10月(1) 氷の可能性
【Episode:ジュリ】
文化祭の熱狂が去り、学園もようやく落ち着きを取り戻した10月の土曜日。
僕は、ソウシの案内で「月読神社」の鳥居をくぐった。
夏休みにソウシが、マナブの叔父である冒険者のマサ兄さんと一緒に修行をして以来、明らかに動きに自信と迷いがなくなって、防御魔法も発動し始めた。
僕も、自分だけの何かを見つけたい……
夏休みの間、ずっと足りない何かを考えていたけれど実行出来なかった答えを求めて、
月読神社で修業をしたいとソウシに頼みこんだのだ。
ちなみに、僕がソウシと二人で会うと耳にしたイッセイは、一瞬表情を強張らせ。
でも、生徒会での仕事が忙しいらしく……
笑顔を浮かべて「頑張って!」と(全く目が笑ってない顔で)送り出してくれた。
そんなに心配しなくても、ソウシに手を出す事はないのに……思い出すだけで苦笑いしてしまう。
「婆ちゃん、ジュリを連れてきたぞ!」
ソウシの呼びかけに応えて現れたのは、小柄だが背筋の伸びた、鋭い眼光を持つ老婆だった。
「初めましてジュリです。氷魔法の可能性を広げたいんです。魔法の制御も、もっと高めたいので、今日はお世話になります。」
「よく来たね。私はソウシの祖母でユイカだ。ユイ婆で良いよ。」
ジュリの真っ直ぐな言葉に、ユイ婆は静かに笑いかけた。笑い方がソウシによく似ている。
「魔法はどこかで習っていたのかい?」
「家庭教師がついていました。」
「ふむ。なるほど……あ〜でもムラがあるねぇ。」
ユイ婆は少し身体を反らして、僕の全身を見るなりそう告げた。
見ただけで分かる物なのだろうか……
「まずは、ソウシと滝まで行っておいで」
「走り込みですか?」
「ははっ、早歩き位で良い。呼吸を意識しながらの有酸素運動だ。私も後から合流するよ。ソウシ、先にいつものやつ始めてな。」
「行くぞ、ジュリ! 滝のあるところまで大体15分だ!」
ソウシが軽快に玄関を飛び出す。
ハッとして、慌てて持ってきていた手土産をユイ婆に渡し、ソウシの後を追う。
「ソウシ!この森も月読神社になるの?」
一歩踏み出すごとに、澄んだ空気が肺の奥まで冷たく染み渡り不思議と深く息ができる。
「そう!大昔から月読神社は冒険者の修業場所なんだ。クランの新人研修にも使われてる。この山全体に結界を張ってるから安全だぜ。」
ソウシが速度を落とし、さりげなく僕と歩調を合わせてくれているのが分かる。
『ソウシくんってさ、見た目は女の子みたいに可愛いけど、気遣いの質?が漢なんだよね。さり気なくて、同じ男として憧れるよね〜』
不意に、以前マナブが言っていた言葉を思い出す。
(確かに……その通りだ)
「ここは魔力がとても澄んでるね」
「悪い気を結界で防いでいるからな。淀んでないから気持ち良いだろ?」
「そうだね。」
僕は両腕を広げてみる。確かに周りの魔力が肌に柔らかく纏わり付くようで力が沸いてくる。
背の高い木々から漏れる日差しもキラキラしている。
しばらく歩くと水の気配を感じた。サーッと水の流れる音が聞こえ、ゴツゴツとした石を組んで作られたような階段を下ると、水量はさほど多くはない滝が見えてきた。
ソウシは木々が開けた岩場で立ち止まると、
「とりあえずここに座って。目を閉じて魔力の流れを整える。修業に入る人の初回はいつもこれから始めるんだ。」
言いながらソウシは平らな場所に座り、座禅を組んで両手を膝の上に置いて目を閉じる。
「鼻から息を吸って、口から吐き出す。それだけ意識してると魔力が流れる感覚も掴めるようになる。」
「分かった」
僕はそんなソウシの隣に座り、無言でただ呼吸に気をつける。
鼻から吸って口から吐き出す。
澄んだ空気、
滝の音、
川の流れ、
鳥の声、
風に揺れる木々のざわめき、
自分の身体の中……温かい熱がお腹から手足に向かって流れている。
どのくらい時間が経っただろうか。
ユイ婆に声をかけられている事に気づき、ソウシが肩を叩いてくれるまで、全く時間を気にしてなかった。
常に段取りを考えて行動する僕にとって、何もせずただ座って呼吸をするだけの時間は初めての経験だった。
「ほぉーこの短時間で流れが良くなってるね」
ユイ婆は目を細めながら、僕を見ている。
「そう…ですか?」
自分ではよく分からないが、ユイ婆は僕の両腕を支えるようにして
「立ってみな!ああ。循環が良くなっているね」
言われて、気がつく。
「……身体が軽い。」
「ちょっとそこの大岩に、魔法を撃ってみな。」
ユイ婆に促されて、僕は身に付けた杖を取り出す。
「『アイスバレット』」
