第52話 みんなが怯える。……でも、おねえさまとプルちゃんはいつも通りです。
――ズズンッ……! ズズンッ……!
深い森の奥から、樹齢数百年の大木を根本からへし折って姿を現したのは、理不尽な質量の暴力だった。
体長十メートル近い巨体。全身を分厚い骨の鎧で覆い、尾の先端に巨大な骨のハンマーを備えたアンキロサウルスの群れである。
どうやら過酷な最上層での縄張り争いで極度の興奮状態にあるらしく、巨大な戦車の大群が地響きを立て、無差別の暴走を引き起こしながらこちらへ殺到してくる。
迎撃! オオミズアオ、鱗粉散布! 大ヤスデは衝撃に備えて!
おねえさまのフェロモン指示が空間を駆け抜け、蟲たちが一斉に動く。
だが、オオミズアオが羽ばたかせる強力な神経毒の鱗粉すら、極厚の皮膚と装甲に阻まれて粘膜まで届かない。さらに、前衛で巨大な壁となった二十メートル級の大ヤスデの分厚い甲殻ですら、敵が振り回す巨大な尾のハンマーの直撃を受け、ミシミシと嫌な音を立てて強引に押し込まれてしまう。
蟲たちの刺突も、打撃も、生化学的な毒すらも通じない。まさに歩く要塞。
このままでは、陣形ごとすり潰される。
「キチチチチッ!」
その絶対的な装甲に対し、真っ先に新たな『適応進化』を見せたのは漆黒の暗殺サソリ、プルちゃんだった。
プルちゃんはサソリ特有の「体外消化」のメカニズムを異常発達させ、二本の毒尾の内部で致死毒を【超高濃度の酸性消化酵素】へと急速に作り変えたのだ。
プルちゃんは群れの死角へと素早く潜り込み、重装甲恐竜の甲殻そのものではなく、装甲同士を繋ぐ『関節の継ぎ目』へと、その生体溶解液を正確に噴射した。
ジュゥゥゥゥッ!!
強固なカルシウムと軟骨組織が、白い煙と鼻をつく刺激臭を上げて瞬時にドロドロに軟化し、融解していく。
無敵の要塞に、ほんのわずかな『綻び』が生まれた瞬間だった。
「――そこですっ!」
陣形の内側から、ぼくは大きく跳躍した。
空中で大蛇の下半身をバネのようにしならせ、溶けかかった重装甲恐竜の尾の関節へと飛び乗る。成長してしなやかな筋肉を得た両腕を装甲の隙間にねじ込み、渾身の力を込めた。
狙うのは、敵の最大の武器である尾の先端。凄まじい質量を持つ【巨大な骨のハンマー】だ。
「んんんっ……ああぁぁぁぁっ!!」
ブチブチブチッ! メチャァッ!!
融解して脆くなっていた太い腱が引きちぎられ、大量の鮮血が間欠泉のように噴き出す。
ぼくは、千切ったばかりの巨大なハンマーの骨髄を素手で握り締め、そのまま豪快な打撃武器として肩に担ぎ上げた。
「おねえさま! 見て下さーい! 武器を現地調達しましたよぉぉっ!!」
自分の背丈よりも巨大な肉と骨の塊を肩に担ぎ上げる。超重量の塊が動くたび、足元の大地が悲鳴を上げてひび割れた。
大蛇の尾で泥を深く抉るように踏み込み、極限まで捻った腰のバネで、強烈な遠心力を乗せて振り抜く。
ブォンッ……!!
圧縮された空気が爆発し、遅れて突風が巻き起こる。
グシャァァァッ!!
先ほどまで蟲たちの攻撃をことごとく弾き返していた強固な頭蓋骨が、同族の骨の質量をぶつけられてあっけなく陥没し、一匹の重装甲恐竜が即死して地に伏した。
ぼくは飛び散った新鮮な返り血を全身に浴びながら、引き裂かれた極上の肉にそのまま噛み付く。
熱い。熱い。熱い! 飲み込んだ瞬間に、迷宮の権能が爆発する。
――ヒュゴォッ!!
直後、別の恐竜がぼくの死角から巨大な尾のハンマーを振り下ろしてきた。
回避は間に合わない。ぼくは咄嗟に左腕を掲げた。
自分の何倍もの質量を持つ打撃が直撃する刹那、ぼくの血肉となったばかりの『恐竜のDNA』が強制発現する。
左腕の皮膚を突き破り、恐竜の皮骨が分厚く強靭な『竜鱗』となって瞬時に再結晶化した。
ガギィィィィンッ!!
