『父の話』 彼は幸せを手に入れる
瞼の下から現れた彼女の瞳は、サファイアのような深みのある青い色をしていた。
「私は、【スピリチア・水星の水銀】。差支えなければ、貴方様のお名前をお聞かせいただきたいのですが……」
女神は、声まで女神でした。柔らかなソプラノに思わずうっとりしていたら、「貴方様?」と不思議にそうにされてしまい、
「あ?! ひゃいっ。僕は、デニス・アスマン──セントール学園で魔道具講師をしてる……」
裏声が出た。
かっこ悪いと気恥ずかしく思いながら、名乗れば、彼女はにこりと微笑み、
「デニス・アスマン様……。本日、ただ今を持ちまして、貴方様が【古書の迷宮】の主人となられたましたこと、心よりお喜び申し上げます」
「は?」ナンダッテ?
「同時に、その左腕にございます【水星の水銀】の所有者になられましたこともご報告申し上げます」
「は?」オーナー? 【水星の水銀】?
デニスは、自分の耳がおかしくなったのかと思った。
【水星の水銀】は、数ある【星界の魔神器】の中でも特に有名な【宙の七惑星】の1つだったはずである。そのランクは、神話級。伝説級と言われる【星座の楽曲】よりも、さらに上の【魔神器】である。
何もかもが突然すぎて、理解が追いつかない。石像にでもなったかのような気分になりながら、デニスは目の前の美女が何者で、名前は何なのかを、片言でたずねてみた。
美女は不思議そうに首を傾けながら「私は【スピリチア・水星の水銀】です」と答える。
「えっ? それが、君の名前?」
「はい」
名前ではなく、役職名のようなものだとばかり思っていたのだが。顔だけ前のめりにさせて、もう一度たずねれば、まさかの肯定が返って来る。
「そっかー……そうなんだ……」
それは名前じゃない。デニスの正直な感想だが、本人がそう言っている以上、否定はしなかった。国が違えば言葉の意味も変わる。時代とともに言葉の意味も変わる。
「我々【スピリチア】は、【宙の七惑星】という欠陥品を補うために生み出され、所有者のサポートを行うため、この姿と言葉を与えられました」
「は? 【宙の七惑星】が欠陥品!?」
かくんと顎が落ちる。
そんな話、聞いたこともない。魔道具講師を勤めるにあたって、【星界の魔神器】のことは、一通り調べた。名前こそ数々の文献に登場するものの、その形状やどんな道具なのかについては、あまり記述がみられなかったが──
「単位が違うと申しましょうか……要は威力が強すぎるのです」
例えば、デニスがホーンラビットを倒すのに必要な力を5と判断したとする。この時、単位は恐らくキーロ。しかし、【水星の水銀】は、5キーロではなく、5トゥンだと判断する。
「何だそれ」
「全くです。当然、ホーンラビットは原型をとどめていないでしょう。どころか、使い手である貴方様の御身体もただではすみません」
そりゃそうだ。5キーロだと思っていたら、5トゥンの反動がくるのだ。身が持つわけがない。
「その差に気付いた時には、もう修正は不可能だったため、代わりに作られたのが私たち、スピリチアなのです」
仕組みについても丁寧に説明してくれたが、デニスには何となく、こういうことかな~という程度でしか理解することができなかった。古代の魔道具技師の技術は、現代をはるかに上回るものだったようである。
「えぇと……つまり、僕の血を解析して魔力を媒介に僕の精神というか、心とリンクさせることにより、ほぼタイムラグなしで僕の思考を読み取り、それに相応しい行動をこの【水銀】に取らせることができる……ということで良い?」
「はい。おっしゃる通りでございます。ただし、普段はリンクしておりませんのでご安心を」
何だかもう、規格外すぎて頭がついていかない。彼女が言うには【星座の楽曲】こそ、【星界の魔神器】の最高峰なのだそうだ。デニスには、肯定も否定もできなかった。
「……とりあえず、分かること、できることからしていこう。まず【スピリチア・水星の水銀】。君のことは、メルと呼ぶことにするよ。【スピリチア・水星の水銀】なんて、長くて呼びづらいし、他人が聞けば何だと思うだろうから」
「貴方様がそうおっしゃるのであれば、私は従うだけです」
嫌がられなくて良かった。もし、嫌がられたりしたら、言葉を尽くして納得させるしかないのだが──デニスにしてみれば、難易度A級くらいの難しい案件である。
【古書の迷宮】の攻略に人生の半分くらいを費やして来たデニスの人生は、女っ気のないものだった。だと言うのに、いきなりこんな、女神かのように美しい女性が目の前に現れ、「貴方様」なんて、柔らかなソプラノで話しかけてくるのである。体はカチコチ。心もガチガチ。おまけに、彼女の口から飛び出てくる、書物の中だけのものだった単語の数々に、脳みそもグルグル大回転。回転しすぎて、一部機能がマヒしているとしか思えなかった。
「それから、ここを出たら宿を取って、退寮手続きをして、新しい家を手配してもらって──いや、その前に冒険者ギルドで身分証を作った方が……」
「宿? 退寮?」
単語を口にすることで、言外にどういうことか、とたずねてくるメル。デニスは、学園の事務所は開いてたかな? と思いながら、
「僕が住んでいるのは、セントール学園の独身寮なんだ。異性を部屋に泊めることは禁止されているんだよ。君、女性にしか見えないからね」
人間の女性ではないからオッケーという、理屈は通らない。人は、見た目で判断してしまう生き物なのである。
このことは、当然のことながら、デニスの人生を大きく変えた。
【宙の七惑星】の所有者となったこと。【古書の迷宮】の主となったこと。この2つについては、自分たちだけの秘密にすることにした。
公にすれば、厄介事が一生ついて回る気がしたからである。
「記憶喪失……?」
「はい。自分のことは何も思い出せないのです。メルという名前も、デニスさんに付けていただいたものです」
彼女のことは、【古書の迷宮】にいた、謎の美女として冒険者ギルドに届け出ることにした。変に嘘を重ねるよりも、本当に知られては困ることだけを隠し、他のことはきちんと伝えることにしたのである。
「……信じられないけど……俺のギルド職員の勘が嘘じゃないと告げてるんだよなあ……」
当然、メルがこの街で生まれた記録も、この街へ入ってきた記録もない。色々と検査や聞き取り調査などが行われたが、最終的には問題なしと判断された。
デニスが、メルと出会ってから2年後、2人は夫婦として正式に籍を入れる事になる。
その翌年には、長女ヴェロニカが生まれ、デニスの周りは賑やかになった。
ダンジョンを攻略したら、嫁を手に入れた。
ウソのような本当の話である。




