表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/20

3月 (1)父との約束と春の訪れ


【Episode:ソウシ】



 境内に咲く梅の香りが、微かな春の訪れを教えてくれていた。


 俺の家(月読神社)は里に近いけど、背後に控える山全体は険しい修行場になっている。

代々ここを守る月読つくよみ家にとって、山全体を清める「結界の儀式」は欠かせない。


 月が空の真ん中に差し掛かる頃、俺は境内にある「月見池」の前に立った。


 この儀式は雨の日でもできるけど、遮るもののない月明かりが水面に差し込む夜が、一番効果があるんだ。


 湧き水が溢れる澄んだ池に、静かに手を浸す。

刺すように冷たい水が、指先からじりじりと体温を奪っていく。

その痛みに耐えて、水面に映る銀色の月を真っ直ぐに見つめながら、結界を維持するための古い呪文を唱えた。


「……ふっ!」


 水面に鋭く息を吹きかける。

月の光を吸い込んだ水面から清浄な魔力が霧のように立ち上って、純白の光となり山全体を覆う結界を補強していく。


 浄化に特化したこの呪文は、月読の血を受け継ぐ者だけに代々受け継がれてき『守護の証』だ。


 本当なら一ヶ月に一度で十分な儀式だけど、俺は十日に一度、欠かさずこれを行っている。

父ちゃんが魔獣に殺されたと聞いて以来、俺は「手を抜く」ことより「強くする」ことばっかり考えてきた。

大切な物は二度と無くさない、その一心だった。


 冷え切った体を温かいシャワーで解きほぐして、リビングの暖房の前でぼんやりとする。


 何となく目に入る古い写真。

そこには、俺にそっくりだって言われる母ちゃんの写真と、逞しい身体で小さな俺を片手で抱っこする父ちゃんの写真が、並べて置かれている。


 目を閉じれば、今でも鮮明に思い出せる光景があった。


 父ちゃんの硬くて、逞しい膝の上……俺の特等席。


『なあ父ちゃん、俺も父ちゃんみたいなカッコいい冒険者になる!』


 幼い俺が父ちゃんを見上げて宣言すると、父ちゃんは豪快に笑って、大きな手で俺の頭をわしわしと撫で回した。


『そうか! ソウシは冒険者になりたいのか』


『うん!』


『そうか、そうか! なら、たくさん食べて、たくさん笑って、誰よりも強い光になれ。約束だぞ』


 その時の、少しガサついた手のひらの熱と、自分を丸ごと包み込んでくれるような安心感を、俺は今も覚えている。


 でも、あの日……。


 十年前、世界中が震えた大地震。

その直後のダンジョンから魔獣が溢れ出す「スタンピード」が発生した。

当時、Aランク冒険者として有名だった父ちゃんにも、緊急の討伐依頼が下った。


『行ってくる』


『いってらっしゃい!』


 それが、最後に交わした言葉だ。


 数日後、家に戻ってきたのは、父ちゃん本人じゃなくて、傷だらけになった「冒険者タグ」だけだった。

遺体さえ判別できない混乱の中で、タグが見つかったのは奇跡だって言われた。

よほど家に……俺に会いたかったんだろうって。


 気づけば、無意識に手に力が入っていた。

今、俺の指先が触れているのは、冷たい金属じゃない。

イッセイがくれた、

メモ紙の質感だ。


 「……そんなにじっと見つめてたら、穴が開いちまうよ。」


 不意に頭の上から降ってきた声に、心臓が跳ねた。


 いつの間にか、すぐ後ろに婆ちゃんが立っていて、俺の手元を覗き込んでいる。


「……ソウシ。また、そのメモを見ているのかい」


 トイレに起きてきた婆ちゃんが、眠そうな顔をして声をかけてきた。


 俺の手の中にある、あの日イッセイから手渡された住所が書かれたメモ——。

隠す間もなく、しっかり見られてしまった。

婆ちゃんはすぐに嘘を見破るから、誤魔化しはきかない。


「……うん。あいつ、もう引っ越し終わったかなって思ってさ」


 そう口にした瞬間、あの一月の試験当日の記憶が、ぶわっと脳裏に浮かぶ。


「他人を思いやれる正義の味方、だったんだっけ?」


「そう。俺、電車の中で超緊張してて周りが見えてなくてさ、ポーション引っ掛けられた俺の代わりに、オトナ相手に怒ってくれた超イケメン」


「ふふふ……で、試験の時も偶然後ろの席で、嫌がらせされた生徒のことを真っ先に先生に言いに行った」


「そうなんだよ! 俺、びっくりしてさ。マジで行動力ハンパねぇ、って。本当に同級生か? って思った!」


 他人のためにあんなに堂々と戦える人がいるんだって、心の底から尊敬したし、勇気をもらった。

おかげで、消えちまいたいほどの緊張がほぐれたんだ。


「電話番号は聞かなかったのかい?」


「思いつかなかったんだ。住所と名前のメモは書いてくれたけど」


 また会って話をしたい。

その思いが、あの日からずっと胸の奥で渦巻いている。


「お前の父さんも、爺さんも言っていたよ。『喜多川学園で過ごした時間は、人生の宝物だ』って。ソウシ、本当によく頑張ったね。合格、本当におめでとう」


 婆ちゃんの言葉に、俺は一瞬、言葉を詰まらせた。


 頑張った。

死ぬ気で、寝る間も惜しんで、指にタコができるまでペンを握り続けた。

……なのに、イッセイを前にすると、自分の努力なんて全部「運」なんじゃないかって思えてしまうんだ。


「へへ……俺、運だけは良いみたいだからさ! 合格したのはマジで奇跡だよ」


 俺はわざと茶化すように笑って、メモをポケットに仕舞い込んだ。


 そんな俺の煮え切らない葛藤を見透かしたように、婆ちゃんが続けた。


「その『イッセイ』という友達に出会えたのも、お前が全力で試験に挑んだから。それは決して運なんかじゃないよ」


 婆ちゃんの言葉に、少しだけ鼻の奥がツンとした。


「気になるんだろ? なら、会いに行ったら良いじゃないか。一人暮らしの男の子なんて、どうせロクなものを食べられていないから、ソウシが何か作ってやったらどうだい?」


「……婆ちゃん。うん、分かった! そうする!」


 自分でも気づかないうちに張り詰めていた心の結界が、婆ちゃんの温かな言葉と一緒に解けていく。

あの日、イッセイやトウワに出会った瞬間に感じた、弾けるような予感。

それは、父ちゃんが愛した学園で、俺自身の物語が始まる合図だった気がした。


「よし! イッセイに会いに行くぞ! ついでに何か美味いもん作ってやる!」


 俺が元気よく声を上げると、


「おー!! 行ってこい!」


と、ノリの良い返事が返ってきた。


 春の少し緩んだ空気が、旅立ちを控えたリビングに満ちた。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