第58話 神先輩のドアホォォォ!必殺の【生体加速器(バイオ・マスドライバー)】。
空間の分子結合が、物理的に固まっている……?
これかぁぁぁ! 神先輩が言ってた絶対物理障壁ぃぃぃぃ!
血の雨に濡れて可視化された、空中の壁。
私は、そこに張り付く青白い幾何学的な『不気味な文様』に付着した、『血液の反応の違い』を見逃さなかった。
ヤスデやムカデといった【蟲たちの体液】が付着した部分の文様は、完全に沈黙し、一切の干渉を撥ね付けている。
しかし――【ピカちゃんの血】が付着した部分だけは違った。
文様がかすかに明滅し、まるで血液に含まれる『何か』を読み取ろうと、化学的な照合を繰り返していたのだ。
ピカちゃんの血にだけ、障壁が反応した……?
彼女が迷宮の二番目の契約者だから? それとも別の理由?
見えない障壁の正体。それは魔法の盾などではない。極めて厳格な『生体認証ゲート』だったのだ。それゆえに、『鍵』を持つもの以外にとって『絶対物理障壁』と化す。
だが、文様はピカちゃんの血を読み取ろうとした直後、激しく明滅して最終的には弾き返した。
ピカちゃんは、この壁を抜けるための【条件のピース】を持っている。でも、彼女一人だけじゃ通れない……。この壁は、さらに別の『もうひとつのピース』を同時に要求している……!
自らの解析結果に、私は絶望を通り越して呆れ果てた。
ピカちゃんが持つピースと、もう一つの未知のピース。二つの全く異なる生物条件を『一つの個体』が同時に満たさなければ、空間のロックは解除されない。
大自然の理を完全に無視した、絶対に解けない矛盾。この空間を創り出した神先輩……最初から誰も通すつもりがないと証明する、悪意に満ちたクソ仕様(絶対条件)だった。
神先輩のドアホォォォォォ!!!!!
足りないピースが何なのか、今は検証している時間もない。
ふざけるな。誰が、こんな理不尽なルールに従って死んでやるもんか……ッ!
要求される二つのピースを、一つの個体で同時に提示できないなら。鍵穴ごと、このクソみたいな障壁を物理的にブチ破る!
しかし、アエギロカシスである私の巨体とピカちゃんの質量を掛け合わせただけの超音速ホバーでは、まだ運動エネルギーが足りない。それは、先ほどの激突で証明された。
この『絶対物理障壁』を粉砕するには、この空間に存在する【すべての質量】を一点に収束させる必要がある。
姫ッ! まだ動けるわね!?
私は、顔の下から伸びる網目状の大付属肢を震わせ、姫アリへ向けて化学信号を送った。
***
(……おねえさまから、新しい指示……ッ!)
退避命令じゃない。それは、生き残ったすべての群れの命を、たった一つの『極点』へと注ぎ込むための陣形指示だった。
(ゆくぞっ! 群れの命すべて、おねえさまの推進力に……ッ!!)
私(姫アリ)は体液の泡を吐き出しながら、千切れそうな触角を限界まで振り乱し、群れの感覚網のすべてを掌握して絶対の意思を伝達する。
『――全群、陣形構築! 我らの肉体と命で、おねえさまの【砲身】となりなさいッ!!』
***
姫アリの決死の伝達を受け、生き残った森の覇者たちが動いた。
大ヤスデと大ムカデたちが、泥を這いずりながら自らの巨体を幾重にも編み上げるように絡み合わせる。彼らの分厚い外骨格と強靭な筋肉が、極限まで圧縮されたバネのようにギリギリと軋みを上げ、私の射線から暴虐竜の胸部へと真っ直ぐに伸びる【超巨大な発射台】を形成していく。
だが、私たちの動きを、暴虐竜の無機質な四つの目が冷酷に見下ろしていた。そして、ただの羽虫への鬱陶しさから、明確な『殺意』へと移行する。
『――――』
アンキロサウルスの装甲に覆われた巨大な尻尾が、構築途中の発射台を根本から粉砕すべく、唸りを上げて振り抜かれた!
いけないッ! 今あそこを崩されたら――!
