そして、世界は動きだす
夜がやってきたわけではない。ただ、闇が世界に染み込みすぎて、光そのものが薄くなっただけだ。
王城のあった場所には、もう尖塔も大広間も、玉座も存在しない。代わりに、空を割るようにして一隻の巨影が鎮座していた。
宇宙戦艦『グレイテスト・トランク』。
黒い外殻が脈打ち、その存在だけで王都の風すら歪めている。
王城前広場には、一枚、また一枚と“黒い旗”が掲げられる。
王国の青と白は消え、漆黒のNZMナイトメアーズの紋章だけが風に揺れた。
聖王国は、完全に支配された。
誰も声を上げない。
泣き声すら風に吸われて消える。
ただ、灰が降る。
そして戦艦の低い駆動音だけが、世界の頂点を名乗るように響いていた。
聖王国陥落の報は、遅れて周辺国家へ流れた。
***
魔導帝国ヴォルザーク。
皇帝マグヌス=エル=ヴォルザークは、報告書を閉じた。
「魔導ではない」
短く断じる。
「あれは“理外”だ」
側近たちが息を呑む。
「ならば、対処するしかあるまい」
扉が開く。
「お呼びでしょうか、陛下」
自由国家フェルドランの大貴族――ラングロード卿が一礼する。
「聖王国は壊滅。剣聖リオネルも戦死だ」
沈黙。
その名は、人類の到達点だった。
「……もう一件」
「ズィルヴァリアか」
「はい。和平は失敗しました」
即答。
「理由は?」
「レオナルト=ザイ=ビーストフォール」
一拍。
「彼は王ではない。思想です」
空気が変わる。
「共存はしない。勝つ側が種を定義する――それが彼の結論です」
マグヌスの目が細くなる。
「……合理的だな」
「ええ。だから止まりません」
短く言い切る。
「理念の戦争です」
わずかな沈黙。
「で、どう動いた」
「切り札を一枚」
「……あの男か」
「はい」
一拍。
「S級冒険者、バルムド・アークヴェイン」
ラングロードはわずかに口元を歪める。
「最適解です」
沈黙。
「……そうか」
マグヌスは静かに言った。
「ならば見届けよう」
視線は遠く。
「世界が、どこへ転がるかをな」
***
亜人連合国家ズィルヴァリア西端――ガルビの大森林。
「さて、吉と出るか、凶と出るか」
S級冒険者バルムド・アークヴェインは佇んでいた。
視界に、文字が浮かぶ。
【最適未来指標】
『選択肢A:フェルドランに戻る→生存率97%【推奨】』
『選択肢B:ズィルヴァリア国境警備隊と戦う→生存率67%』
(また、“推奨”か……)
遠くの空に黒煙が見える。聖王国の方角だ。
(……何が起きた)
だが、首を振る。
「関係ないな」
剣に手をかける。
「俺は、俺の最適を選ぶ」
そして――踏み出した。
***
グレイテスト・トランク中枢。
白壁、円環計器、天井に吊られた無数のメトロノームがカチ…カチ…と四分の四拍子を刻む。
すべての針が、同じ角度で同じ瞬間に揺れている。常識が先に音を上げる光景だった。
ワンブリッジが、指揮棒で空気に拍を描く。
「第一拍―取る《Take》。第二拍―積む《Stack》。第三拍―磨く《Polish》。第四拍―建てる《Build》。T・S・P・B。覚え方は“突っ張れ”。いいかい、税制も戦争もリズムなんだ」
彼は笑いながらリボルバーをくるりと回し、弾装填リロードをカチリと決める。
本来エネルギー銃であるため弾装填は不要だが、それは彼の儀式だった。
ドアが音もなく開く。
「やってきたね、今夜は何拍子で殺す気だい?」
影のまま、久保田ジュウシマツ。
「プラズマ枢機卿曰く―四で始め、四で終われ」
ワンブリッジはわざとらしく拍手を送る。
「ふふ、それはそれは。正解だ。まったくもって正解だ」
メトロノームが一斉に強拍を打った。
そこへ、数珠を鳴らし、車輪付きハンマーを足で挟みながら滑り込む巨大な影。
「おい、ワンブリッジ! 像は1000メートルにする!777じゃ足りねえ、そうだろう!?」
「マイフレンッ!それも正解!まったくもって正解だ!」
――さらに、もう一つの影。
整った装束、無駄のない所作。ウンゾニックバトラー将軍が一歩前に出る。
「ご報告申し上げます。聖王国の残党が南部に集結。現在、制圧に向かう準備が――」
誰も見ない。
ワンブリッジはすでに次の拍を刻んでいる。
久保田は壁を見ている。
ガイツは像のサイズのことで頭がいっぱいのようだ。
「南部一帯を包囲し、速やかに殲滅する予定で――」
話を遮るように、ワンブリッジが指揮棒で円を描く。
「……ああ、そうだ」
一拍。
「南部だったね」
指揮棒が、わずかに傾く。
「なら、先に地ならしをしておいで」
軽い調子だった。
まるで庭の手入れでも命じるかのように。
ウンゾニックバトラーは一瞬だけ目を伏せ、
深く一礼する。
「……承知いたしました」
静寂。
ワンブリッジが、ゆっくりと天井を見上げた。
指揮棒が、空をなぞる。
「さて」
一拍。
メトロノームが、わずかに遅れる。
世界が“選択を待っている”ような間。
「さあ、明日はどの扉を開ける?」
誰にともなく、だが確実に全員に向けて。
「英雄の街か、南の聖歌隊か、あるいは空の支配者か」
指揮棒が止まる。
にやり、と巨体が笑う。
「ハッ、言うまでもねぇだろ!」
一拍。
「全部だ!」
その言葉を待っていたかのように、ワンブリッジの口元が歪む。
「正解だ。まったくもって正解だ」
一拍。
指揮棒が、再び動き出す。
「マイフレンッ、君が笑う方へ――全部開けよう」
一瞬の静止。
そして――
『ジャァァァァン!!』
高藤ストレンジネスがギターをかき鳴らす。
重低音が空間を貫き、すべてを飲み込んだ。
遺跡全体が、低いベースのように応えた。
***
黒い旗に覆われた聖王都。
瓦礫はまだ熱を帯び、崩れた石壁の隙間から白い煙が細く立ち上っている。
かつての大通りは見る影もなく、人々は無言のまま瓦礫を運び続けていた。
誰も泣かない。
泣く余裕すら、もう残っていない。
ただ、手を動かす。
崩れたものをどかし、埋もれたものを掘り起こし、形を失った街に、わずかな秩序を戻していく。
ハチミツ亭の前でも、同じだった。
メリナは、煤に汚れた石畳に膝をつき、崩れた棚の破片を一つずつ拾い上げていく。
その手が、ふと止まる。
無意識に、胸元へと触れる。
そこにある、小さな重み。
リリアが残したペンダント。
メリナはそれを取り出す。
煤に曇った表面を、親指でゆっくりと拭う。
何も言わない。
ただ、じっと見つめる。
やがて――
静かに息を吐き、
それをもう一度、胸元へと戻した。
立ち上がる。
その背後で、声がひとつ、落ちる。
『持ち帰れ』
別の場所で、誰かが応じる。
『次の勝ちのために』
小さな声だった。
だが、それは確かに広がっていく。
瓦礫の中を。
焼けた街の中を。
敗北の中に、残されたものを。
それでも、消えなかったものを。
空を照らすのは、黒ではない。
淡く――金色を帯びた朝だった。
【次の話】
第15話「冒険者」
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