第82話(第15話)アノマロちゃんと、初めてのキャンプ。
(ふっふっふ〜♪ お天気は快晴、空気も美味しいし、まさに絶好のピクニック日和じゃん! なんせ今回の調査対象は、私が昨夜直々にコーディネートしてあげた『世界一安全なハリボテ迷宮』なんだから、実質ただのキャンプ旅行よ!)
冒険都市を出発して、森を歩くこと丸一日。
私の頭の上でアノマロちゃんが朝からずっとご機嫌に鼻歌(?)を奏でる中、夕暮れ時になって、私たちは『迷いの森』の最奥地――天まで届きそうなほど巨大な断崖絶壁の下へと到着していた。
「この辺りが、ギルドマスターが言っていた『異常発生の源』なんだけど……」
ふと周囲の景色を見渡した私は、ハッと息を呑んだ。
鬱蒼と茂る木々。見上げるほど高い絶壁。そして、地面に不自然にえぐれた巨大なクレーターの跡。
「……ここ。私、見覚えがある……」
『ニャン?』
「ここって……私がザックさんたちに囮にされて、アノマロちゃんと初めて出会った場所だ……!」
そう、あの日。
右足を砕かれて絶望し、ただ死を待つしかなかった私の前に、空から流れ星のようにアノマロちゃんが降ってきて、私を助けてくれた『始まりの場所』だった。
(……あっ、やっば。私がブチ抜いたカンブリア・ゲートの真下なんだから、そりゃ出会った場所と同じに決まってんじゃん!)
『く、クロエ! 嫌なこと思い出しちゃうといけないし、別の場所でキャンプしよっか!?』
アノマロちゃんが私の頭の上であたふたとしていると、私はそっとそのパステルカラーの体を両手で包み込んだ。
「ううん、大丈夫だよ。ありがとう、アノマロちゃん。……ここから、私の本当の人生が始まったんだね」
私が満面の笑みで頬ずりすると、アノマロちゃんは念話越しにもわかるくらい照れたように「もっきゅぅ……」と鳴いて、私の手の中でフニャンと脱力した。
「今日はもう暗いから、まずはここに『拠点』を作ろう! ノア、荷物下ろしていいよ」
ノアの背中から、稼いだ資金で買ったばかりの高品質な野営用テントを下ろす。
少し開けた安全な場所にテントを張り、石を組んでかまどを作る。あの日、死を覚悟して震えていたこの場所で、今は温かい『野営』の準備をしている。なんだか、すごく不思議な気持ちだった。
***
夜。私たちは、ふかふかのテントの中にいた。
外ではノアが、入り口を塞ぐようにして丸くなってくれている。
「……ふぅ。あったかいね、アノマロちゃん」
私は寝袋に入りながら、胸の上にいるアノマロちゃんに微笑みかけた。
だけど。ランタンの火を落とし、テントの中が真っ暗になった瞬間――不意に、ぞわりと背筋が凍った。
『どうせゴブリンのオヤツになってくれりゃ、手間が省けたのによ』
暗闇と、森の静寂。そして、まさにこの場所で足を砕かれた記憶。
それが引き金になって、ザックさんたちに見捨てられた時の『恐怖』が生々しくフラッシュバックしてしまったのだ。
「……っ……」
私は無意識に身を丸め、ガタガタと肩を震わせた。
息が、うまく吸えない。怖い。暗いのが、怖い。あんな思いは、もう二度としたくないのに。
『……クロエ? 大丈夫?』
アノマロちゃんは、私の異変にすぐに気がついてくれた。
暗闇に怯える私の頬を、パステルカラーの柔らかな前部付属肢でそっと撫でる。
そして――。
ぽわぁっ……。
アノマロちゃんの甲殻が、まるで蛍のように、淡く優しいオレンジ色の光を放ち始めたのだ。
「わぁ……。アノマロちゃん、光ってる……?」
『ふふん。深海生物の基本スキル、『ルシフェリン・ルシフェラーゼ反応(生物発光)』よ。発熱を伴わない冷光だけど、波長を調整してリラックス効果のある暖色系の光にしてあるわ。これで、もう暗くないでしょ?』
テントの中が、ポカポカとした温かい光で満たされる。
念話から伝わってくるアノマロちゃんの自信に満ちた声と、優しくて小さな光を見ていると、さっきまでの恐怖が嘘のようにスゥッと溶けていった。
「……ありがとう、アノマロちゃん。私、もう怖くないよ」
私は安心して、アノマロちゃんを両手でそっと持ち上げ、自分の顔のすぐ近くまで寄せた。真っ直ぐに見つめ合う。
「アノマロちゃんは……私の、たった一人の『お姫様』で、『騎士様』だね」
チュッ、と。
私は愛しさを込めて、アノマロちゃんのパステルカラーのおでこに、そっと優しいキスを落とした。
「〜〜〜〜ッ!!?!」
その瞬間、アノマロちゃんの体がビクゥッ! と限界まで跳ねた。
(ななな、なに今の!? 琥珀色のうるうるした瞳で見つめられたと思ったら、キ、キキキ、キス!? ちょっ、距離近すぎない!? 私、可愛い女の子とこんな至近距離になったことないんですけど……っ!)
アノマロちゃんは頭から湯気が出そうなくらい真っ赤になって、私の手の中でぷるぷると震えていた。
***
翌朝。
朝食の準備をしようと荷物をあさっていた私は、袋の底から『それ』を見つけて、顔を強張らせた。
「これ……ザックさんたちから、ご飯の代わりにもらってた『黒パン』の欠片……」
砂利が混ざり、石のようにカチカチに硬い、酸っぱい黒パン。
スラムでも滅多に食べられないそれを、私は「恵み」だと思ってずっとかじって生きてきた。
『……なに? そのアミノ酸スコア最悪のゴミみたいな炭水化物の塊は……。クロエ、そんなもの捨てなさい! ちょっと待っててね!』
アノマロちゃんはテントを飛び出すと、わずか数分で『野鳥の魔物』と『猪の魔物』を狩って戻ってきた。
『クロエ、この間買った調理器具を出して! あと、白いパンと野菜も少しあったでしょ! さーて、至高のジャンクフードを作っちゃうよ♪』
「えっ? アノマロちゃん、お料理できるの!?」
アノマロちゃんはボアの肉塊に、自身の口から分泌した『タンパク質分解酵素(パパイン様物質)』をサッと塗布する。すると、硬かったはずの魔物の肉が一瞬で極限まで柔らかくなったのだ。
それを細かく刻んで香草と混ぜて丸めて焼き、野鳥の肉は衣をつけて、持参した油でカラッと揚げる。
ジュワァァァァッ!! と、食欲を暴力的に刺激する匂いが森の朝の空気に広がった。
『ふふん、アミノ酸と糖が加熱によって結びつく『メイラード反応』! 人類の脳の報酬系を最も刺激する悪魔の化学式よ!』
完成したのは、外はサクサク・中はジューシーな『一口サイズの揚げ鶏(チキンナゲット風)』と、旨味たっぷりの肉汁と野菜を丸いパンで挟んだ『挽肉のパン挟み(ハンバーガー風)』。
さらに、森の果実と炭酸水を調合して作った、シュワッと爽快な『黒色の炭酸飲料』まで添えられている。
「わぁ……お肉がピカピカ光ってる……。これ、食べてもいいの……?」
『当たり前でしょ、さぁ冷めないうちに!』
私は恐る恐る、揚げ鶏を一口かじった。
サクッ。――ジュワァァァッ。
「…………っ!!!」
その瞬間、温かくて、しょっぱくて、暴力的なまでに美味しい『旨味』が口いっぱいに広がり、脳天を突き抜けた。
「おいしい……。お肉って、こんなに温かくて、柔らかいんだ……」
気がつけば、私の瞳からポロポロと涙がこぼれ落ちていた。それは悲しい涙じゃない。心が満たされていく、温かい涙だった。
「アノマロちゃん……すっごく美味しい! 私、こんなに美味しいご飯食べたの初めて!」
私は満面の笑顔で涙を拭うと、「はい、あーん」と、熱々のナゲットをアノマロちゃんの口元へ運んだ。
『えっ!? あ、あーん!? もっきゅ〜……っ』
「ふふっ、美味しい?」
私が差し出したナゲットを、アノマロちゃんがパクリと咥える。その時、彼女の柔らかな前部付属肢が私の指先に触れ、なんだかくすぐったくて、二人で顔を見合わせて笑い合った。
すると、アノマロちゃんがスッと顔を近づけ、私の口元についていたパン屑を、優しく前部付属肢で拭き取ってくれたのだ。
「あっ……ありがとう」
そのスマートで優しい仕草に、なぜか胸がトクンと鳴って、私は少しだけ頬を染めた。
アノマロちゃんと見つめ合っていると、なんだか世界に二人きりしかいないみたいで、とても心が満たされていく。
「……私たち、ずっと一緒だよ。アノマロちゃん」
私を縛り付けていた過去のトラウマが、甘くて温かい朝ごはんと一緒に、すっかり溶けて消えていった。
「よしっ、お腹もいっぱいになったし、いよいよあの上の洞窟へ出発だね!」
私が元気よく立ち上がり、断崖絶壁の中腹を見上げた――その時だった。
ドォォォォンッ……!!
はるか頭上の横穴から、突如として赤黒い稲妻のような瘴気が噴き出し、森の大気がビリビリと不気味に震えたのだ。
「……えっ?」
『……もっきゅ?』
私とアノマロちゃんは、同時にピタリと固まった。
明らかに「底の浅い安全な洞窟」なんかではあり得ない、禍々しいプレッシャーが崖の上から滝のように降り注いでいる。
(……あ)
私の頭の上で、アノマロちゃんの顔からサァッと血の気が引いた。
(私、一昨日の夜……カンブリア・ゲートに『蓋』するの、忘れてたわ)




