第60話 ドロドロに溶け落ちた竜鱗の盾。私を庇って……。
やった。やり遂げた。
大自然の理から外れた、終わりの門の守護者を。
三十メートルの巨体が崩れ落ちた泥の海で、私たちは勝利の余韻に浸っていた。
私の白銀の甲殻に抱きついて泣きじゃくるピカちゃん。
私の背中でハサミを打ち鳴らすプルちゃん。
そして、歓喜のフェロモンを放ちながら群がる蟲たち。
これまでの過酷なサバイバルが、すべてこの瞬間のためにあったかのように報われた気がした。
さあ、いよいよ! あの御馳走(暴虐竜)の時間よ――。
――ボキリ。
重く、鈍い音が響いた。
私の背筋を、氷のような悪寒が駆け抜けた。
歓喜に湧いていた蟲たちの羽音が、まるで冷水を浴びせられたようにピタリと止まる。
「……え?」
ピカちゃんが、私に抱きついたまま、ゆっくりと背後を振り返った。
ズズ……ンッ。
泥の海に沈んでいたはずの、三十メートルの巨体が。
胸を完全に貫かれ、心臓を粉砕されたはずの『暴虐竜』が。
あり得ない角度で首をボキボキと鳴らしながら、不気味に、ゆっくりと立ち上がり始めたのだ。
う、嘘でしょ……!? だって、心臓を……完全に破壊したのに!
私の複眼が、立ち上がった暴虐竜の胸の大穴を凝視する。
間違いなく、心臓は砕け散っている。血液の循環は停止し、生物としてはすでに「死んで」いるはずだ。
だが。
ドクンッ……!!
砕け散った心臓のすぐ横、分厚い装甲の奥深くから、別の巨大な臓器が狂ったように脈打ち始めた。
一つではない。胸の奥、腹部、さらには腰のあたりから。
――ボシュゥゥゥッ!!
首の付け根にある別の気孔から、凄まじい勢いで新しい空気が吸い込まれる。
そして私の複眼は、暴虐竜の手足の筋肉の収縮が、頭部からではなく『腰部』を起点にして伝播しているのをはっきりと捉え――絶望に凍りついた。
一部の恐竜が持っていたとされる、仙髄の肥大化現象。
腰部に隠された『第二神経節(サブ脳)』だ!!
腰部に隠されていたその神経節が、メインの脳の代わりに、全身の筋肉への信号伝達を完全に引き継いだのだ。
それに……多重器官!?
一つの心臓が潰れても、別の心臓が動く。一つの脳が死んでも、別の神経節が身体を動かす。
そんなの、生物の進化として絶対におかしい!
過酷な生存競争において、使わない予備の臓器をいくつも抱え込むなんて、エネルギーの無駄遣い(燃費最悪)だ。自然淘汰の理から完全に外れている。
これは、過酷な環境を生き抜いて『進化した』命じゃない。
神が、神先輩が……ただ強いパーツを無秩序に接ぎ合わせただけの――『キメラ』だ!
『――――――ッッ!!』
声なき咆哮。
立ち上がった暴虐竜の四つの目が、どす黒い殺意に染まり、私たちを完全にロックオンした。
に、逃げてェェェッ!!!
私が叫んだ、その時だった。
暴虐竜の背中に並ぶアンキロサウルスの装甲板が、尻尾の先端から首筋に向かって、ドクン、ドクンと『青白い不気味な光』を放ちながら順に点灯し始めた。
周囲の空気が、急激に熱を帯びる。泥地の水分が一瞬にして沸騰し、シュゥゥゥと白い蒸気となって立ち上る。
重たい大気が、暴虐竜の大きく開かれた顎の奥へと、凄まじい吸引力で吸い込まれていく。顎の奥底で、青白い光が、太陽の表面温度にも匹敵する極限の熱量として収束していくのがはっきりと見えた。
暴虐竜と目が合った……。そうか、私を狙っているのね……。
ダメだ。私の計算が、無慈悲な結果を突きつける。
あんなもの、生物が放っていい熱量じゃない。直撃すれば、細胞の一片すら残さず一瞬で『蒸発』する。
回避? 不可能だ。私たちは完全にエネルギーを使い果たしている。蟲たちも、ピカちゃんも、全員で逃げるためのスタミナなど残っていない。
空間ごと、すべてを消し飛ばす気だ。
周囲の音が消えた。
暴虐竜の顎の奥で、極限まで圧縮された青白い熱線が、ついに臨界点を突破し――放たれようとした、その刹那。
「おねえさまッ!!!」
ドンッ!
私の巨体が、強く後ろへ突き飛ばされた。
え……?
視界の先。私の前に立ち塞がったのは、パステルブルーの蛇尾を持つ、私の愛する相棒。
ピカちゃんは、自身の左腕を覆う『竜鱗』を限界まで硬化・巨大化させ、極厚の盾として展開する。さらに、右手で握りしめた『竜騎槍』を、プロペラのように超高速で回転させ始めた!
回転する槍が流体力学的な渦を作り出し、迫り来るブレスの熱量を強引に散らして相殺しようというのだ。
だめっ! ピカちゃん、逃げてッ!!
私の悲痛な叫びを掻き消すように。
――ズバアァァァァァァァァァァンッッ!!!!
暴虐竜の顎から、世界を白く染め上げる極太の『超高熱プラズマブレス』が撃ち出された。
青白い熱線の柱が、大地を抉り、空間を焼き焦がしながら一直線に迫り――高速回転する竜騎槍へと激突する。
「んんんんっ……ああぁぁぁぁぁぁッッ!!!」
回転する竜騎槍がプラズマの奔流を切り裂こうと激しい火花を散らす。
だが、神罰の熱量は物理的限界を軽々と超えていた。
メキッ……パキィィィンッ!
どんな重装甲をも貫いたはずの無敵の竜騎槍が、遠心力と異常な熱膨張の負荷に耐えきれず、先端から爆散し、ついに灰となって完全に消滅した。
防壁を失ったブレスが、そのまま巨大化した竜鱗の盾へと直撃する。
「あ”あ”ぁぁぁぁぁぁぁぁぁッッ!!!」
数トンの打撃すら傷一つなく弾き返した、絶対防御の結晶装甲。だが、その強固な盾すら、数千度を超える熱量の前では無力だった。
ジュワァァァァッ!!
盾となった竜鱗が耐えきれずにドロドロに融解し、真っ赤な液体となって無残に崩れ落ちていく。
「盾なんかぁぁぁ!! 無くったってぇぇぇぇぇぇぇぇッッ!!!」
そして、防ぐものをすべて失った熱線の余波が、ピカちゃんの全身を包み込んだ。
ピカちゃんんんんんッッ!!!
あと少し……あともう少し……。
銀糸の美しい髪も、パステルブルーの鱗も、透き通るような白磁の肌も、無残に黒く炭化していく。
あんなに愛おしく触れたばかりの、あの美しい体が。
「お、ねえ、さま……っ、は、無事、です、か……っ」
凄まじい熱光の中で。
全身を焼かれ、崩れゆく身体で、ピカちゃんはただ、私を守るためだけに、一歩も退かずに立ち続けた。
やがて。
暴虐竜のブレスが途切れ、世界に再び静寂が戻った時。
盾の役目を果たし終えたピカちゃんの身体は、限界を迎え、糸が切れた操り人形のように、力なく崩れ落ちていった。