火花が散る。骨の砕ける音は鳴らない。
数トンの破壊力を持つ打撃を、ぼくは竜鱗に覆われた左腕一本で、真正面から受け止めていた。凄まじい衝撃波が周囲の木々を薙ぎ倒すが、ぼくの大蛇の下半身は大地に深く根を張り、一歩も退かない。
「ふふっ……効かないのですよぉ」
受け止めた左腕で敵のハンマーを強引に弾き返し、右手に持った骨のハンマーで反撃のフルスイングを叩き込む。
殴り殺し、引き裂き、喰らう。
圧倒的な暴力の連鎖。【狩猟・捕食・細胞分裂】のループが、戦いの最中に超高速で回転し始める。一匹屠り、肉を喰らうごとに、ぼくの身体はミチミチと音を立てて成長していく。
十代前半の少女だった骨格がミシミシと押し広げられ、身長が急速に伸びる。重い武器を羽のように振り回すための、しなやかで高密度な筋繊維が全身に編み上げられていく。
戦場を舞うその姿は、瞬く間に骨格の成長限界点である『十八歳ほどの成熟した女性』の完全な肉体へと到達していた。
だが、異常な速度の細胞分裂と、莫大なATPの産生が引き起こす高熱が、ぼくの脳を沸騰させていく。
何より、過剰に摂取しすぎた恐竜のDNAが、ぼくの理性を『闘争本能』で急速に塗り潰し始めていた。
「ア……アハハッ! もっと、もっとぉ! アハハハハハハハッ!!」
視界が真っ赤に染まる。瞳孔が、細い糸のように極限まで収縮する。
口の端からダラダラと涎を垂らし、熱い蒸気を吐き出しながら、ぼくは壊れたように笑い続けていた。
もう、自分が何をしているのかすら分からない。
ただ目の前にある動く肉塊を、巨大なハンマーでミンチに変えて、貪り喰う。ただ、それだけの、殺戮の獣。
その異常な殺戮の様子に、強固な統制を保っていたはずの蟲たちにすら『本能の恐怖』が伝播していた。
最前線で壁となっていた巨大ヤスデが怯えたように後ずさり、ハナカマキリが威嚇のポーズのまま硬直する。おねえさまの背中で安全圏にいるはずの姫アリでさえ、その凶暴性に震え上がり、触角を丸めてすくみ上がっていた。
――だが、例外が二つ。
「キチッ」
漆黒の暗殺サソリたるプルちゃんだけは、狂乱するぼくのすぐ傍で、全く動じることなく冷徹に敵の関節を溶かし、ぼくをサポートし続けていた。
プルちゃんにとって、ぼくはどれだけ血に狂おうが『仲間』であり、その程度の狂気で揺らぐような柔な精神(神経系)はしていない。しかも、ぼくの暴れる攻撃すら余裕の身のこなしで躱していた。
そして、もう一人。
このまま理性が焼き尽くされ、永遠に血の渇きに支配されてしまう――ぼくの意識が完全に暗闇に落ちかけた、その時だった。
フワッ……。
狂乱の戦場に、音もなく滑り込んできた銀色の影。
暴走状態のぼくを全く恐れることなく、背後に接近したのはおねえさまだ。
むせ返るような血の悪臭を上書きするように、ふわりと、あの甘くて安心する『琥珀の匂い』がぼくを包み込む。
おねえさまのひんやりとした濾過網(大付属肢)が、血まみれで熱を持ったぼくの身体を、優しく、赤子をあやすように抱きしめた。同時に、『繋がり(エンパシーパス)』を通じて、鎮静効果を持つ愛情の思念が、ぼくの脳内に直接流れ込んできた。
もういいのよ、ピカちゃん。よく頑張ったわ。だから、少し休みましょ?
あぁ……。おねえさまは、どうしてこんなにも、温かくて、安心するのだろう。
沸騰していた血がスッと冷め、細胞の熱狂が穏やかに鎮まっていく。収縮していた瞳孔が元に戻り、ぼくの目に再び理性の光が宿る。
周囲を見渡せば、あれほどの大群だった重装甲恐竜たちは、すでにぼくと蟲たちによって完全に殲滅されていた。
「……おねえ、さま……。ぼく、ちゃんと……守れました、か……?」
ええ。完璧なエースだったわ。おやすみなさい、ピカちゃん。
その優しい言葉を聞いた瞬間、張り詰めていた糸がプツンと切れ、ぼくの意識は、深く心地よい眠りへと落ちていった。
***
はぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ……!!
よかった、本当によかった! 一時は闘争本能の暴走(DNAのオーバードーズ)でどうなることかと思ったけれど、無事に理性を引き戻すことができたわ。
私は、腕の中(大付属肢の間)でスヤスヤと眠るピカちゃんの頭を、そっと撫でた。
――撫で、ながら。
……待って。待って待って待って!
たしかに大量の極上バイオマスを摂取し続けた結果、骨端線が完全に閉鎖する『十八歳相当の大人』の骨格にまで急成長したのは分かるわ。
でも、なにこの完璧な肉体美!?
手足はスラリと伸びて長くなり、重い武器を振り回していたとは思えないほど、しなやかで引き締まった無駄のない筋肉。
そして左腕を覆う、あの恐竜の打撃すら弾き返すほど分厚く、それでいて宝石のように艶やかな『竜鱗』!
人間の女性としての成熟した『クール系の美貌』と、生態系の頂点に立つにふさわしい『竜の武威』が、信じられないほどの奇跡的なバランスで融合している……!
細胞分裂のエラーも起こさず、必要な形質(DNA)だけを抽出してここまで美しく再構築するなんて、迷宮の生化学的メカニズムはどうなっているの!?
あああっ、汗と返り血に濡れたクールビューティーな美貌がエッッッろ……いやいや、尊いよぉぉぉぉぉっ!
いますぐ筋肉の密度と鱗の組成のサンプリングをして……! うん、これは群れの安全を守る司令塔として、絶対に必要な『生体構造の把握』よ! 決してやましい気持ちじゃないわ! ふふふふっ☆
私の脳が狂化していく……。