唱えると、杖にするりと引き出された僕の魔力は、氷の塊になって大岩の中央に丸い窪みを付けた。
(発動が早くなって、威力が増してる……)
「すげえな!ジュリ!!」
ソウシがキラキラした目で見てくる。
「いや、でも威力はまだまだ……だよね」
そんな僕に、ユイ婆はニヤリと笑うと、
「う~ん。氷だろ? 例えば………攻撃に特化しなくても、見えない魔法の痕跡に印をつけられたら、ダンジョンの罠を回避することもできる。可能性は無限だよ。」
その言葉は、僕の脳内で弾けた。
(そうか……破壊する必要はないんだ。極限まで薄く、大きく広げる。触れたらすぐに溶けて消えてしまうほどの、繊細な氷――)
板のような氷では対象を壊してしまう。だが、雪の結晶が触れて溶けるその刹那、魔力に反応して発色する膜を作れたら……
「やってみたい事が出来ました。見ててもらえますか?」
「ああ……やってごらん。」
僕は思いつくまま無我夢中で、ユイ婆の言った氷を薄く広げ続ける。挑むうちに、空はいつの間にか夕焼けに染まっていた。
「今日は終わりだ。ソウシ!ジュリ!家に帰るよ!」
有無を言わせないユイ婆の号令に従い帰路に付くと、思っていた以上に魔力を使っていたようで、神社まで歩くのも億劫なほど疲れていた。
ヘトヘトになっていた僕は、ソウシに勧められて一晩泊めてもらうことにした。
古いけれど手入れの行き届いた月読家で、温かい食事を頂いた。
ユイ婆とソウシと一緒に食卓を囲んで、その時初めて僕はソウシの家族のことを知った。
ソウシのお母さんは、ソウシを産んで間もなく亡くなり、お父さんは十年前のスタンピードでの魔獣討伐で殉職していた。
今はユイ婆と二人で暮らしているそうだ。
ソウシが背負う、人に見せない重い過去に僕は言葉が出なかった。
気づいたら、僕も自分のことを話していた。
「僕も……祖母に育ててもらってるんだ。僕の母さんは男である僕が嫌いみたいでね、たまに会えば必ず『女の子なら良かったのに』って言うんだよ。もう一年くらい、直接顔を見ていないな……」
血を吐きそうなほど辛い事実。
けれど、目の前のソウシには、驚くほどさらさらと言葉が出てきた。
「僕は……早く、自立したいんだ。」
全てを吐き出して俯いた僕に、ソウシは茶化すことも同情することもなく、ただ真っ直ぐに僕を見て微笑んだ。
「ジュリは、かっけーな」
「……え?」
「自分の足で立とうとしてるんだろ。すげーよ。俺、応援するぜ!」
そう言って、ソウシは満面の笑みで力強く頷いた。
それだけのことなのに。
僕の胸の中、ずっと沈殿していた重い淀みが、フワッと一瞬で消えていくのを感じ、何故だか自然と涙が流れた。
——翌朝。
ソウシと二人で朝食を食べていると、ユイ婆が「またいつでもおいで」と声をかけてくれた。
「試験があるからすぐには無理ですけど、必ずまた来ます!」
そう答えると、目の前のソウシが露骨に顔を曇らせる。
「あーーーっ試験、あったな……」
「ちょっと。また赤点なんて取るなよ?」
「座学は苦手なんだよー」
「ふふ、よく喜多川に入れたよね」
「あの時はめっちゃ頑張ったんだって!」
ソウシが頭を抱えている。
「今度、勉強を見て……」
あげる……と言いかけて、常にソウシを独占したいイッセイの嫉妬深い顔が浮かんできた。
今回、僕がソウシの部屋に泊まったなんて聞いたら凄い目で見られそうだ——
「……今度07班の皆で、ここで勉強会をしてもいいかもね。ここは環境も良いし集中できそうだし。」
「マジで?助かる!」
「そうと決まれば、イッセイに月読神社で07斑のみんなでまた勉強会しないか?って誘ってみなよ。」
「イッセイに?そっかリーダーだもんな!ちょっと電話してみるよ。」
リビングの一角に、写真が並べてある。
そのうちの一つは若い女性で、ソウシと同じ顔をしていた。
それは、外国のニュースでたまに流れてくる『聖女』と同じ雰囲気で。
僕は何となく(だから光属性……)と納得した。
「イッセイが、近いうちに勉強会はするべきだ!って。俺の赤点を心配してたみたいだ。」
嬉しそうに僕に報告するソウシに、イッセイの機嫌が良くなった事が推測できる。
どうやら第07斑の崩壊の危機は免れたみたいだ……と肩を竦める。
「11 月は宿泊演習もあるし、その後は期末試験もあるよ!大丈夫?」
「あああ〜〜〜っ!!」
「ふふふっ」
窓の外は、澄み渡る秋の空。
僕らの笑い声が、温かい家に響く。
この週末は単なる魔法の修行以上の、心の一番深い場所を癒やす時間となった。
そして、この日を境に僕は自分のことを『俺』と言いはじめた。
誰の影響を受けたのかは、分かるよね。




