8月(2)その手をつかんで
ファンタジー強めです。
【Episode:トウワ】
息を切らして結界の内側へ逃げ戻ったあの日。
あの瞬間の安堵と、自分自身への失望。
寝ても覚めても、僕の頭はあの光景に支配されていた。
鼻を突く生臭い匂い、どす黒い緑色の肌。
落ち葉を踏む無数の足音。
囲まれていると気付いた時の、凍りつくような恐怖。
第07班のみんなも、いつも明るく空気を掻き乱すマナブでさえ、結界内に戻ってからも顔色が悪かった。
あれが『冒険者』が直面している現場——
学校でのダンジョン実習は、管理されている中での戦闘だったのだと思い知らされる。
体育科で実技が満点のソウシでさえ『何も出来なかった』と言っていた。
だけど、僕が何よりも恐怖したのはゴブリンの脅威よりも――
自分自身の怠慢に対してだ。
あの時、僕の自作の魔獣探知機は確かに反応していたのに……
到着してからずっと続くその信号に、僕はそれを魔獣の棲息エリアだから過反応しているのかと都合よく結論づけ、思考を放棄して見過ごしてしまったのだ。
本当は結界エリアを出てすぐから、ゴブリンたちに見張られていたのかもしれないのに。
僕の慢心が、みんなを殺しかけた……
その事実に胸が苦しくなる。
あの時、マナブの叔父さんであるマサヨシさんがいなければ、僕たちは今頃どうなっていたか。
自分の未熟さが、心の底から情けなくてたまらなくなる。
「……設計から、全部やり直しだ」
あの日から、僕は自室に引きこもり、寝食を惜しんで研究に没頭している。
机の上に設計図を広げ、感知精度を極限まで上げるための計算式をノートに書き殴る。
——寝る時間が惜しい、食事を取る時間ももったいない。
ドアの向こうから母さんが、何度も何度も声をかけてくるけど、今の僕にはそれに応える余裕すらない。
このままじゃあ、僕の魔導具でまた第07班のみんなを危険に晒してしまう……
それだけは――絶対に嫌だ。
朝も昼もなく自室に篭って数日目。
突然、大きな音を立ててドアが開いた。
「トウワ! 生きてる?!」
「……っ!? マナブ!!」
ズンズンと窓へと向かうマナブは、何の断りもなく勢いよくカーテンを開けた。
眩しい夏の太陽の光が、薄暗い部屋を強烈に明るく照らす。
「ほらっ! トウワ、水分補給!」
いつもの笑顔で幼馴染が、ペットボトルを差し出してくる。
急に部屋が明るくなって、日が昇っている時間であることに身体が驚いているようだ。
「おばちゃん心配してたよ」
なかなかペットボトルを受け取らない僕に、マナブは勝手に蓋を開けると僕の口元に持ってくる。
その動作が、動物に対しての『お世話』的なものに感じて、僕は無理矢理マナブからペットボトルを奪うと水分を流し込んだ。
「トウワ! 今日は絶好のお出かけ日和だよ。デートしよ、デート!」
「僕は忙しいの。勝手に行ってよ」
「えーっ、もうおばちゃんに許可も取ったし、ほら着替えて着替えて!」
言いながら無理矢理、僕の服を脱がそうとするマナブの強引な態度に、いつものように根負けする。
この人は小学生の時もそうだった……と思い出す。
学校で嫌な事があった時期に、たまたま貰った魔導具に夢中になった。
来る日も来る日も部屋に閉じこもって、夢中になって魔導具をいじくっていると嫌な事も忘れていられた。
そんな時、マナブは今日みたいに部屋のドアをぶち破って『みんなと遊ぼうよ!』と、無理やり外の世界へと連れ出してくれ、孤立しないように立ち回ってくれた。
昔からマナブは、僕が沈むと、こうやって強引に光へと引っ張り出そうとする。
この幼なじみに捕まったら、抵抗するだけ無駄な事も知っている。
根っからの親切心でやっているから悪意がない、しかも変なところで頑固だ。
そして、そんな彼が嫌じゃない自分の気持ちも、僕はちゃんと分かっている。
「どこに行くの?」
「僕の原点!」
「ああ……」
それだけでどこに行くのか理解出来た。
——マナブの原点。
原点に向かうという事は、マナブの中でもこの前のゴブリンとの遭遇は、何らかの『影』を落としたのだと思われた。
コイツは絶対に言わないだろうし、僕も言わないけどね……。
電車に揺られ、連れてこられたのは案の定『国立動物園』だった。
ゲートを抜けると肌を刺すような、夏のじりじりとした太陽の光。
なるべく木陰を選びながら、大人しい小動物エリアを抜ける。
草食動物の飼育エリアを眺めながら、マナブがいつものように動物の雑学話を聞かせてくれる。
歩調はゆっくりで、マナブが僕に気を遣って歩いてくれていることが嬉しい。
いつものように大きな鳥籠のような施設に入ると、色とりどりの鳥が間近で観察できるエリアになる。
しっかり空調が効いた室内だけど、まるで森林公園を散歩しているような気分になるこのエリアは僕も好きだ。
木漏れ日の中で鳥たちの鳴き声を聞きながらゆっくり歩けるし、疲れたらベンチに腰掛けて休憩も出来る。
夏休みということもあって、小さな子供たちも木々の間を走り回っていた。
「そういえば……マナブが不法侵入したのも、あの走ってる子供くらいの年でしたよね?」
「もう! 不法侵入って言わないでよ。いや不法侵入なんだけどさぁ、迷ったの!」
「ふふふ……」
