6月(3)雷鳴と心音
【Episode:イッセイ】
空は、朝から不機嫌な灰色だった。
放課後の生徒会室。
僕は、『全国高校魔法競技大会』に向けた横断幕の草案を、ソウシの前に差し出した。
「ソウシ、これを筆で書いてくれないか? 多目的棟の上から掲げるのだが、君の筆跡なら、代表選手たちの士気を高められると僕が推薦したんだ」
「えっ、俺!? 特進の奴らとか、もっと適任者がいそうだけど……」
「僕はソウシの字が好きだから適任だと思ったんだ。……ソウシ。お願いできないだろうか」
僕が真剣な眼差しを向けると、ソウシは圧倒されたように瞬きをしてから、
「イッセイがそこまで言うなら……よし、分かった!」
と、自分の胸をポンと叩いた。
そうと決まれば早速、と。
僕らは必要な備品を取りに、グラウンドの北端にある古い倉庫へと向かった。
だが、倉庫まであと数十メートルというところで、
急にバケツの底が抜けたような、激しい雨が降りだした。
「うわっ! マジかよ! 走るぞイッセイ!」
ソウシが僕の手首を掴み、猛然と走り出す。
錆びついた倉庫の扉をこじ開け、僕らが中に滑り込んだ瞬間――
背後で雷の轟音が響き、グラウンドが真っ白に染まった。
「マジか? 落ちたのか、今の」
「しばらくは、グラウンドを通るのは危険だな。ここで雨宿りすることにしよう」
倉庫の中は薄暗く、埃とカビ臭い匂いが立ち込めていた。
光は、高い位置にある小さな窓から差し込む、わずかな灰色の光だけだ。
「……しっかし、すげぇ雨だな。一瞬でびしょ濡れだ」
ソウシが頭を豪快に左右に振る。
濡れた髪からしぶきが飛び散り、水滴が僕の顔にもかかる。
「まったく。犬じゃないんだから……」
言いかけて、僕は息を呑んだ。
ソウシの、雨に濡れた白いシャツが、薄い肌にぴったりと張り付いている。
その下にある、しなやかな身体の輪郭が、淡くカタチ付いた乳頭が、卑猥に浮かび上がっていた。
(……見すぎだ。目を逸らせ)
己の理性に厳しく命じるが、視線がどうしても吸い寄せられて動かない。
「へっ……ハクションっ!」
くしゃみをする、ソウシ。
「……っ、寒ィ……」
「寒いのか?」
僕はポケットから取り出したハンカチを、震える指先でソウシの頬に当てた。
皮膚の柔らかさと、温かな熱が指先を通じて伝わってくる。
その時、再び体に響くような大きな雷鳴が轟き、倉庫の影を激しく揺らした。
「わっ!?」
反射的に身をすくませたソウシを、僕は考えるより先に、腕の中に強く抱き寄せた。
突然抱きすくめられた驚きからか、ソウシが小さく身を固くする。
「……少しの間だけ、こうしていよう。体温が逃げる」
それは、彼を冷えから守るという体裁を借りた、僕の汚い欲望だった。
理性の境界線が、音を立てて軋んでいく。
生身の人間の、確かな温かさと、しっかりとした筋肉の感触。
さらに力を込めると、明るい色の髪の毛が、僕の胸に押し当てられた。
ドクンドクン、と僕の心臓が跳ね上がる。
【Episode:ソウシ】
世界を真っ白にするような激しい雷光が、倉庫の闇を一瞬だけ強烈に照らし出した。
雷のあまり近さに、強く目を閉じる。
次に目を開けたとき、
俺の視界は、イッセイの胸元で完全に塞がれていた。
回された腕の、あまりの強さにいつもなら、
「もう!苦しいよ!」と笑い飛ばすのに……
なぜか、指先一つ動かせない。
(イッセイの手が、めちゃくちゃ熱い……)
耳元で聞こえるイッセイの呼吸が、深く、重くて。
外の雷が鳴るたび、びくっと肩が動く俺を、イッセイはさらに強く抱きしめてくる。
まるで、小さな子どもを宥めるように……壊れ物を扱うような慎重さで。
大切にされていると感じて、心がフワフワする。
「……お前、いつもいい匂いだな」
自分の動揺を隠したくて、口にした言葉だった。
だけど、吐き出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。
耳をイッセイの胸に付けると、
『ドクン、ドクン』
激しい鼓動が、ダイレクトに響いてくる。
(イッセイの心臓の音……)
そのあまりに早い鼓動に誘われるように、俺は両手をイッセイの背中に回した。
指先から伝わる、自分よりも一回り大きな体の厚み。
逞しい背中の筋肉。
今まで何度も肩を組み、バカみたいにふざけ合ってきたはずなのに。
服越しに伝わるこの熱も、混ざり合う心臓の音も、今まで知っていた『友達』のそれじゃない。
イッセイの心臓が、俺の心臓と重なる。
「……イッセイ。心臓、うるさいぞ」
「……君のせいだ、ソウシ」
低く、鼓膜に直接響くイッセイの声に、顔が熱くなる。
俺はイッセイのシャツをぎゅっと掴んだまま、逃げ場のない腕の中で、じっと目を閉じた。
外の雷鳴がどれだけ激しくなっても、この腕の中にいれば怖くない。
むしろ、止んでほしいはずの雨が、このままずっと止まなければいいのに――。
初めて知ったその気持ちは、カビ臭い倉庫の空気さえも、心地よく変えていくようだった。




