6月(2)体育祭のシンデレラ
【Episode:イッセイ】
梅雨入り前の重い空気を吹き飛ばすように、
喜多川魔法学園の、体育祭が幕を開けた。
一年生で生徒会に引き込まれた僕の朝は、下っ端としての雑用から始まった。
「イッセイ!グラウンドの防護結界の杭が足りない! 倉庫から運んで!」
「はい、分かりました!」
中学三年間を生徒会に捧げた経験があるとはいえ、高校の規模は桁違いだ。
次から次へと舞い込む仕事に、さすがに息が上がる。
「……はぁ、非効率だね。その杭、僕が魔力パスを繋いでおくから、叩き込まなくても自律起動するよ」
慰めるように声をかけてきたのは、体育祭実行委員になっているトウワだ。
工学科の一年生ながら、彼の魔道具の精密さは既に教師陣にも認められており、特例として「他の全競技に出なくても良い」という条件で、この設営を任せてもらったらしい。
ソウシと並んで「学園の姫」などと一部で崇められる顔を持ちながら、本人は周りの視線に『無視』を決め込んで、全く気を向けることなく工具を片手に魔道具を弄っている。
「助かるよ、トウワ。……ソウシの方はどうだ?」
「見てみなよ! 全学年の男たちが、獣みたいな目で群がってるから」
トウワが指差す先を見て、僕は小さく奥歯を噛み締めた。
グラウンドの向こうでは、体育科のソウシが生徒たちに囲まれていた。
「月読くん、これ飲みなよ!」
「ソウシ、次の種目も応援してるぞ!」
「あはは、ありがとうございます! 俺、頑張ります!」
お世辞にも上品とは言えない男たちの中で、屈託なく笑うソウシの「無自覚な人たらし」ぶりは、もはや災害に近い。
見ているだけで胸の奥がチリついた。
一方で、もう一人の美少年と評されるジュリの周囲には独特のツンドラ地帯が形成されていた。
「……ジュリ、今日も綺麗だね」
通りすがりの生徒が挨拶の如く声をかけた瞬間、ジュリの周りの空気が凍りついたのが分かった。
「……はあ? 二度とその言葉を僕に言わないで」
射殺さんばかりの視線。
彼は自分の顔立ちを、激しく嫌悪しているのだ。
「ジュリ、落ち着け。……次のプログラムの案内を頼む」
すかさず僕が間に入ると、ジュリはさっきまでの冷徹さが嘘のように
「……分かった」
と、借りてきた猫のように氷を引っ込め素直に頷いた。
顔のことを言われても動揺しなくなれれば、優秀な奴なのにな……
――競技が始まると、さらなる混乱が学園を襲った。
『障害物競走』で、普通科のマナブが、風魔法でコース上の障害物を文字通り全てなぎ倒してしまったのだ。
あまりの暴風に、マナブ以外の生徒は一歩も前に進めず、結局、彼一人が悠々とゴールするという珍事になった。
当然、観客席からは大ブーイングが沸き起こり、この騒動のせいで
『来年度からは魔法の使用を禁ずる。己の肉体のみで完走すること』
という、新たな校則が爆誕する羽目になってしまった。
コントロールは二の次とはいえ、その魔力の凄まじさには、僕も目を見張った。
だが当の本人は、
「風に乗れば早く走れるし、障害物も軽く飛び越えられると思ったんだけどなぁ」
と、眉を下げて頭を掻いている。
そんなマナブに対し、トウワが、
「……マジで、あんたは『熱』がある時の方がコントロール良いんだから」
と、呆れたように呟いていたのが、妙に印象に残った。
――そして、午後の競技メインイベント。
最終種目である、『学年学科対抗リレー』が始まった。
同じ学科の最速メンバーが学年の縛りを取っ払い、科のアピールを兼ねて競い合うこの競技。
だが、なぜかアンカーにだけ課せられる『くるぶし丈のロングスカート着用』という不可解な伝統。
それゆえに番狂わせのハプニングも多く、毎年盛大な盛り上がりを見せる、喜多川の名物競技だ。
体育科のソウシは、事前の選考会で同学年の体育科のみならず、他の学年の並み居る選手たちをごぼう抜きにして、見事アンカーに大抜擢されていた。
『長尾先生が(夜のグラウンドで一緒に星を見た時に)そんな伝統のことを言っていた……気がする 』
と、思い出したのは、選考会がすべて終わった後のことだったらしい。
花柄やチェック柄のスカートが乱舞する不思議な選手控え室のテントで、
ソウシは「柄だけは絶対に嫌だ!」と断固拒否し、
結果として、光沢のあるシンプルな「白」のスカートをあてがわれていた。
「……イッセイ、これマジで履くのか?」
着替えを手伝う生徒会の面々の中で、僕は迷わずソウシの担当に進み出た。
ソウシは完全に怯んだ様子で、純白のスカートを手にしたまま、すがるように僕を見上げてくる。
そんな顔をされると、可哀相な気持ちが湧き出し調子が狂う。
が、僕は強い意思できっぱりと頷き、ソウシのスカートを頭から被せた。
「伝統だから諦めろ。せめて僕がウエストをきつめに締めてやる。走っている最中に脱げたら、それこそ恥ずかしいからな」
スカートのゴム紐を、彼の引き締まった腰に食い込むほど力一杯絞り、固定する。
きつく締めたことで強調された、華奢なウエスト。
そして、純白の裾から覗く、しなやかで細い、けれど確実に鍛え上げられた筋肉質な足。
至近距離で、ソウシの身体に触れている僕の手のひらは、熱く火照っていた。
レースが始まればそこは、それぞれの科の意地がぶつかり合う阿鼻叫喚の地図絵図だった。
科を対抗しての本気の走り、熱の入った応援。
だが、第四コーナーを回って、ソウシがバトンを受け取った瞬間。
グラウンドの空気は一変する。
ソウシは長いスカートの前面を両手で大胆に掴み上げ、泥を激しく跳ね飛ばしながら疾走した。
白い布が風を孕んで大きく膨らみ、午後の強い陽光を反射して眩しく輝く。
他を圧倒する速度で独走していく、その小さな背中。
「シンデレラ……」
誰かの呟きが聞こえてきた。
それはまるで、魔法が解ける前に城の石段を駆け下りる――
『シンデレラ』のように見えたらしい。
「ソウシっ!」
気づけば、喉が張り裂けんばかりの声を出していた。
なりふり構わず、ただ真っ直ぐにゴールを目指して駆けるその姿が、
あまりに気高く、
そして圧倒的に美しかったからだ。
一位でゴールテープを切った瞬間、ソウシはその場に派手に倒れ込み、
「あー! 恥ずかしかった!」
と、息を切らしながらも、楽しそうに声を上げて笑っていた。
――――その日を境に、
学園内でのソウシの二つ名は『姫』から『シンデレラ』へと変化した。
…………僕は知っている。
あの瞬間、
あの広いグラウンドにいたすべての人たちが、
たった一人のシンデレラに心を奪われていたことを。
でも、そのシンデレラのウエストをこの手で締め、
捲れたスカートから覗くスラリとした足を、一番近くで見たのは自分だ。
――ドス黒い強烈な独占欲が、僕の胸の奥に燃え上がる。
「……似合ってたぞ、ソウシ」
「うるせーよ、バカ!」
照れ隠しに笑い合う僕らの頭上に、
夕立を予感させる雲が、ゆっくりと広がっていった。




