8月(3) 砂漠の国で
イッセイの回です。本日二回目の投稿。
【Episode:イッセイ】
空港のタラップを降りた瞬間、中東の凄まじい熱風が僕を襲った。
日本とは根本から違う、肺の奥まで直接焼けつくような、ひどく乾いた暑さ。
僕の父が赴任しているこの異国での一週間は、僕が『櫻川の息子』としての自分を嫌というほど再認識させられる、極めて事務的な時間だ。
滞在期間中は、父が招かれたあらゆるパーティーに同行し、周囲の出席者たちに
『ミスター櫻川の息子』『日本の高名な魔法学園に通う、高校生の見本』として認識させるための、人形に終始した。
そこに、僕自身の意志や感情などは必要ない。
当然、唯一の家族に会いに行くのだから、普通なら家族サービスとしてこの国の観光とか親子水入らずの時間を取るものなのかもしれないが……
あいにく、我が家にそんなサービスは存在したことはない。
誘拐や強盗などの類いに対する備えをしなければならない煩わしさを考えると、僕もそんなサービスは必要ないと思う。
それよりも、ゆくゆくは魔法省へ入りたいと思っている僕としては、
息子としての特権で、今から魔法省の面々やその家族に会える機会を得る事の方が重要だった。
「……イッセイ。一人暮らしには慣れたか?」
魔法省の一室。重厚な装飾の父の執務室で、珍しく僕の個人的な事を聞かれる。
父に反抗して、祖父の家での一人暮らしを強行している身としては伝えなければならないことを思い出す。
「フミさんを派遣して下さってありがとうございます。おかげで学校生活に集中ができ、学年首席を維持することも出来ました。」
と、静かに頭を下げた。
父は少しだけ驚いた顔を僕に向けたが、
「そうか。なら良い。明日はこの国の魔石採掘の現場視察の予定だ。学生対象の魔法省の特別措置だ、遅れる事のないように。」
「はい。この国の持つ豊富な魔法資源にどう深く関われるかの布石。これをチャンスとして、しっかり見学して参ります。」
僕の返事に、父の瞳が満足げに細められる。
(……今は、道の途中だ……)
僕は胸の内で、静かに、爪を研ぐ。
いま僕に必要なのは、父の持っているコネクション。普通の学生では体験出来ない世界の圧倒的な魔法技術と知識、そして人脈だ――
夏休みの最初に経験した『冒険者』の世界。
ゴブリンの群れに囲まれ、死が過ぎったあの瞬間を忘れる事が出来ない。
あれがソウシの向かおうとしている現実であるならば、僕は少しでも冒険者を守る力を手に入れたい……
漠然と将来は魔法省に入ると考えていたが、
長官を勤めた僕の祖父が、結界地域拡大の全国展開を推し進めたように、
僕は結界外部での安全制を高めたい……
——だけど。
今はまだ、口にはしない。
ただ従順で大人しい息子を演じ続けることこそが、未来において最も効率的な手段だと、僕は冷静に理解していた。
ただ……。
その僕の強い『意思』が、唯一崩れそうになる瞬間はあった。
この国は通信制限により、個人のスマートフォンでの外国への通信は、完全に遮断されているのだ。
習慣のように手元の端末の画面を眺めても、そこに表示されるのは、同じ国内にいる父の秘書である斎藤さんからの必要最低限の業務連絡事項のみ。
この国に来て幾日。
僕はソウシと一度も、ただの一度も、連絡が取れていない。
(……あいつは、今頃何をしているのだろうか)
急遽決まったこの旅は、夏休みの予定には入れていなかった。
だから、ソウシと二人で宿題をしようという約束が保留になったままだ。
僕の
『急に父の所へ行かなければならなくなった。一週間留守にする。すまない。』
の文章に、
『帰ったら連絡くれ』
とソウシからの返信。
何度も見返し、その度にやるせない気持ちになる。
体育科の友人たちに誘われていると言っていたから、今ごろどこかへ遊びに行っているのだろか……
何だろう。
