第88話(第21話)剣鬼のタイムリミットは30秒!
ズズズズズ……ッ!!
重厚な岩扉が押し開かれた瞬間、むせ返るような青紫色の魔素が霧となって吹き出してきた。
新ダンジョンの最深部。巨大なドーム状の空間に足を踏み入れたレイド部隊の全員が、その中央に鎮座する『それ』を見て息を呑んだ。
「……なんという巨大さじゃ。それに、あの悍ましい魔力圧は……!」
ギデオンさんが、ギリッと奥歯を噛み鳴らす。
見上げるほどの巨体。本来なら緑色のはずの皮膚は、充満する高濃度魔素を吸い上げ続けた結果、赤黒く変色し、岩盤のように分厚い筋肉の鎧と化していた。
――『暴食のオーガ・ロード』。
(もっきゅ……! 数日前は『ちょっと大きめの死にかけオーガ』だったのに、最高級の霜降り肉にメガ進化しちゃってるじゃない!)
私の頭の上で、アノマロちゃんが歓喜にプルプルと震える。
『――ゴルルルルルルルッ!!』
オーガ・ロードが、地鳴りのような咆哮を上げた。ビリビリと空気が震え、最前線の冒険者たちが思わず後ずさる。
その時だった。
私たちの遥か後方、暗い通路の影から、シュルッ……と『小さな何か』が放物線を描いてオーガの足元へ投げ込まれたのだ。
「……ん? なんだ、あれは」
前衛の冒険者が呟いた直後。
足元に転がった『不気味に脈打つ紫色の魔結晶』を見たオーガは、躊躇することなくそれを巨大な口へ放り込み、ボリボリと噛み砕いて飲み込んだ。
(――ッ!? ちょ、ちょっと待って!? 今あいつが飲み込んだのって――!?)
アノマロちゃんの複眼が、驚愕にカッ! と見開かれる。
(バカバカバカ!! あんな高純度の触媒を直接ぶち込んだら、細胞内のミトコンドリアが暴走して制御不能な異常発熱を引き起こすに決まってるでしょ!? 誰よ、私の極上肉に余計な劇薬スパイスを投げ込んだのは!?)
アノマロちゃんのクレームが終わるより早く、事態は最悪の方向へ急転直下した。
――ゴォォォォォォォォンッッ!!!
オーガ・ロードの巨体から、突如として『超高熱の炎』が噴き出したのだ。
赤黒かった皮膚が、高熱を帯びた溶岩のように発光し、呼吸をするだけで周囲の岩盤がドロドロに溶け落ちていく。
「なっ……なんだあの姿は!?」
「総員、氷結魔法を放てェェッ!!」
パニックに陥った後衛の魔術師たちが、一斉に巨大な氷の槍を放つ。
……シュゥゥゥッ。
だが、それはオーガの皮膚に触れることすらなく、圧倒的な熱線によって空中で一瞬にして蒸発させられてしまった。
氷魔法無効。そして、近づくだけで炭化する超高熱の鎧。
理不尽極まる『厄災級』の顕現に、レイド部隊の士気が完全にポキリと折れかけた。
「――退け、ヒヨッコ共」
静かな、だが絶対的な威圧感を伴う声。
前衛をかき分け、前に出たのは――Sランク冒険者にしてギルドマスター、ギデオンさんだった。
「マスター!?」
「無茶です、剣が届く前に溶かされ――」
「寄る年波には勝てんでな。……わしが全盛期の力を出せるのは、もって『三十秒』じゃ。瞬きするなよ」
チャキッ。
ギデオンさんが、腰に帯びた白鞘の『刀』をゆっくりと引き抜く。その瞬間、彼の纏う空気が、かつて竜を単騎で屠った『剣鬼』へと劇的に変貌した。
「クロエ!!」
「は、はいっ!」
「わしの剣は速い。だが、あの分厚い溶岩の鎧をすべて叩き割る時間はない! どこを斬れば奴の動きを止められるか、お前さんのその眼で指示を出せェッ!」
ギデオンさんの命懸けの信頼。
私は大きく息を吸い込み、巨大なオーガの筋肉の構造、そして溶岩のように発光する熱の『隙間』を極限まで見極めた。生きるために磨き上げた、解体技術の集大成。
「右足の太もも、一番外側の……色の濃いスジです!」
「応ッ!!」
――ヒュンッ。
音が、消えた。
ギデオンさんの姿がブレたかと思うと、オーガの右足から超高圧の血液が間欠泉のように噴き出した。
『ギャァァァッ!?』
「次じゃ!!」
「右肩の付け根、大胸筋の……筋膜です! そこが一番硬いスジです!」
ドシュゥゥゥッ!! ザンッ! ズバァァァァッ!!
