第96話(第29話) 存在の消滅、焼き切れた絆。
「……チッ。汚らわしい理外の泥が」
勇者の『黄金の聖剣』と、白煙を噴き上げる私の『巨大な前部付属肢』が再激突し、激しい火花を撒き散らした。
勇者の端正な顔が、不快な害虫を見るように歪む。
(金髪の優男が、力負けして顔真っ赤じゃないの……!)
私はヒドラの筋繊維を極限まで膨張させ、聖剣を力ずくで押し返そうとする。
だが、その鍔迫り合いの背後で、最悪のハイエナどもが動いていた。
「ひひっ……! ざまあみろ、欠陥品! ギルドを追放された恨み、ここで晴らさせてもらうぜぇ!」
静止空間の中、下劣な笑みを浮かべて歩み寄る四つの影。
胸に白い光――『女神の加護の欠片』を脈打たせたリックスと、ザック、ゲイル、ボラだった。加護による静止無効化を利用し、彼らは身動きの取れないクロエの背後へと忍び寄っていたのだ。
「まずは俺たちが、こいつの小綺麗な装備を全部ひん剥いてやるよ」
「おいおい、俺にはこのゴミの顔を靴底で踏みにじらせろ!」
「俺の人生を滅茶苦茶にしやがって……! 死ねッ!」
ゲイルたちが卑しく手を伸ばし、ザックがどす黒い殺意と共にクロエの首筋へとナイフを振り上げた。
声も出せず、酸素すら吸えないクロエの琥珀色の瞳が、恐怖に見開かれる。
(――底辺のゴミどもが、私のクロエに触るなァァァッ!!)
私は聖剣と拮抗していた右のハサミをあえて斬り裂かせ、強引に鍔迫り合いを解除した。
バキィッ! と外骨格が砕け、青い体液が散る。だが構うものか。私は推進器官を全開にして空間を蹴り飛ばし、振り下ろされるナイフの真横からザックたち四人に覆い被さった。
「なっ……ヒッ!?」
白血球が病原体を処理する『貪食』の本能。私の体表から、極高濃度の強酸と消化酵素がスプレーのように噴き出す。
「ギャアアアッ!? 溶け、目がァァッ!?」
「たすけ――」
リックス、ゲイル、ボラの三人は、強酸の飛沫を全身に浴びて絶叫する間もなく、ジュワァァァッ……! とドロドロに融解していく。
(そして、お前のその『神の理』……私の血肉になりなさい!)
私はザックの頭上から大顎を限界まで広げ、その肉体ごと胸の『加護の欠片』を丸呑みにし、一瞬で消化・吸収した。
(加護の構造、解読完了……! 中枢神経へ直接統合!)
喰らった女神の理が視覚野と繋がった瞬間、視界が劇的に変貌した。世界を巡る魔力の奔流が、脈動する血管のように鮮やかな蛍光カラーの帯として脳内に浮かび上がる。
「……自ら殻を砕き、手駒ごと喰らったか。どこまでも悍ましい害悪め」
勇者が聖剣を無造作に振るう。
だが、今の私には見える。斬撃のコンマ数秒前に、空間の『血管』が一点に集中する予兆が。
(そこッ!)
私は外骨格が軋むのも構わず体を強引に捻り、必殺の斬撃を紙一重でかわした――はずだった。
「――『消滅せよ』」
勇者が冷たく呟いた瞬間。
空振りした刃の軌跡から不気味な波紋が走り、私の右半身を掠めた。
(……え?)
痛みはなかった。血も出ない。
それなのに、掠めた右半身から、パラパラと乾いた音を立てて漆黒の装甲が剥がれ落ちていく。
(再生……不能!? 右半身の塩基配列(DNAコード)が存在しない……!? 嘘でしょ、私の設計図そのものが、世界からデリートされてる……!?)
物理的な破壊ではない。参照すべき遺伝情報そのものを世界の根幹から削り取る、概念抹消の刃。
ヒドラの細胞重合力もスライムの被膜も、参照元を失って『光の塵』へと変わり、サラサラと虚空に溶けて消えていく。
(あ……がっ……!)
崩れ落ちていく体を支えきれず、私はドサリと冷たい石畳の上に倒れ伏した。
「――アルス様。不浄の掃討は、まだ終わらないのですか?」
静止空間の中、透き通るような女の冷たい声が響いた。
勇者の背後に、純白の法衣を纏った二人の聖女が静かに歩み寄ってくる。彼女たちの瞳は、崩れゆく私とクロエを、路傍の汚物でも見るような『無関心』で見下ろしていた。
「穢れた泥の匂いで、白亜の法衣が汚れてしまいますわ。早く神殿へ戻り、女神様へ祈りを捧げましょう」
「ええ。このようなバグの消去など、貴方様が御手を煩わせるまでもありませんのに」
恭しく頭を下げる聖女たちに、勇者は先ほどまでの冷酷さが嘘のような、慈愛に満ちた微笑みを向けた。
「ああ、待たせてすまないね。この醜悪なゴミ掃除もすぐに終わる。そうしたら、共に女神への祈りを捧げよう」
***
(…………ッ!!)
息もできない無音の世界で。
私の目の前で、命を懸けて私を守ってくれたたった一人の『騎士様』が、光の塵となってサラサラと消えていく。
そのすぐ横で、それを「ゴミ掃除」と呼び、穏やかに微笑み合う人たち。
パチン、と。
私の中で、何かが焼き切れた。
ドクンッ!!
胸の奥の『従魔契約』が、太陽のように激しく脈打つ。
私の全身の細胞が、周囲を凍らせている勇者の『神聖魔力』そのものを強引に噛み砕き、煮えたぎる生体エネルギー(ATP)へと変換していく。
ピキッ、パキパキパキッ……!!
絶対静止の空気の牢獄に、無数の亀裂が走った。
「……なっ!?」
愕然と目を見開いて振り返る勇者と聖女たち。
その目の前で、私は凍りついた大気を素手でバキバキと引き剥がしながら、ゆっくりと一歩を踏み出した。
「――私の、アノマロちゃんを……ゴミって、言ったね?」