私が叫ぼうとした、その時だった。
『――構築を止めるな! 兵たちよ、盾となれェェェッ!!』
姫アリの悲壮な化学信号が空間に響き渡る。
直後、構築に加わっていなかった巨大なハナカマキリや大ヤスデたちが、自ら巨大な尻尾の軌道上へと決死の跳躍を遂げた。
ドゴォォォォォォンッ!!!!
『ぎ、ぃぃ……っ、ぁアアアアッ!?』
凄まじい質量が蟲たちを薙ぎ払い、数百の命が一瞬にして空中で血肉の華を咲かせて四散する。
降り注ぐ体液の雨。群れの死の痛覚を感覚共有で直接脳に受け止めた姫アリが、複眼から体液の涙を流して痙攣する。
それでも、肉の盾となった仲間たちの命と引き換えに、致命的な一撃の軌道はわずかに逸れ、巨大な発射台の圧縮は無事に完了した!
流体力学の極致よ! 私の射線上の大気を極限まで『押し流し』なさい!
私は降り注ぐ飛沫の中で、感覚毛を激しく震わせる。
私の前方、暴虐竜への直線軌道上へ、巨大トンボ(メガネウラ)の大群が急降下した。彼らは私の行く先を切り裂くように一斉に狂ったような羽ばたきを開始し、猛スピードで突撃しながら強烈な【スリップストリーム(後流現象)】を発生させる。
彼らが重たく粘り気のある特異空間の大気を強引に押し退けることで、私の射線上には一時的に『極端に気圧の低い、空気抵抗が限りなくゼロの回廊』が生まれた。
巨大ヤスデ・ムカデたちの弾性エネルギー(物理カタパルト)と、巨大トンボたちによる流体制御(空気抵抗の排除)。蟲たちが自らの命と巨体を使って構築した、【生体加速器】が完成した。
「シャアァァァッ!!」
そして、暗殺サソリのプルちゃんが、加速器の最前線――絶対防御の壁の目の前へと躍り出た。
暴虐竜の放つ致死的な高圧の気配を正面から浴び、漆黒の装甲がミシミシと悲鳴を上げる。それでもプルちゃんは一歩も退かず、二本の毒針を見えない壁の『一点』に力任せに突き立て、そのまま自らの巨体を固定した。
全エネルギーを叩き込むための、寸分違わぬ座標。
みんなが、血反吐を吐きながら道を作ってくれた。命をすり潰して、私を信じてくれた。
なら、私はその想いに、最高の物理演算で応えるだけだ!
ピカちゃん! 起きて!
私は顔の下から伸びる巨大な網目状の大付属肢を伸ばし、泥に倒れ伏していたピカちゃんを、優しく、けれどしっかりと掬い上げ、私の背中(甲殻)の上に乗せた。
ピカちゃん、私の全カロリーを燃焼させて、弾速を限界まで引き上げる。……姿勢制御と、最後の一撃は任せたわよ。みんなの命、全部乗せていくわよ!
私の背中で、ピカちゃんが蛇尾をガッチリと巻き付けて固定し、血まみれになった『竜騎槍』を力強く構えたのがわかった。
「や、やりましょう、おねえさまッ!! ぼくたちが、新しい理になるのですぅッ!!」
私は、生体カタパルトの最後尾に身を沈め、アエギロカシスの巨体の側面に並ぶ背側と腹側のダブルフラップを、揚力ではなく【直進】のための最大迎角へと固定した。
同時に、私の巨体を支える巨大ヤスデとムカデたちのバネが、解放の時を待ってギリギリと限界の音を立てる。
体内に残された最後の魔力を、フェロモンとしてではなく、純粋な推進剤としての燃焼エネルギーへとすべて変換する。背側に並ぶ巨大な『羽毛状の鰓』から、凄まじい高圧の蒸気がジェットエンジンのように噴き出し、周囲の泥を爆風で吹き飛ばす。
目標、プルちゃんの毒針の座標! 空間の絶対条件ごと、物理のゴリ押しで粉砕する……ッ!
限界まで高められた超音速ホバーのチャージ。
森の覇者たち(全軍)の想いと質量、そして私の演算をすべて乗せた究極の一撃が、今、空気を切り裂き放たれようとしていた。




