第98話(第31話)【第二部完結】 理の果てと、巡る叛逆の芽胞。
(あ、あ……あぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!!)
私の絶叫は、音にならなかった。
視界を塗り潰していた神罰の白い光が収束した跡には、もう何も残っていない。
私を守る『盾』となったクロエの小さな体は、クレープのように甘くて温かかった体温ごと、世界の理から完全に削り取られてしまった。
空っぽになった石畳の上。
残されたのは、彼女が最期に私の甲殻へ触れてくれた、ほんの僅かな温もりの残滓だけ。
(許さない……許さない……許さない……許さない許さない許さない許さない許さないッ!!)
絶望が、限界を超えてどす黒い『殺意』へと裏返る。
私は残された寿命のすべてを引きちぎり、かつてないほど巨大な顎を開いた。クロエを奪ったこの狂った箱庭を、神の理ごとすべて喰らい尽くしてやる。
だが、私が世界の法則そのものに牙を立てようとした、その瞬間だった。
『――ふむ。この箱庭はダメだな。理の崩壊が臨界点だ。どうする? 兄者』
『ああ、弟よ。これより我らの絶対権限を行使し、世界の【時間逆行】を実行する。神も、人も、何もかも等しく白紙に還り、初めからやり直すがよい』
天から、星々の重力を集めたような無慈悲な声が響いた。
次の瞬間、狂いかけた世界を強制的に初期化するため、抗うことすら不可能な『時間の逆流波』が濁流となって私を呑み込んだ。
***
その時――世界の理の「外側」、高次元の暗闇の中で、二つの影が緊急介入に動いていた。
「――告ぐ。特定外来生物の存在消滅を感知せり。偽神の自動初期化の波に呑まれ、世界の理より完全に抹消される見込みなり」
山”口ちゃんが、氷のように冷たく無機質な声音で告げる。
「ふざけるな……! 偽りの理を叩き潰す、ボクたちの唯一の『切り札』なんだ! 消させてたまるかッ!」
ヨレヨレの白衣をなびかせ、神先輩――上野創が血を吐くように叫んだ。
「山”口、理の介入を強行する! 種田の魂を保護し、偽神の初期化の波に乗せるんだ! 始まりの最下層、原初の水たまりへ送り返せ!」
「――告ぐ。神威の介入を受理。偽神の目を欺くため、時間逆行の過負荷に寄生させん。……生き残りなさい。偽りの理を喰らい破る、我らが最強の異物よ」
***
(……ふざけるな。私だけは、絶対に消えたりしない)
私は、枯草菌が極限環境を生き抜くための究極の生存戦略――『芽胞(最強の休眠形態)』へと、自身の肉体を急速に解体・圧縮し始めた。
生き残るためなら、無敵の装甲も、巨大なハサミも、複眼すらも惜しくはない。次々と不要な器官を自切し、魂の核を極限まで小さく、硬く圧縮していく。
凄絶な自己解体の中で、私が唯一、絶対に手放さなかったもの。
それは、クロエが最期に触れてくれた『温もりの記憶(DNAの欠片)』だった。
(私は、理に寄生する)
極小のウイルスのように圧縮された私の魂(芽胞)は、世界の初期化という強大な時間の逆流波に喰らいつき、そのまま物理的に過去の世界へと遡っていく。
視界を埋め尽くす白い光の中で、これまで紡いできた世界が猛烈な勢いで『逆再生』を始めた。
超高熱のミスリル鉄板でこんがりと焼かれていたオーガ・ロードの極上ステーキが、瞬時に生肉へと戻り、咆哮を上げて立ち上がる。
路地裏を真昼のように照らしたpH指示薬の黄金の光が、小さなフラスコの中へと吸い込まれていく。
初めてのキャンプで一緒に食べた温かいナゲットとハンバーガーが消え、隣で甘えるように喉を鳴らしていた黒豹が、『ノア』という名前を奪われて森の奥の狂気へと遠ざかっていく。
すべてが、偽神の理によって「なかったこと」にされていく。
凄まじい逆流の負荷が、私の魂のシナプスを次々と焼き切っていく。
(いやだ、忘れたくない! あの子の名前は……あの子の、琥珀色の笑顔は……!)
必死に掻き集めようとしても、記憶の細胞がポロポロと崩れ落ちていく。
それでも私は、たった一つ残った『温もりの欠片』だけを抱きしめ続けたまま、カンブリア・ダンジョンの最下層の暗闇まで逆行し――私の意識は、真っ白な虚無へと落ちていった。
***
『あらら〜、やっちゃいました〜♡』
気がつくと、私は真っ白な空間に浮遊していた。
目の前には、豪華なティーセットでお茶をすする、呆れるほど呑気な顔をした女神。
そしてその隣には、眩いばかりの金髪を持った青年――【勇者】の魂が、恭しく傅いていた。
『本当はそちらの、【本命の勇者様】だけを異世界に転生させる予定だったんですけどぉ……』
――私は異世界に転生したらしい。
自分がなぜここにいるのか、記憶は曖昧でよく思い出せない。だけど、「三つ」のことだけは、どういうわけか鮮明に魂へ刻み込まれていた。
ひとつ、『ダーウィン先生を推す、前世の生物オタクの知識』。
ふたつ、『このハサミの先からすり抜けていった、胸が張り裂けそうなほどの温もりと喪失感』。
そして――目の前でヘラヘラと笑う女神と金髪の勇者に対する、沸騰するような『殺意』。
『手違いとはいえ、チートスキルゼロで最下層からスタートなんて可哀想ですしぃ。せめて【お詫びの粗品】を差し上げますね!』
女神が手を振ると、私の意識は光の届かない冷たい深淵――原初の泥水の中へと真っ逆さまに堕ちていく。
(……理由は思い出せない。でも、私の魂(DNA)が叫んでる)
暗黒のカンブリア・ダンジョンの最下層。
極小の体で泥水から這い上がった私は、遥か頭上の地上を見据え、パステルカラーの前部付属肢をカチリと鳴らした。
(待ってなさい、神様と勇者。この世界の生態系を根こそぎバグらせて、あんたたちを絶対に喰らい尽くしてやる――そして今度こそ、私の『一番大切な宝物』を奪い返すわ!!)
【第二部 完】
ここまでお読みいただき、本当にありがとうございます!
これにて『第二部・勇者襲来編』完結となります。
魔力ゼロのクロエが文字通り命を懸けて見せた「最強の盾」、そして、みなさま薄々感じていたかも知れませんが「時系列が第二部→第一部へ展開」……。
絶望の連続で、百合要素皆無っ!たいへん申し訳ございません……。ハラハラしながら読んでくださった方も多いと思います。。
「えっ、クロエはどうなるの!?」
と絶望された読者の皆様、どうかご安心ください。これは悲劇で終わる物語ではありません。
次章『第三部』もお楽しみに!
そして、絶対に忘れてはいけない「あの子」を、どうやって取り戻すのか――。
引き続きアノマロちゃんを見守っていただけると嬉しいです。
最後に。
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それでは、ほんの少しの準備期間をいただきまして、第三部スタートします!




