第75話(第8話) 最弱テイマー、冒険者ギルドに帰還する。
「わぁ……なんだか今日、街のみなさん、すっごく道を譲ってくれるね!」
『……いや、譲ってるんじゃなくて、あんたが跨ってるその巨大な黒豹(Aランク厄災)を見て、全員生存本能で硬直してるだけよ』
昼下がりの冒険都市『リグ』。
私は、ふかふかで温かいノアの背中にちょこんと跨り、エルザさん(ママ)と手を繋いで大通りを歩いていた。
すれ違う衛兵さんも、荷車を引いていた商人さんも、私たちを見るなり「ひっ……!?」と石みたいに固まって、道がモーゼの海割りみたいにパカッと開いていく。きっと、ママがとっても有名でカッコいいからなんだろうな。
「うふふ! さぁクロエ、着いたわよ。見返してやりましょうね♡」
ギィィッ……バンッ!!
エルザさんが冒険者ギルドの重厚な木扉を勢いよく押し開けた。
その瞬間、昼間からジョッキを傾けて騒いでいた荒くれ者たちの喧騒が、水を打ったようにピタリと消え去り――ギルド中の空気が一瞬で氷点下まで凍りついた。
扉の隙間から悠然と足を踏み入れたのは、周囲の光すら吸い込むような、馬よりも巨大な『漆黒の黒豹』。
その背中には、アノマロちゃんが頭の上に乗った私が跨っていて、両脇には百頭分の素材が詰まった麻袋がパンパンに括り付けられている。
「ひ、ヒィィッ……!?」
「嘘だろ!? あれ、『影渡りのフェルナイト』じゃねえか!! なんで街の中に……しかも、背中に乗ってるの、今朝リックスに死刑宣告されてた魔力ゼロのガキだぞ!?」
ガタガタと震えながら武器を抜きかけた冒険者たちを、エルザさんが鋭い一瞥で制した。
「騒がないでちょうだい。この子は、アタシの可愛い愛娘の『従魔』よ」
「「「……は?」」」
ギルド中の視線が、ノアの背中に集まる。
私たちは呆然とする冒険者たちの間を抜け、まっすぐ受付カウンターへと向かった。
そこに立っていたのは、数時間前、私に「魔力ゼロの欠陥品」と言い放ち、ファング・ウルフ討伐を突きつけてきた受付職員のリックスさんだった。
「あ、あの……。リックスさん、ただいま戻りました……」
「ひ、ヒィィッ……!? く、来るな……ッ!」
リックスさんは顔面を蒼白にし、カウンターの奥へ腰を抜かしてへたり込んでしまった。ノアが放つ圧倒的な強者のプレッシャーに、息すら満足にできないらしい。
「おい、三下。ギルドの受付がそんな情けないツラ晒してんじゃないわよ」
「エ、エルザ様……!? で、ですが、その化け物……明らかにAランクのフェルナイトです! そ、それに、そんな魔力ゼロのゴミが、あんな高位の魔物をテイムできるわけが――」
ドンッ!!
受付カウンターが、みしみしと音を立ててひび割れた。エルザさんが拳を振り下ろしたのだ。
極彩色の闘気が陽炎のように立ち昇り、カウンター周りの空気が一瞬で絶対零度まで冷え込む。
「……次、アタシの愛娘をゴミって呼んだら、その腐ったアタマを胴体から物理的にオサラバさせるわよ?」
「ヒッ!? も、申し訳ございません!!」
リックスさんは涙目でカウンターに頭を擦り付けた。
「アタシたちはファング・ウルフの討伐報告と、この子たちのテイム登録に来たのよ。今朝、水晶を爆発させて登録できなかったからね。ほら、さっさと予備の魔道具を出しなさいな」
エルザさんに睨まれ、リックスさんはガクガクと震える手で、カウンターの奥から予備の水晶玉を取り出してきた。
「く、クロエ様の従魔ですね……。では、この水晶に、その……黒豹の前足を……」
リックスさんが恐る恐る水晶を差し出す。
私が「ノア、お手してね」とお願いすると、ノアは巨大な肉球を水晶の上にポンと乗せた。
――フォォォォォン……!