速い。速すぎる。
魔法すら蒸発させる熱線の嵐の中を、ギデオンさんは紙一重で潜り抜け、私が指示した『最も硬い関節の腱と筋膜』だけを、精密機械のような正確さで次々と削ぎ落としていく。神速の抜刀術が、暴君の巨体を確実に切り崩していた。
(……す、すごすぎる。圧倒的な身体操作による、空気を切り裂く真空の刃。あれがSランクの剣技……!)
頭の上で、アノマロちゃんが感動に打ち震えていた。
(クロエの完璧なレシピに合わせた、神速の肉叩きと筋切り! 最高! 最高の下ごしらえよ!!)
ギデオンさんが命を削って死闘を繰り広げているというのに、アノマロちゃんの目には完全に『凄腕の料理人がお肉の下ごしらえをしている』ようにしか見えていなかった。
「ハァッ……ハァッ……! これで、最後じゃァァァァッ!!」
制限時間ギリギリ。
ギデオンさんが空高く跳躍し、オーガの脳天へと渾身の一撃を振り下ろすべく、刀を上段に振りかぶった。
完璧な連携。勝った。誰もがそう確信した。
だが、その瞬間。
「よォォォし、沈めェェェッ! …………あ、ら?」
ピタッ。
空中で。最高の見せ場であるはずの、その空中で。
ギデオンさんの全身が、まるで石像のように不自然に硬直した。
そして。
「――っっっっっっっっっっっっっっ!?!?!? グ、グキィィィィィィッ!!?」
声にならない悲鳴。
ギデオンさんは刀を取り落とし、腰を『くの字』に曲げたまま、ボトッ、と無様に地面に落下した。
「えっ……? マ、マスター?」
「あ、いっ、いぃぃぃ……っ!? わ、わしの、腰……腰がァァァァッ!! 無理やり身体強化を引き上げすぎた反動が、ダイレクトに腰椎に……っ!! 痛い! 動けんッ!!」
まさかの、必殺技発動直前のギックリ腰である。
緊張感の欠片もない悲鳴を上げて地面を転げ回るSランク冒険者。
――当然、目の前のオーガ・ロードがその隙を見逃すはずがなかった。
『ゴアァァァァァァァッ!!!』
激痛で身動きが取れないギデオンさんと、そのすぐ後ろに立っていた私へ向けて。
オーガの、溶岩を纏った巨大な拳が、容赦なく振り下ろされた。
「……っ!! ノ、ノアッ!」
『ニャァァァァッ!!』
ノアが私を庇うように飛び出すが、すでに態勢が崩れている。あの巨大な質量と超高熱をまともに受ければ、ひとたまりもない。
絶体絶命の、死の影。
私がギュッと目を閉じた、その時だった。
(私の可愛いクロエを、ただの焦げかけ肉が傷つけようとするなんて……。マジで許さない。ただのタンパク質のシミに還元してやるし)
冷ややかな、しかし絶対的な怒り。
『クロエ! いつもみたいに、私に限界まで力を頂戴!!』
頭の上からのアノマロちゃんの叫びに、私は迷わず力強く頷いた。
両手を胸の前でギュッと握りしめ、深く、深く息を吸い込む。
洞窟内に充満している、高位魔術師ですら息苦しくなるほどの濃密な青紫色の魔素。
それが竜巻のように私の肺へと吸い込まれ――私の全身の細胞が、致死量の毒を最上の生体エネルギー(ATP)へと爆発的な速度でダイレクト変換していく。
「いっけぇぇぇっ、アノマロちゃん!!」
ドクンッ!!
テイムパスを通じて、私のお腹の底からアノマロちゃんへと、熱くて巨大なエネルギーの奔流が雪崩れ込んだ。
カッ……!!!!!
私の頭から飛び立ったアノマロちゃんの体が、最深部の空間全体を白く染め上げるほどの眩いパステルカラーの閃光を放つ。
(クロエからの最上級ATP、フル充填! カロリー無制限、地上用エコモード――完全解除!!)
(――さぁ、お待たせ! カンブリア紀の頂点捕食者による『超極限・瞬間調理』の始まりよ!!)




