうな顔で“十分だろ”って言う人、私は嫌いです」
ミレーネは珍しくきっぱり言った。
「心配したんですから」
ゴルドが大声で笑う。
「ハッハッハ! 説教は帰ってからにしろ、ミレーネ! とにかくこれでズィルヴァリアとの戦争も終わりだ! 今日は肉だ! 酒だ! 英雄の宴だ!」
「お前はいつもそれだな……」
バルムドは呆れつつも、少しだけ頬を緩めた。
そうだ。
こうして三人で軽口を叩けている時点で、今回は上出来なのだろう。
「さあ、フェルドランに帰るぞ」
そのひと言で、二人の顔つきが少し柔らかくなった。
帰る場所がある。
待つ者がいる。
それを当たり前と思えるうちは、まだ戦える。
***
自由国家フェルドラン。
冒険者が集い、未知を既知へと変えていく国。
それが、バルムド・アークヴェインの拠点だった。
帰還した三人を迎えたのは、いつも通りの喧騒だった。
鍛冶場の金属音。露店の呼び声。酒場から漏れる下品な笑い。戦場帰りの身には、その全部が妙に心地よい。
「改めて、おかえりなさい、バルムドさん」
ギルドへ向かう石畳の途中で、ミレーネがそう言った。
「生きて帰ってきてくれて、本当によかったです」
「だから言ってるだろ」
バルムドは苦笑する。
「俺はそう簡単には死なねぇよ」
それは半分本当で、半分嘘だった。
ミレーネもゴルドも、バルムドのスキルを“生き残るための勘が鋭い便利な力”くらいに思っている。
だが実際にはもっと露骨で、もっと身も蓋もない。
アセスメント・ラインは、未来を数値で示す。
しかも、あくまでバルムド本人の生存率だけを。
もし彼がその“推奨”に従い続けていたなら、きっと今ごろ誰とも深く関わらず、一人で安全な依頼だけをこなす冒険者になっていたはずだ。
ミレーネとも。
ゴルドとも。
こんなふうに並んで歩くことはなかった。
だからバルムドは、スキルを便利だと思ったことはあっても、正しいと思ったことはあまりない。
バシン、と背中に衝撃が走る。
「ワッハッハ! 湿っぽい話は終わりだ! 酒だ! 肉だ! 今日こそは飲むぞ、バルムド!」
ゴルドの平手だった。
「痛ぇな、お前は……」
「祝いの一撃だ!」
「物理で祝うな」
ミレーネがくすっと笑う。
その笑顔を見て、バルムドは小さく息をついた。
悪くない。
こういう時間は、嫌いじゃない。
三人は吸い込まれるように酒場へ入っていった。
***
翌朝、冒険者ギルド。
酒気の残る頭を押さえながら入ったバルムドは、壁に貼られた一枚の依頼書に目を止めた。
妙に新しくもなく、妙に古くもない。
だが、そこだけ空気が違った。
依頼主――空欄。
『討伐対象:聖王国南部を事実上支配下に置いた蛮族
通称【ウンゾニック・バトラー将軍】
報酬:金貨五〇〇〇枚』
(依頼主が空欄、ね……)
面倒事の匂いしかしない。
「ウンゾニック・バトラー将軍? 聞いたことないですね」
ミレーネが首を傾げる。
「金貨五〇〇〇枚だぁ!? おいおい、破格中の破格だな!」
ゴルドの目は報酬に釘付けだ。
そのとき――
バルムドの視界に、見慣れた光が差し込んだ。
【最適未来指標】
『選択肢A:依頼を受けない→生存率99%【推奨】』
『選択肢B:受諾し蛮族を討伐する→生存率60%』
バルムドは数秒、黙った。
(……はは)
内心で笑う。
(なーにが“推奨”だよ)
このスキルの言うことは、長く付き合えば逆に分かる。
危険度が高く、面倒で、それでも放っておくと後がもっとまずい案件ほど、こいつは高確率で「やめておけ」と出してくる。
つまり――
(行け、ってことだろうが)
バルムドは無言で依頼書を剥がし取った。
周囲がざわめく。
「お、おい……あれ取ったぞ」
「まさか本気か?」
ミレーネが目を見開いた。
「バルムドさん……?」
ゴルドは口の端を吊り上げる。
「行くのか?」
バルムドは二人を振り返る。
「ミレーネ、ゴルド。悪いが――聖王国南部へのピクニックに付き合ってくれないか?」
ゴルドが豪快に笑った。
「ガッハッハ! ピクニックにしちゃあ血なまぐせぇな!」
「でも、行くんですね」
「ああ」
依頼書を肩に叩きつけるように持ち直す。
「嫌な匂いがする。こういうのは、だいたい当たる」
ミレーネは一瞬だけ迷い、それから頷いた。
「ついていきます」
ゴルドも拳を鳴らす。
「よしきた。支度はしっかりやらねぇとな!」
三人は、自然と並んで歩き出していた。
このとき彼らはまだ知らない。
数日前、聖王国ではすでに王が変わっていたことを。
世界が静かに、しかし確実に、破滅の方向へ転がり始めていたことを。
そして、その渦の中心へ――
自分たちがまさに向かおうとしていることを。
【次の話】
第17話「帰還の誓い」
公開中です。




