第71話 アノマロちゃんと、立ち上がった剛剣(ママ)。
『いい、クロエ? 胸を張って歩きなさい。あなたには、カンブリア紀の覇者たるこの私がついてるんだから!』
頭の上から響く、頼もしくて少しだけ物騒な『妖精さん』の声に背中を押され、私は冒険都市『リグ』のギルドの重い扉を押し開けた。
朝からむせ返るような熱気と、汗と鉄の匂い。周囲の荒くれ者たちの視線が一斉に突き刺さる。
「――す、すみません。討伐の報告と、テイマーの登録を……」
いつもなら足がすくんでしまうけれど、今日は頭の上で羽をパタパタさせているアノマロちゃんの温もりがあるから、カウンターまで歩くことができた。
「おい、あいつ……魔力ゼロの欠陥品じゃないか?」
「なんだあの頭に乗っかってるフワフワした生き物は。それにあの片足の防具、妙に可愛いじゃねえか」
いつもなら「ゴミ」と冷たい目を向けられるのに、今日は少しだけ視線が違う気がする。
『ふふん。どうやらこのヒト科どもも、私の完成された機能美と生体樹脂ギプスの優位性が少しは理解できるらしいわね。……クロエにストレス信号を向ける個体がいたら、視神経ごと引き抜いてあげるけど』
(だ、ダメだよ、妖精さん。そんなことしたら、綺麗なおててが汚れちゃうよ?)
『えっ!? そこ!? ……まぁいいわ、今日のところは観察に留めておくわ』
私が心の中でお願いすると、アノマロちゃんは「きゅいっ」と鳴いて堂々と構え直してくれた。
「おいおい、幽霊かと思ったぜ」
受付職員のリックスさんが、薄ら笑いを浮かべて私を見下ろした。
私はビクッと体を強張らせながらも、背負っていた麻袋をカウンターにそっと置いた。
「ゴブリンさんたちの、討伐証明部位です」
ゴトリ、と転がり出た数十匹分の魔石と右耳を見て、リックスさんは目をひん剥いた。
「なっ……魔力ゼロのゴミが、こんな数を狩れるわけがない! 他のパーティの残骸から剥ぎ取ってきたな?」
「ほ、本当なんです! 妖精さんが、私を守るために全部倒してくれたんです!」
『そうよ! あんな炭素生命体ども、一瞬でミンチにしてやったんだから!』
妖精さんを嘘つき呼ばわりされるのだけは嫌で、私は必死に食い下がるが、リックスさんは鼻で笑った。
「こんな虫ケラが群れを倒すだと? いいだろう、証明してみせろ。お前がテイマーとしてこいつを従えるだけの『魔力』を持っているかをな!」
ドンッ! と、カウンターの上に魔力測定用の大きな水晶玉が置かれた。
私が震える手で触れると、無慈悲にも水晶の奥には【魔力:0(エラー)】という文字が浮かび上がる。
「ぎゃはははは! 見ろ、やっぱりただの欠陥品だ! 魔力ゼロのゴミとテイム契約なんて結べるはずがない!」
『……大脳新皮質が足りてないんじゃないの? クロエ、私たちの『究極生体コンバーター』の力、あいつに見せつけてやるわ!』
(えっ? 妖精さん、どうしたの?)
アノマロちゃんが私の頭から飛び降り、水晶玉にパステルカラーのお手てをペトッと押し当てた瞬間だった。
――ギチ……ギチギチギチッ!!
「なっ……なんだ!?」
水晶玉が、かつてない軋み音を上げ始めた。大気中の魔素が凄まじい勢いで吸い込まれ、水晶玉の中にギュウギュウに押し込まれていく。
『アハハハ! 周囲の魔素を根こそぎ『生体エネルギー(ATP)』に変換して循環させてるのよ! さぁ、二酸化ケイ素(SiO2)の結合強度が、この圧力に耐えられるかしら!?』
「ああっ、ダメだよ妖精さん! 水晶さんが苦しそう――」
私が叫んだ直後。
パァァァァンッッ!!!
限界を迎えた水晶玉が木端微塵に大爆発し、爆風を浴びたリックスさんが顔を真っ黒にしてひっくり返った。ギルド内は水を打ったように静まり返る。
「ひっ……!? ご、ごめんなさい、水晶さん、痛かったよね……」
私は血の気が引いて、カウンターの上のアノマロちゃんを両手でそっと抱き寄せた。
とんでもないことをしてしまった。殺されるかもしれない。大人の怒鳴り声は怖い。蹴られたり、ぶたれたりした記憶が蘇って、奥歯がカチカチと鳴る。
……だけど!
「ほ、本当に申し訳ありませんっ! 私が馬小屋のお掃除でもなんでも一生かけて弁償しますから、どうか、この子だけはいじめないでください……!」
私はガタガタと震えながら、リックスさんに向かって深く深く頭を下げた。
「き、きさまぁぁぁっ!! よくもギルドの希少な測定器を!!」
顔を真っ黒に焦がしたリックスさんが、鬼の形相で立ち上がった。
『ちょっとクロエ、なんであんな下等種に頭を下げるのよ! 今すぐあいつの頸動脈を切断してあげるからそこをどきなさい!』
(ダメぇぇぇっ!!)
