第87話(第20話)忍び寄る黒い影。
「おい、見ろよあのガキ。昇格したてのDランクのくせに最前線かよ。おままごと気分か?」
「バカ、声がでけぇよ! 知らねえのか、あいつがあの新ダンジョンを見つけたって話だぞ。しかも隣にいる黒豹……アレ、Aランクのフェルナイトだろ」
「チッ……どうせまぐれでテイムしただけだろ。実戦じゃビビって泣き叫ぶだけだ」
三日後の早朝。朝靄の沈むギルド前広場は、むせ返るような熱気と緊張に支配されていた。
煌びやかな装具を纏ったBランク、Aランクの冒険者たちと、長杖を構える高位魔術師部隊。そんな猛者どもがひしめく最前線に、私――クロエは立っていた。
身に着けているのは、真っ白な『アラクネの絹糸のコート』と腰の『ミスリルの解体ナイフ』。隣には漆黒のノアが控え、頭の上にはパステルカラーのアノマロちゃんがちょこんと鎮座している。
周囲から突き刺さる視線は、単なる見下しだけではない。得体の知れない新人に対する畏怖、嫉妬、そしてランク至上主義特有の意地が混ざり合った、ひりつくような空気だった。
(ふんっ! なによあの脳筋ども! クロエの才能を理解できないなんて、見る目なさすぎ!)
私の頭の上で、アノマロちゃんがフンスと前部付属肢を反らせている。
「――静粛にせい!!」
ギデオンさんの地鳴りのような怒号が響き、広場が水を打ったように静まり返った。
「これより【大規模討伐作戦】を開始する! 目指すは最深部! 各員、案内役であるクロエの指示に従い、迅速に進撃せよ!」
ギデオンさんは大剣を天に掲げた。
「最深部の主は、『爆裂魔法』の一斉掃射で、跡形もなく消し炭にしてくれるわ!!」
冒険者たちが士気高く咆哮を上げる中、私の頭の上でアノマロちゃんだけがこの世の終わりのような顔で震えていた。
(だから消し炭はダメだって言ってるでしょ!! 前衛に体力を削らせて、トドメの美味しさ(ジャストな火加減)を決めるのは私なんだからねッ!! 絶対に撃たせないわよ!!)
こうして、アノマロちゃんの並々ならぬ食への執念が静かに燃え上がる中、レイド部隊の大進撃が始まった。
***
「ここが、新ダンジョンの入り口です!」
断崖絶壁の中腹に開いた、不気味な青紫色に光る巨大な横穴。アノマロちゃん特製の『DIYダンジョン』だ。
「な、なんて重苦しい魔素だ……!」
「息をするだけで眩暈が……ッ!」
入り口から吹き出す圧倒的な魔素の渦に、高位魔術師たちが青ざめる。
(ただ大気中のエネルギー密度が高いだけなのに、軟弱者たちね。魔力に依存してる人間ほど、高濃度環境で自爆(魔素酔い)して苦しむのよね☆)
アノマロちゃんのドヤ顔の念話を聞きながら、私たちは中層へと足を踏み入れた。
しかし、本当の地獄はここからだった。
『キシャァァァァッ!!』
中層の巨大な空洞で待ち受けていたのは、全身が青紫色の結晶のように硬質化した『変異型アーマー・センチピード(巨大ムカデ)』の群れだった。
「ひるむな!『火炎魔法』の一斉掃射で焼き尽くせ!」
高位魔術師たちが杖を振るい、巨大な業火がムカデの群れを飲み込む。
だが――煙が晴れた後、ムカデたちは無傷のまま猛然と突進してきた。
「なっ!? 炎が効かないだと!?」
「硬すぎる! 剣が弾かれるぞ!」
(当然でしょ! 高純度ケイ素の殻に中途半端な炎魔法なんか撃ったら、熱処理されて逆に硬度と耐熱性が増すだけよ!)
前衛の陣形が崩れ、Bランク冒険者たちが次々と吹き飛ばされていく。
部隊がパニックに陥りかけた、その時。
「ノア! ムカデの第三節と第四節の間……首の後ろの関節部分は、結晶化していません!」
『グルァッ!!』
私の声に呼応し、ノアが黒い稲妻となって宙を舞った。
一切の無駄がない一撃。硬質な外殻には目もくれず、ノアの爪が私の指示した『わずかな関節の隙間』だけを正確に切り裂く。
ドスゥゥンッ! と、巨大なムカデがあっさりと崩れ落ちた。
「な……一撃、だと……?」
「あんな一瞬で、ヤツの構造的な弱点を見抜いたっていうのか……!?」
息を呑む高ランク冒険者たち。
(ふふん、見たか! クロエが解体技術で培った観察眼を! 魔法の火力に頼り切ったアンタたちとは、生物(食材)に対する解像度が違うのよ!)