その瞬間、水晶玉がギルドホール全体を照らすほどの眩い翠色の光を放った。
光が収まった後。空中に浮かび上がったステータス投影を見て、リックスさんは目をひん剥いて硬直した。
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【個体名】ノア
【主】クロエ
【種族】影渡りのフェルナイト(突然変異体)
【脅威度ランク】A
【状態】極めて良好(忠誠度:最大)
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「な……突然変異のAランク、だと……ッ!?」
静まり返っていたギルドに、リックスさんの震える声が響いた。
「あり得ない……! 熟練のAランクパーティが束になってようやく互角に戦えるレベルの厄災個体じゃないか!! なんでそんな化け物が、魔力ゼロの子供に『忠誠度:最大』で服従しているんだ……!? ギルドのテイムの常識が根底から覆るぞ……ッ!!」
パニックを起こすリックスさんをよそに、私は首を傾げた。難しいことはわからないけど、ノアがとってもいい子だということは知っている。
「あの、リックスさん。ノアはとっても優しくてフカフカですよ?」
『ニャゥ〜ン♡』
ノアはゴロゴロと喉を鳴らし、大きな舌で私の顔をペロペロと舐め回した。
「「「…………」」」
ギルド中の冒険者たちが、揃って開いた口が塞がらないという顔をした。
「お、おい……フェルナイトって、あんな甘えた猫みてえに鳴くのか……?」
「いや、Aランクの化け物だぞ!? なんで魔力ゼロのガキに喉鳴らしてんだよ、狂ってんのかこの世界は……ッ!」
張り詰めていた死の恐怖と緊張感が、あまりにも現実離れした『デカい甘えん坊猫』の光景によって、ズッコケるように崩れ去る。
「あの、リックスさん。次は妖精さんの登録もお願いします!」
「ひっ……よ、妖精だと……? こいつが……!?」
私の頭の上から、アノマロちゃんがヒョイッとカウンターに飛び降りた。そして、パステルカラーの前部付属肢を水晶玉にペトッと押し当てる。
――ギチ……ギチギチギチッ!!
今朝と同じように、水晶玉が悲鳴のような軋み音を上げた。
パキッ、とヒビが入り、破裂する寸前で……ギリギリ、空中にバグったような赤い文字が吐き出された。
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【個体名】アノマロちゃん
【主】クロエ
【種族】測定不能(※該当データなし)
【脅威度ランク】エラー(※判定不能)
【状態】超・健康(腹ペコ)
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「は……? 測定、不能……!?」
リックスさんは、限界を超えて完全に白目を剥きかけていた。
「ギ、ギルドの数百年の歴史が詰まった鑑定の水晶だぞ……『該当データなし』!? 一体この生き物は、なんなんだ……ッ!?」
「ひっ、ひぃぃ……っ。しゅ、種族不明……判定不能……っと。承知、いたし、ましたぁ……」
恐怖のあまり脳が処理を放棄しかけているのに、ギルド職員としての悲しい性か、リックスさんはガタガタと歯の根を鳴らしながら必死に羊皮紙にメモを取っていた。
『ふふん、当然ね。このファンタジー世界の魔道具なんかに、地球四十六億年の生物史の頂点が測れるわけないわ』
アノマロちゃんは得意げに二本の前部付属肢を揺らした。
『もっきゅ。人間どもが面白い顔してるわね。クロエ、次は討伐の報告よ! あの男が押し付けてきたファング・ウルフの証拠を、ドカンと出してやりなさい!』
アノマロちゃんに言われ、私はハッと思い出した。
「あの、リックスさん。ペナルティで言われていた、ウルフさんたちの討伐証明部位です」
「証明部位、ですか……? ま、まさかこの魔物たちに狩らせたんですか!?」
ノアが背負っていた麻袋を器用に口で咥え、カウンターの上へとひっくり返した。
ジャラジャラジャラッ……!!