殺意満々のアノマロちゃんを必死に腕の中に封印していると、リックスさんがバンッ! と一枚の依頼書を突きつけてきた。
「一生かけて払うだと? 当たり前だ! ペナルティとしてこれをやれ!」
「おい、冗談だろ……ファング・ウルフの群れなんて、実質的な死刑宣告じゃねぇか」
周囲がざわめく。
……オオカミの群れ。昨日の出来事がフラッシュバックして、手足の血の気がサァッと引いていく。
でも。腕の中で「きゅいっ」と鳴く妖精さんの温かさに触れていると、不思議と「この子と一緒なら」という小さな勇気が灯った。
『オオカミね。哺乳類の肉は高タンパクで上等じゃない。この世界の生態系頂点が誰なのか、骨の髄まで証明してあげる』
アノマロちゃんが好戦的に前部付属肢を鳴らすのを感じて、私は震える手で依頼書を受け取ろうとした。
その時。
「――待ちな」
ギルドの奥から、低くよく通る声が響いた。
コツ、コツと重いブーツの音を鳴らして歩み出てきたのは、巨大な大剣を背負った、燃えるような赤い髪の冒険者。
Aランク冒険者、『剛剣のエルザ』さんだ。
「いくら子供が備品を壊したからって、魔力のない子一人にファング・ウルフの群れの討伐だと? ギルドによる合法的な殺人だぞ」
「き、規則は規則だ! この欠陥品が自分で弁償すると――」
「――あ?」
エルザさんから地獄の底のような極低音が炸裂した。
「おい。誰がこの娘に向かって欠陥品っつったよ、三下ァ。その腐ったアタマ、胴体から物理的にオサラバしてぇのか?」
「ひっ……!!?」
ヤクザ顔負けの脅迫に、リックスさんが腰を抜かしてへたり込む。
だが次の瞬間、エルザさんは「あらヤダ♡」と艶やかに笑った。
「はしたない言葉使っちゃったわ。……アタシが『監督役』として同行するわよ。文句はないわね?」
「っ……Aランクのあんたが同行するなら、勝手にしろ!」
逃げるように引っ込むリックスさんを見送ると、エルザさんは私と同じ目線になるように優しくしゃがみ込んだ。
「エルザさん……かばっていただいて、ありがとうございます……」
「いいのよ。よく一人で生き延びて帰ってきてくれたわね。本当に、よく頑張ったわ」
「あ……うぅ……っ」
その温かく包み込むような声に、無理に張っていた勇気の糸がふっと切れて、涙がポロポロとこぼれ落ちた。
エルザさんは私の腕の中のアノマロちゃんと、右足のブーツを優しく見つめ、艶やかに微笑んだ。
「可愛いお友達もできたみたいだしね。今日からアタシがあなたの保護者よ! 遠慮なんてしなくていいから、アタシのことは『ママ』ってお呼びなさい!」
「えっ……マ、ママ……? ほんとうに……?」
私みたいなのが、そんな風に呼んでもいいの?
ずっと夢見ていた優しい言葉に、胸の奥がぎゅっと温かくなった。
『マ、ママ……!? そ、そのポジションがあったかぁぁぁッ!!』
私が幸せを噛み締めていると、腕の中でアノマロちゃんが雷に打たれたようにピクッと硬直した。
『痛恨の極み……!『母親』という絶対的な庇護者の立場を利用した、合法的なゼロ距離スキンシップ……! なぜ私が先にその生存戦略に気づかなかったの……!』
(妖精さん? どうして急にブルブル震えてるの……?)
『ち、違うわよクロエ! 私は今、生態系のニッチをこのメスゴリラに脅かされているのよ!』
私が不思議に思って背中を撫でてあげると、アノマロちゃんは二本の前部付属肢で頭を抱え、さらにプルプルと震え出した。
「あらヤダ、感情豊かな子ねぇ! アタシ、この子もすっごく気に入っちゃったわ♡」
エルザさんは豪快にウフフッと笑い、大剣を肩に担ぎ直した。
「よし! それじゃあ初陣の景気づけに、ママとそこの可愛い妖精ちゃんで『勝負』といきましょうか!」
「勝負、ですか?」
「そう! どっちがたくさんファング・ウルフを狩れるか競争よ! ママがカッコいいところ、クロエにたーっぷり見せてあげるからね♡」
エルザさんがお茶目にウインクをした瞬間。
私の腕の中にいたアノマロちゃんの空気が、劇的に変わった。
『……ほぅ。面白いじゃない』
アノマロちゃんは私の腕からヒョイッと飛び立ち、ギョロリとエルザさんを見据えた。
『絶滅種だからって舐めないでよね。この世界の生態系トップに立つのが誰なのか、圧倒的な差で完膚なきまでに証明してあげるわ!』
アノマロちゃんは「きゅいぃぃぃッ!」と甲高く鳴き、闘志を燃やしてガッツポーズをした。
「あの、オオカミさん、とっても、怖いのに……。二人とも、私のために……」
本当は森に戻るなんて足がすくむほど怖い。
……だけど。私を真ん中にして、背中を押してくれる『ママ』と『騎士様』がいてくれることが嬉しくて、私はギュッと胸に手を当てた。
「あらヤダ、いっちょ前に威嚇して! 可愛いんだからぁ!」
オロオロと見つめる私と、「虫ケラのお遊戯」だと思って微笑ましく見つめているエルザさん。
そんな私たちの頭上で、パステルカラーの妖精さんは前部付属肢をシャキィン! と打ち鳴らし、静かに闘志の炎を燃やしていた。
『……あ! っていうか、これって私の『初めてのクエスト』じゃん!』
『待ってなさいよ、赤髪のメスゴリラ! 理系のプライドと、愛する嫁の庇護者の座をかけて――カンブリア紀の頂点捕食者のガチ狩猟、その網膜に焼き付けてあげるわ!』




