8月(スピンオフ) ポーカーフェイス
家庭の事情的な、
イッセイバパの秘書の話です。
【Episode:秘書 斎藤】
某国 魔法省 執務室。
時差のせいで、窓の外は深い闇に包まれている。
私は手元の端末を静かに操作し、日本にいるイッセイ様との定時連絡を開始した。
空中にホログラムとして立ち上がるイッセイ様の姿を確認し、私はいつも通り、感情を一切排した事務的な声を響かせる。
「……以上が、先日のゴブリン遭遇事案に関する中間報告です。ギルドへの討伐依頼は既に受理されました。イッセイ様、しばらく結界外区域への立ち入りは学生冒険者であっても禁止となります。よろしいですね?」
私は、イッセイ様がお生まれになるよりも前から、ずっと櫻川家に仕えてきた。
大旦那様に拾われ、旦那様の学友となり、大旦那様の秘書を務め、あの方が亡くなってからは旦那様の秘書として、この家に寄り添う道を選んだ。
旦那様が海外へ拠点を移されてからも、日本に残したイッセイ様の進路、資産管理、生活の細事……そのすべてを完璧にこなすことこそが、私の存在意義だと自負していた。
そこに私情が入り込む余地などない――はずだった。
「斎藤さん。……少し、個人的なことを聞いてもいいですか?」
不意の問いかけに、私の思考が一瞬で停止する。
「……私に、でございますか。どうぞ、お答えできる範囲であれば」
冷静な声を保ちつつも、内心では激しく動揺していた。
イッセイ様が、私という存在に、個人的な関心を向けた事が今まであっただろうか。
「斎藤さんは、失礼だけど何歳なんだ? 昔からずっと変わらないし、いつも家にいた気がして」
親しげで、まるで本当の家族のような親愛が混じったイッセイ様の言葉。
冷徹な事務連絡の場にふさわしくないその温かさに、私は少しばかり衝撃を受けていた。
イッセイ様が、私という人間に興味を持たれたのはこれが初めてだと思う。
彼が、私をこれほど「近い存在」として意識を向けて下さった事に、胸の奥が妙に緊張する。
気づけば、私は自然に口元が綻んでいた。
完璧な秘書という仮面を被り続けるのが、馬鹿らしくなったのかもしれない。
「イッセイ様が私個人の事をお尋ねになられたのは初めてで、少々戸惑いました。……私は、お父上である旦那様と同級生ですよ。」
私は、話し始めた。
亡くなった使用人の子供である自分を、大旦那様が息子の友人となるべく生活も学校も、全て旦那様と同じように育てて下さった事。
大学を卒業後、旦那様と同じ魔法省に入省し、大旦那様の秘書になり。
大旦那様が引退される際、『不器用な息子を支えてやってくれ』と頼まれ、公私ともに櫻川家の雑事を請け負っている事など……
( 何かあれば『旦那様の盾』になるように言われている事は黙っていよう……)
イッセイ様は驚いたように、けれどどこか納得したように私の昔話を聞いていた。
そして、画面越しに真っ直ぐに私を見つめ、静かにおっしゃったのだ。
「……そうだったのか。考えてみたら、斎藤さんにはずっと世話になってるなと思って。……いつも、ありがとう」
——ドクン、と心臓が大きく跳ねた。
端末を握る指先が、わずかに震える。
これまでの十数年、どんな問題も、どんな圧力も、動悸を乱すことなどなかった。
それなのに……
たった一言の『ありがとう』が、私の胸の奥に強固に積み上げられていた「事務的」という名の壁を、無残なまでに崩し去っていく。
「……勿体なきお言葉です。私は、ただ大旦那様との約束を……いいえ」
私は一度言葉を切り、深く、深く頭を下げた。
そうしなければ、目頭の奥からこみ上げてくる熱い何かを、どうしても抑え込めそうになかったからだ。
——イッセイ様は変わられた。
かつての、あの機械的な問答ではない。
誰かを思いやり、こうしてまっすぐに感謝を口にできる「血の通った温かさ」を、いつの間にか身につけられていた。
「イッセイ様。貴方は、本当に良いお友達を持たれましたね。お顔つきが、かつての大旦那様に似てこられました」
それは、私が口にできる最大級の賛辞だった。
「……お爺さまに?」
画面の向こうで、イッセイ様が驚いたように目を丸くする。
「はい。今の貴方のお言葉、旦那様……お父上にも、いつか直接伝えて差し上げてください。きっと、お喜びになるはずですから」
通信を切る直前、私はモニターの向こうのイッセイ様へ、秘書としてではなく、成長を見守る一人の大人としての心からの笑みを向けた。
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通信が切れた後の、静まり返った執務室。
私はしばらくの間、椅子から動けずにいた。
喜多川魔法学園に通い始めて、イッセイ様は目に見えて人間らしくなられたと思う。
とくに——
報告書にある(月読ソウシ)という名の少年が、イッセイ様の機械的だった心に、一体どんな温かな魔法をかけたのだろうか。
いや——
喜多川魔法学園へ行きたいと、旦那様へ初めて自分の意見を通された時からかもしれない。
忙しい旦那様の負担にならないよう、我が儘一つ おっしゃる事のなかったイッセイ様の、記念すべき初めての反抗に、(喜多川への入学を)旦那様を説得した時の事を思い出す。
報告書にある、学園や家での様子を思い出し、ふっと自然に笑みが浮かぶ。
視界は涙で少しばかり滲んでいたが、次の業務連絡のための書類を整理し始めた。
翌日。
昨日までよりも柔らかくなったと旦那様に指摘され『何かあったのか?』と聞かれたが、
それは言わない事にした。
昔のように、旦那様が私の事でヤキモキする様子が面白かったから……かもしれない。
いつものポーカーフェイスで
「問題ありません。」 と答えると、この人は子供の頃と同じように分かりやすく口を尖らせる。
……大旦那様。
貴方がずっと危惧されていたイッセイ様の孤独は、喜多川へ行った事で終わりを迎えたのかもしれませんよ……
これでイッセイ君の下準備が出来たので、次は本編。今日、このあと見直しをして上げます。