胸の奥がじりじりと焦げつくような、形容しがたい不快な感覚に陥る。
だが、僕は決められたスケジュールを一日も違えることなく完璧にこなし、最終日の公式晩餐会まで終えた。
――――――――
日本へ向かう、帰国の機内。
飛行機がようやく国の領空を出て、
端末の通信制限が解除された瞬間、僕は はやる気持ちを抑えてスマートフォンを起動した。
通信が繋がった途端、ブブブブブとバイブの振動が止まらない。
通知履歴の件数は、凄まじいことになっていた。
『生徒会役員連絡網』
『サネツグ』
『トウワ』
『ジュリ』
等など
新しい順に表示された名前の羅列をスクロールしていき
――そして、下の方にようやく見つけた。
『ソウシ』の名前。
誰からよりも一番にタップする。
『元気か?マサ兄に誘われて、5日くらい神社の裏山で修行してくる! 電波入らねーから返事いらねーぞ! じゃあな!』
たった一通。それも、三日も前に送られたものだった。
「……マサ兄、と?」
ぽつりと呟いた自分の声が、驚くほど低く地を這っていた。
これほどまでに(早く飛行機を降りたい)と切実に願ったのは、生まれて初めてのことだった。
日本の空港へ到着し、ロビーに降り立ってからも、厳重な入国手続きにも、ターンテーブルでのスーツケースの受け取りにもいちいち時間が掛かり、その段階を踏むたびに、僕の胸の中のイライラは限界値を超えて募っていく。
マサ兄——
ソウシが初めて会った瞬間に懐いた、あのワイルドな冒険者。
僕が日本を離れている隙に、ソウシはあの男の懐に自ら飛び込み、今頃二人きりで、誰の目にも触れない裏山で汗を流しているというのか。
(……今すぐ、神社の裏山へ行きたい)
どす黒い独占欲が、僕の理性を完全に塗りつぶす。
今すぐヘリを手配すれば、ここから一時間で現地の神社に着く。と本気で考えて、僕は激しく頭を振った。
……落ち着け。
行ったとして、どうする。
ソウシは今、修行をしているのだ。
自分を高めるために純粋に努力しているソウシの邪魔をして、彼の負担にだけは絶対になりたくない。
——だが、一目だけでもいいから、今すぐあいつの顔が見たい。
僕の心の中で、二つの相反する感情が何度も激しくせめぎ合う。
その直後、新しく表示されたのは、生徒会の連絡網だった。
内容には
『文化祭の打ち合わせのため、明日10時、生徒会室へ集合』
という呼び出しが記されている。
僕はスマートフォンの画面を凝視したまま、ぐっと拳を強く握りしめた。
「……斎藤さん」
「はい、イッセイ様。いかがなさいましたか」
僕のすぐ隣を歩く斎藤さんが、返事をする。
「……いえ。これからの予定ですが。まずは一度屋敷に戻り、溜まっている学校のレポートをすべて今夜中に片付けます。明日は文化祭の打ち合わせで学校へ行きます。……その翌日、明後日にはソウシのいる神社へ向かうつもりですので、あちらで購入したお土産を、すぐに動かせるようにしてもらえますか?」
僕の早口な指示に、斎藤さんは表情一つ変えず、けれどすべてを察したように頷いた。
「かしこまりました。お屋敷には、家政婦のキクさんに今日から入ってもらっております。お土産一式も、明日中には確実にお屋敷の方へ配送されるよう手配を済ませておきます」
「うん。お願いします」
本当は、今夜にでもソウシの顔を見に行きたい。
笑顔のあいつの隣に、僕ではない他の男がいるところを想像するだけで、僕の視界は嫉妬で真っ赤に染まりそうだった。
けれど、ここで僕が自分の果たすべき役割を放り出してしまえば、ソウシに幻滅されるかもしれない。
櫻川の息子としても、生徒会役員としても『幻滅』の烙印を押されるのは嫌だ。
「……ソウシは、いつも僕の予想を越えてくるね……」
僕は、『マサ兄』への、どす黒い対抗心を静かに、激しく燃え盛らせた。
勉強熱心なイッセイの妄想は凄い事になってる気がする……(笑)