カウンターに山を築いたのは、正確に百頭分の『ファング・ウルフの魔石』と『鋭い牙』だった。
「…………は?」
リックスさんの思考回路が、完全に焼き切れた。
「百頭……!? なんでたった数時間で百頭も狩れてるんだ……!? いや、それ以上に……なんだこの剥ぎ取りの痕は!?」
リックスさんは震える手で、一つの魔石と牙を拾い上げた。
「魔石にも牙の根元にも、傷ひとつ、欠けひとつない! 剣や魔法で力任せに倒せば、部位は必ず損傷するはずだ。なのにこれは、まるで熟練の解体職人が専用の道具を使って丁寧に一つ一つ剥ぎ取ったような……ッ!?」
「えへへ、それは私がやったんです」
驚くリックスさんに、私は胸を張って答えた。
冒険者のおこぼれを拾って生きてきた私にとって、魔物から売り物になる部位を傷つけずに剥ぎ取る『解体作業』は、唯一生きていくための特技だった。魔石に少しでも傷がつけば買い取り価格が下がり、その日のご飯が食べられなくなる。だから、小さなナイフ一本で素早く綺麗に切り出す技術だけは、誰にも負けない自信があったのだ。
「うふふ、アタシの娘はただの天才テイマーってだけじゃないのよ。一人で生き抜くために磨き上げた『解体技術』も超一流なんだから!」
エルザさんが私の頭を撫でながら、ドスを効かせてニッコリと微笑む。
「さぁ、ペナルティはこれで帳消しね? きっちり討伐報酬を出しなさいな。……それとも、まだアタシの娘を『欠陥品』だなんて呼ぶつもりかしら?」
圧倒的な証拠と実力、そしてエルザさんの凄まじい殺気を突きつけられ――。
「――ッ!! ほ、本日は当ギルドをご利用いただき、まことにありがとうございますぅぅぅッ!!」
リックスさんは突如として、裏返った声で叫んだ。
その顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃに濡れ、足は生まれたての子鹿のようにガクガクと震えているのに、顔面だけはヤケクソのような『営業スマイル』に貼り付いている。
「た、ただいまッ、超特急でッ! 特A級の査定にて報酬の金貨をご用意いたしますのでッ! どうか命だけは少々お待ちくださいませぇぇぇッ!!」
猛烈な勢いで計算機を叩き始めるリックスさん。
やがてカウンターの上に、見たこともないような眩い『金貨の山』が積み上げられた。
「えっ……き、金貨がこんなに……!? あの、リックスさん、私、馬小屋の隅っこでお掃除する約束だったのに、こんなにもらっちゃっていいんですか……?」
私が目を丸くして尋ねると、リックスさんは滝のような汗を流しながら全力で首を縦に振った。
「め、滅相もございませんッ!! そんなことをしたら私の首が物理的に飛んでしまいますので、どうか! どうかお納めくださいぃぃっ!!」
『ふふん、当然の対価よ! さぁクロエ、これで今日から馬小屋暮らしは卒業! ふかふかのベッドと、極上のタンパク質が食べ放題よ!』
頭の上でアノマロちゃんが歓喜のダンスを踊り、エルザさんが「じゃあ、まずはママと一緒に新しいお洋服とナイフを買いに行きましょうか♡」と優しく抱きしめてくれる。
金貨の重みよりも、みんなが私の力を認めてくれたことが嬉しくて、私の胸はぽかぽかと温かかった。
――けれど、この時の私はまだ知らなかったのだ。
私が大金を手にし、珍しい『妖精さん』と『大きな黒豹さん』を連れているという噂が、この街のどこか暗い路地裏にいる『かつての仲間たち』の耳へと、すでに届き始めていたことを。