二人で顔を見合わせて笑う。
僕とマナブの二家族で訪れたこの動物園で、小さなマナブはこのエリアで迷子になった。
そして信じられない事に、この鳥エリアの奥、ドラゴンの飼育エリアに迷い込んでしまったのだ。
強固な結界と分厚いアクリルに囲まれ、飼育員の目もかい潜り……。
グリーンドラゴン『風神龍姫』の目の前に立ったマナブに、観客は騒然となったらしい。
そりゃそうだ——。
飼い馴らされているとはいえ、捕食対象でありえる人間の子供がちょこまかとドラゴンの鼻先に現れたら……。
想像しただけで身震いがする。
中で一体何があったのか、マナブは僕にも詳しく教えてくれないから分からない。
けれど、マナブは傷一つなく無事に戻ってくることができて、その後、動物園の警備はめっちゃ厳重になったそうだ。
あの時の事があって、マナブは再びグリーンドラゴンの側に行く方法を考えて『ドラゴンの飼育員になる』夢を持ったのだから、きっと怖い思いはしていないと思う。
隙間のないアクリルと認識ゲートを抜けて、警備員の前を通りすぎ、グリーンドラゴンが何故この動物園に来たのかを説明した映像の浮かぶ壁を眺めながら通路を進むと、マナブの原点『ドラゴンの飼育エリア』だ。
「久しぶり、フーミン!」
マナブがアクリル越しに手を振ると、目を閉じていた巨大な緑の鱗を持つメスのドラゴンが、ゆっくりと顔を上げて僕たちに顔を向けてきた。長命なドラゴンは、僕たちが子どもの頃からちっとも姿が変わっていない。
「ここに来るとさ、自分の目標を思い出すんだよね」
「ドラゴンの飼育員になること?」
「うん。それもなんだけどさ。フーミンにね『大切な人を守れる強さを持て』っていつも言われているんだよね」
「え……っ?」
「フーミン! 僕、もっと頑張るね!」
僕の疑問に気付きもしないで、マナブは『風神龍姫(フーミン ←マナブが勝手にそう呼んでいるだけ)』と心を通わせているように見える。
——なんだ? フーミンにいつも言われているって……。
思い込み?
だけど、マナブが手を伸ばした先に、顔を近づけたグリーンドラゴンの表情は穏やかで、こんな素振りをするドラゴンは他に知らない。
「トウワ……ちょっとごめん!」
マナブはそう言うと、急に僕の手を掴みしっかりと指を絡ませてきた。
「何を急に……!」
『マナブの番……我は風神龍姫 フーミンと呼んでたも……』
——突然、頭の中に女性の声が響いた。
辺りを見回すけど、誰もいない。
『ほほほ……可愛らしい』
どう考えても……目の前のグリーンドラゴンが話しかけてきているとしか思えない。
「トウワ。これは秘密ね。僕と繋がっていればフーミンと意思の疎通が出来るから」
「……ありえない。いや、マジか……」
『御主らが遭遇したゴブリンじゃが、あやつらの頭は良くないのでのう……探知精度を上げるより、認識阻害の研究をした方が効率的じゃぞ……』
「え……っ……」
『認識阻害』の一言にハッとなる。
再び視線をフーミンに向けると、満足したかのようにゆっくりと首を元の位置まで戻し目を閉じた。
いつものように眠ってしまったようだ。
「フーミン! また来るねー」
マナブが大きく手を振る。
僕は今起こった事に、ドキドキが止まらない。
——だけど……。
「フーミン! ありがとう!! 僕、頑張るよー!」
僕も一緒に大きく手を振った。
フーミンには聞こえているようで、尻尾を僅かに動かして応えてくれた。
たまらなく可愛い——。
「トウワ、行こうか!」
いつものマナブのまっすぐな瞳、優しい笑顔。
僕の心は初めて魔導具に触れた時のようにワクワクしていた。
(認識阻害……! そうか、その手があったんだ!)
ただ闇雲にこちらの探知精度を上げるだけじゃ駄目だったんだ。あいつらの目を欺き、気配を隠せるシールドを装備すれば、不意打ちなんてそもそも喰らわない。
脳内で、完全に詰まっていた答えが、まるでパズルがはまっていくみたいに急速に湧きだしてくる。
職人魂みたいなものが、体の奥底から猛烈に沸き立つのを感じた。
一刻も早く家に帰りたい。
机に向かって、この溢れ出るアイデアを形にしたい!
「ほら!マナブ、急ぐよ! 次の電車で帰るよ!」
「えっ? トウワ、急にどうしたの?」
今度は僕が、マナブの手をぐいっと引っ張って歩き出す。
今朝までの引きこもり生活が嘘みたいに、足取りが軽い。
世界がこんなにも輝いて見える。
マナブは目を丸くしていたけれど、すぐにいつもの嬉しそうな、優しい笑顔を浮かべた。
「ふふふ。フーミンに相談して良かった。トウワがキラキラしてる! じゃあ、帰りますか!」
呆れるくらいに真っ直ぐで、太陽みたいに温かい幼馴染。
ふっ……と、忘れかけていた疑問が浮かぶ。
「そういえばマナブ。フーミンが僕のことを番って言ってなかった?」
マナブは一瞬、驚いた顔をしたものの……
「気にしない!気にしない!」
と、いつもの笑顔で手をギュッと握り返してくる。
(まぁ、いいか!)
マナブの大きな手を引きながら、
僕は頭の内で、新しい魔導具の魔法式を思い描いてワクワクしていた。
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