「みなさん、力押しじゃダメです! 魔物の関節や、殻の色が違う部分を狙ってください!」
私が叫ぶと、さっきまで私を見下していた冒険者たちの顔つきが変わった。
「……チッ、小娘に教えられるとはな! 前衛、指示通りに急所を狙え! 魔術師は冷却魔法で動きを鈍らせろ!」
そこから連携が劇的に噛み合い始め、レイド部隊は次々と血路を開いていった。
だが、魔物を凍らせては力任せに叩き割る彼らの戦いぶりを見て、アノマロちゃんは別の意味で頭を抱えていた。
(ギャァァァァッ!! 急速冷凍と解凍を繰り返したら、筋肉の細胞膜が氷結晶で破壊されてドリップ(旨味成分)が全部抜けちゃうでしょ! 筋繊維もズタズタだし、食材への冒涜よぉぉぉっ!!)
激戦の最中、グルメとしてのこだわりで悶絶する妖精の姿に気づく者は誰もいない。
***
――そして、激闘を続ける部隊のはるか後方。
松明の光も届かない暗がりで、不気味な影が蠢いていた。
「……ハァ、ハァ……なんて化け物揃いのダンジョンだ。俺たちだけじゃ、入り口で全滅してたぜ」
息を切らしながら卑屈に笑うのは、小柄なスカウトのボラだ。本来なら彼が罠解除や索敵を行うべきだが、かつては危険な仕事をすべてクロエに押し付け、後ろでヘラヘラと笑っていた男である。
「チッ、黙ってろ。だが、好都合だぜ。前衛どもが勝手に道を切り開いてくれる」
賞金首となった悪徳パーティ『黒狼の牙』のリーダー、ザックが歪んだ笑みを浮かべる。彼の鼻は、以前アノマロちゃんの衝撃波を食らって無残にへし折られており、その逆恨みと殺意で目をギラつかせていた。
「連中の魔力も底が見えてきた頃合いです。いくら高位魔術師とはいえ、この魔素濃度では消耗が激しい……ふん、所詮は魔力ゼロの欠陥品がまぐれで得た運。すぐに尽きますよ」
ローブを着崩した魔術師のゲイルが、小賢しそうに鼻で笑う。自身の魔法を過信し、魔力を持たないクロエを最も強く見下していた男だ。
そんな小悪党どもと結託した、元受付職員のリックスが、泥にまみれた手で不気味に脈打つ『紫の魔結晶』を撫で回した。
「最深部に着いた瞬間、こいつをボスに投げ込む。狂乱したボスが、消耗した前衛もろともあの生意気な小娘をなぶり殺す……!」
「へへっ、パニックに乗じて弱ったレア魔物を奪い、部隊壊滅の罪は全部クロエになすりつけるってワケだ。俺の鼻をへし折った代償、たっぷりと払わせてやるぜ……!」
邪悪な光を放つ結晶。自分たちが引き起こそうとしている異常事態の恐ろしさも知らず、悪党どもは下種な皮算用に喉を鳴らして尾行を続けていた。
***
数時間の死闘の末。
中層の魔物をなんとか殲滅したレイド部隊は、最深部へと続く巨大な岩扉の前で全員が肩で息をしていた。負傷者こそ出なかったものの、高ランク冒険者たちの顔には明確な疲労が刻まれている。
「……ここで小休止とする。魔力回復薬を惜しむな」
ギデオンさんの重厚な声が響き、部隊は重い腰を下ろした。
「クロエ、よくやった。お前さんの指示がなければ、ここで半数はやられておったじゃろう」
「い、いえ! ノアとアノマロちゃんが頑張ってくれたおかげです」
ギデオンさんの言葉に、周囲の冒険者たちも気まずそうに、しかし明確な感謝と敬意を込めてこちらに軽く頭を下げた。
「だが、真の地獄はこれからじゃ」
ギデオンさんが隻眼を細める。
岩扉の隙間から漂ってくるのは、先ほどまでのムカデとは次元の違う、大気をビリビリと震わせるような濃密な瘴気だった。
――ズシン、ズシン……ッ。
扉の向こうから、心臓を直接鷲掴みにされるような、重い足音が響いてくる。
「総員、構えろッ! 扉の奥に、この迷宮の『主』がおるぞ!!」
ギデオンさんの号令と共に、冒険者たちが一斉に武器と杖を構える。
張り詰める極限の緊張感――の中で。
『もっきゅ……!(じゅるり……! 扉の隙間から漂う、この芳醇なアミノ酸と高純度魔素の香り……間違いないわ、私が仕込んだ死にかけオーガが、最高級の『特選A5ランク熟成肉』に仕上がってる!!)』
私の頭の上で、アノマロちゃんだけがよだれを拭い、一人だけ『超高級ステーキハウス』の扉を開ける客のような目で、最深部の扉をキラキラと見つめていた。




