第67話 【エピローグ】創造神、四十六億年ぶりの脱・引きこもり。――愛しき君の待つ大地に立つ!
無の空間に浮かぶ真っ白な神域は、静寂に包まれていた。
無数に展開された巨大なホログラムモニターの中心。
そこに映し出されているのは、眩い光の彼方――新たな世界(地上)へと、たった一人で歩み出す三十センチの小さなアノマロカリスの後ろ姿だった。
『――さて。新しい世界の生態系、ゆっくり愛してあげましょうか……。……きゅい!』
モニター越しに、美しく大人びた声と、それに相反するような愛らしい鳴き声が、天界の部屋に響き渡った。
「あ、あぁぁ…………っ!!」
モニターの真正面。
ヨレヨレの白衣を羽織り、ゲーミングチェアの上であぐらをかいていた僕――この神立迷宮『ガラパゴス』の創造神は、顔を両手で覆い、身をよじらせていた。
「きゅい、って……! 今、きゅいって言いましたよ!? 僕の分体の無垢な愛らしさと、種田くんのあの尖ったクレバーな知性が、完全に一つに……っ! 尊い! 尊すぎて僕の神核がビッグバンを起こしそうですぅぅッ!!」
僕はビーカーを手に取り、ストローで『六十五度に完璧に温めたコーヒー牛乳』を一気にズズーッと啜り上げた。
甘い。そして、ひどくしょっぱい。
偏光ガラスの眼鏡の奥で、幾何学模様の複眼からポロポロと涙が溢れ出し、ビーカーの中へ落ちていたからだ。
四十六億年。
長かった。本当に、気が狂うほど長かった。
種田を救うため、この引きこもりの箱庭を作り上げた。狂おしいほどの孤独の中で、ひたすらに、命の系統樹を回し続けた。失敗してはやり直し、途方もない絶望と祈りを繰り返した四十六億年。
すべては、僕の愛しい後輩……いや、『ソウルメイト』に、二度と理不尽な死が訪れないための絶対的な生存能力を身につけさせるため。
この瞬間だけを。
僕の愛の結晶を彼女自身がその身に纏い、誰にも奪われない絶対の強者として光の中へ歩み出す、この一瞬の奇跡だけを。僕は四十六億年もの間、ただひたすらに、息を殺して待ち続けていたのだ。
「……よく頑張りましたね、種田。君は本当に、僕の予想を遥かに超える、美しくて最高の傑作です」
僕はボリボリと胃薬を噛み砕きながら、ゲーミングチェアから勢いよく立ち上がった。
「……しかし、他人のふりをするのは難しいものですね」
神気を帯びた黒髪のショートヘアが、重力を無視してふわりと浮遊する。
背後に浮かぶフィボナッチ数列と生命の系統樹のフラクタル後光が、かつてないほどの高速で歓喜の回転を始めた。
『――告ぐ。創造神の眼球より、塩分濃度〇・九パーセントの液体漏出を連続して確認せり。ひどく見苦しきにつき、早急な清掃を要求す』
背後から、氷のように冷たく、無機質な声が響いた。
振り返ると、一糸乱れぬタイトスーツに身を包み、バインダーを小脇に抱えた『山”口ちゃん』が立っていた。
僕の論理的思考とシステム管理権限だけを切り離して創り出した【分神】。僕と瓜二つの顔を持ちながら、感情の起伏が一切存在しない、天界の絶対的バランサーだ。
「うるさいですねぇ、山”口ちゃん! これは愛の結晶です!」
僕は白衣の裾をバサァッと翻し、天界のクローゼットからカバンを引っ張り出し始めた。
「見ましたか今の!? 僕のソウルメイトが、また地上に出たんですよ! あの恐ろしいファンタジー生態系に、僕の分体と融合して放り出されたんです! 今度こそは、創造神として、陰ながら全力で愛を注ぎに行かないと!」
『――告ぐ。創造神たる貴方の職務放棄、および特定外来生物への重度なストーカー行為への移行を確認。……此度の度し難き愚行、天の書へと永久に保存せり』
山”口ちゃんは表情をピクリとも変えず、虚空に現れた神聖な記録簿(天の書)へ、淡々と僕の黒歴史を刻み込んでいく。
「ストーカーじゃありませんっ! これは愛しき君の、現地調査です! 僕がいなくて寂しいでしょうが、あとの迷宮管理は任せましたよ、山”口ちゃん!」
『――創造神御自らによる迷宮管理の完全丸投げを受理。……貴方の胃に、さらなる特大の穴が開く未来を予測せり』
辛辣なマジレスを背中に受けながらも、僕の足取りは羽のように軽かった。
四十六億年ぶりの、外出。引きこもり生活の終わり。
僕は、モニタールームの奥にある『扉』の前に立ち、それを勢いよく蹴り開けた。
ブワァァァァッ……!!
扉の向こうに広がるのは、エルフやドラゴン、魔法使いたちが跋扈する、理不尽で非科学的な『王道ファンタジー世界』。
その見下ろすような雲海の彼方へと、僕は白衣をはためかせてダイブした。
「さぁて! 新たな力で、君がどんな風にこの腐った世界を物理と生物学で無双してくれるのか……特等席で、じっくりと観測させてもらいますよっ! 待っていてくださいね、種田くーんッ!!」
愛と狂気を煮詰めた創造神が、いま、外界へと解き放たれた。
――しかし。
意気揚々と雲海へダイブし、豆粒のように見えなくなっていく創造神の背中を見送りながら、残された山”口ちゃんは、冷ややかに、しかし確かな呆れを込めて虚空のモニターを見つめていた。
『――告ぐ。全知全能なる創造神たる貴方。……そちら、特定外来生物(種田くん)が降り立った魔の森とは『真逆(南南東)』の方角なり』
そう。この四十六億年引きこもっていた天才科学者の創造神は、自室を一歩出た瞬間に右と左がわからなくなる、極度の『方向音痴』なのだ。
のみならず、飛び出した先は管轄外である『新しい神々が構築した別世界』。
『さらには他神の領域につき、貴方の管理者権限は劇的に制限され、四十六億年引きこもった筋力で、己の足のみで広大な地上を彷徨うこととなる。……開始五分で最弱スライムに追われ、道に迷って泣きべそをかく未来を、完全予測せり』
山”口ちゃんは、バインダーをパタンと閉じ、一つだけ深いため息をついた。
『――まったく。……気をつけて、行ってらっしゃいませ』
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました!
これにて第一部「カンブリア・ダンジョン・サバイバル編」は堂々完結となります!
皆様の温かい応援、たくさんの星やブックマークのおかげで、アノマロちゃんとピカちゃんは一つとなって無事に迷宮をハックし、絆を完全なるものへと昇華させることができました。
次回からは、いよいよエルフや魔法が存在する王道ファンタジー世界を『生物学』で蹂躙していく【第二部 地上ファンタジー生態系ハック編】が開幕します!
迷子で権能を失った神先輩のドタバタポンコツっぷりも必見です☆
「第一部完結おめでとう!」「第二部も楽しみ!」と思っていただけた方は、
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引き続き、カンブリア・JK・アノマロちゃんをよろしくお願いいたします!
【第一部 完】




