第76話 剣鬼の帰還、そしてリックスの裁定。
「――ギ、ギルドマスター! ちょうどいい所にお戻りになられましたァッ!!」
クロエたちが大量の金貨が入った革袋を抱えて去った直後の、冒険者ギルド。
入り口の扉を押し開けて入ってきた一人の初老の男に、受付職員のリックスが涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった顔ですがりついた。
「た、大変なのです! つい先ほど、魔力ゼロの欠陥品が、Aランクの『剛剣』エルザ様に泣きついて不正な報告をしていったのです! エルザ様が狩った百頭分の魔石と牙を自分の手柄だと偽り、あろうことかギルドの測定器まで破壊して……ッ!」
必死にまくし立てるリックス。
だが、周囲の冒険者たちは誰一人として彼に同調せず、むしろ「あいつ、終わったな……」と哀れむような目で直立不動になっていた。
無理もない。リックスが泣きついた相手は、王都への長期出張から帰還したばかりの冒険都市『リグ』の最高責任者にして、Sランク冒険者。
かつて単身で竜を屠り、武の頂点に立つ生ける伝説――『剣鬼』ギデオンだったのだから。
「……黙っておれ。外からでも、お主の無様な悲鳴は聞こえておったわ」
無数の傷跡が刻まれた枯木のような肉体に、簡素な道着。
ギデオンは柔和な笑みを崩さぬまま、カウンターの上に積まれたファング・ウルフ百頭分の魔石と牙の山を一瞥した。その瞬間、彼の鷹のような隻眼が、スッと鋭く細められた。
「……ほう。見事なものじゃ。魔石にも牙の根元にも、傷一つない。エルザの剛剣による力任せの切断では、絶対にこうはならん。かといって、魔物の爪牙で引き裂いた痕でもない」
「へっ……?」
「構造を完璧に理解し、最小限の刃の動きで精密にえぐり出した『解体技術』じゃ。熟練の解体職人でも、これほど素早く綺麗に百頭分を処理することはできまい。……これをやったのは、誰じゃ?」
ギデオンの問いに、近くにいたベテラン冒険者がゴクリと唾を飲んで答えた。
「そ、それが……『クロエ』という、小さな少女です。魔力はゼロなんですが……マスター、異常なのはそれだけじゃないんです!」
「ほう? 異常とは?」
「その少女……ギルドの水晶で【Aランク】と判定された突然変異のフェルナイトを、奴隷紋もなしに『忠誠度:最大』で従えておりました……!」
「……なんじゃと?」
ギデオンの隻眼が、驚きに見開かれた。
Aランクの、それも『影渡り』の二つ名を持つ暗殺獣が、人間の子供に完全に服従している。ギルドの長い歴史の中でも聞いたことがない事象だ。
「面白い。森の生態系の頂点に立つ厄災が、純粋な服従で首を垂れるか。……その少女、魔力ゼロと言ったな。ならばどうやってその化け物を屈服させた?」
「わ、わかりません! ただ……その少女は、もう一匹『未知の従魔』を連れていました。妖精のような、水棲魔獣のような……。そいつが水晶に触れた途端、水晶が破裂しそうになって……出た判定は【種族:測定不能】【ランク:エラー】でした……!」
その報告を聞いた瞬間、ギデオンの纏う空気が劇的に変わった。
「数百年の歴史と、世界中の魔物データが蓄積されたギルドの水晶が……『該当データなし』と弾き出したじゃと……?」
ギデオンは深く顎を撫でた。
卓越した解体技術を持つ魔力ゼロの少女。忠誠度最大のAランク・フェルナイト。そして、世界の歴史に存在しない、正体不明の未知の生物。
わしが王都へ行っている数ヶ月の間に、ずいぶんと面白い『規格外』がこの街に現れたものだ。
「ギ、ギルドマスター? なにを感心しておられるのですか! あんな虫ケラのような妖精や、ただデカいだけの黒豹に、エルザ様以上の力があるわけがありません! あのガキは、ギルドの測定器を壊すような害悪で――」
ドゴォォォォンッッ!!!
ギデオンの裏拳から放たれた『衝撃波だけ』で。
数メートル離れていたリックスの体が錐揉み回転して吹き飛び、ギルドの壁に激突して白目を剥いた。
「……無能が。深淵の底に眠る強者の牙すら見抜けぬ眼で、受付に立つな」
冷徹な『剣鬼』の声に、ギルドホールは完全に凍りついた。
ギデオンは壁際で痙攣しているリックスを一瞥し、近くにいた別の職員に冷酷に言い放った。
「誰か、この男をつまみ出せ。権力を笠に着て未来ある若芽を摘もうとする腐敗など、我がギルドには不要。……本日をもってコイツはギルド職員の資格を永久剥奪とする。当然、近隣都市のギルドにもブラックリストとして手配しておけ。二度とこの業界の敷居は跨がせぬ」
「ひっ……! は、はいっ!」
慌てて他の職員たちが、白目を剥いたリックスを引きずって裏口へ消えていく。相手の実力を見極められず、己の偏見だけで少女を虐げてきた小悪党の、あまりにも呆気ない社会的な死だった。
そしてギデオンは、何事もなかったかのように柔和な笑みに戻り、指示を出した。
「王都でも連日議論になっておる『新ダンジョンの大穴』の件もある。この森の異常事態に、その規格外の少女たちが絡んでおる可能性は極めて高いじゃろうな。……明日一番で、その『クロエ』とエルザのパーティ宛に、ギルドマスター直々の【指名依頼(呼び出し)】を出せ」
ギデオンは、隻眼に鋭い闘志と好奇心を宿して笑った。
「わしが直接、その眼と牙を確かめてやろう」
***
――その頃。街で一番高級なレストランの、VIP用個室。
「うふふっ、クロエ! いーっぱい食べなさい! 今日はママのおごりよ!」
「わぁっ! ありがとうございます、ママ! お肉、すっごく美味しいです!」
テーブルの上には、食べきれないほどの豪華な肉料理がズラリと並べられていた。
私とエルザさんはナイフとフォークで、足元にいるノアには特大のステーキ肉が木桶に山盛りで提供されている。私の頭の上にいるアノマロちゃんも、自分の体の何倍もある巨大なローストビーフを、凄まじいスピードで「もっきゅ、もっきゅ」と平らげていた。
「そういえば、ギルドのみんなが『新しいダンジョン』の話をしてましたね。早く見つかって、森が安全になるといいですね」
「そうねぇ。王都の騎士団や、今日帰ってきたばかりのSランクのギルドマスターまで本格的に動くらしいから、きっとすぐに見つかるわよ」
(もっきゅ、もっきゅ…………ひえぇぇぇ)
アノマロちゃんは、器用に複眼を逸らして冷や汗を流していた。
(Sランク冒険者のギルドマスターどころか、王都の騎士団まで本格的に動き出しちゃってるじゃない! 私がブチ抜いたゲートのせいで国を挙げての大騒動になってるなんて、口が裂けても言えないわ……。ま、まぁいっか! 証拠なんて残ってないし、私たちは美味しいお肉を食べてるんだから結果オーライよね! もっきゅ、もっきゅ……お肉、幸せ〜!)
お腹いっぱいになって、レストランを出た後のこと。
ふと、エルザさんが真剣な顔で私を見た。
「ねえクロエ。あなた、いつもどこで寝泊まりしてたの?」
「えっと……裏路地の木箱の中とか、優しい馬小屋のおじさんがいる時は、藁の上とか……」
それを聞いた瞬間、エルザさんは「ウッ……!」と目頭を押さえて天を仰いだ。
「っ……! もうダメ、ママ涙腺が崩壊しそう! 今夜からアタシの部屋で一緒に寝るわよ! いいわね!?」
「えっ、でも、私なんかが……」
「遠慮は許しません! ほらノアちゃんも、うちの宿へ行くわよ!」
エルザさんが連れてきてくれたのは、冒険者ギルドが提携している高級宿の、一番大きな貸し切り部屋だった。部屋の真ん中には、雲みたいにフカフカの大きなベッドがある。
「わぁ……お布団、すっごく柔らかいです……」
宿のお風呂に入れてもらって、エルザさんの大きなシャツを借りて着た私は、ベッドの端っこでモジモジしていた。
すると、『ニャン』と鳴いてノアがベッドに飛び乗ってきた。馬のように巨大な黒豹が丸くなると、それだけで極上のフカフカクッションの出来上がりだ。私はたまらず、ノアのモフモフなお腹にダイブした。
「うふふ、ノア、あったかいね」
『もっきゅ。ちょっと新入り、私の定位置を取らないでよね!』
アノマロちゃんもポンッと跳ねて、私の頭の横、一番いい場所である枕の上に陣取った。
「さぁ、クロエ。今日はいっぱい疲れたでしょ。ゆっくりおやすみなさい」
エルザさんが優しく私の頭を撫でて、フカフカの毛布を掛けてくれる。
「……はい。おやすみなさい、ママ、ノア、アノマロちゃん」
これまでは、寒さとひもじさで震えながら眠る夜ばかりだった。
でも今は、背中には大きくて温かいノアがいて、頭の横には大好きな妖精さんがいて、そして私を「娘」だと呼んでくれる優しいママがいる。
幸せすぎて、私の意識はあっという間に温かいまどろみの中へと溶けていった。
スースーと規則正しい寝息が部屋に響く中。
枕の上のアノマロちゃんだけは、月明かりに照らされたクロエの幸せそうな寝顔を、じっと愛おしそうに見つめていた。
(……ふふっ。いい夢みなさい、クロエ)
パステルカラーの前部付属肢で、クロエの柔らかな頬にそっと触れる。
(それにしても、あのメスゴリラといい、このデカ猫といい、私の嫁との密着度が高すぎるのよね! 体長三十センチの節足動物ボディじゃ、抱き枕にすらなれないじゃない……!)
アノマロちゃんは枕の上でグッと前部付属肢を握りしめ、理系JKとしての新たな野望に複眼をギラつかせた。
(Sランクのギルドマスターだろうが王都の騎士団だろうが、この子の平穏を脅かす奴は私が全員ハックして潰す。……そしていつか必ず、この世界でまだ誰も見たことがない『究極の進化(ヒト化)』を成し遂げて、私自身の『人間の腕』でクロエをギュッと抱きしめて寝てやるんだから!)
――だが、そんなアノマロちゃんの熱い決意をあざ笑うかのように。
翌朝一番、私たちの部屋の扉を叩いたのは、そのSランクのギルドマスター・『剣鬼』ギデオンからの、逃げ場のない【緊急呼び出し状】だったのだ。




