第45話 生体パラメーターの強制書き換えに伴う著しい酩酊作用……要するに、ただの無敵モード。
暗い樹洞の奥底。
青白く発光する『謎の結晶体』を前に、私たちは抱き合って深呼吸を繰り返していた。
はぁ……っ、ふぅ……っ。
甘い。そして、異常なまでに呼吸が軽い。
さっきまで私の細胞を酸化ストレスで焼き焦がそうとしていた『超高濃度酸素』の暴力的な過負荷が、この結晶から放たれる青白い気体を取り込んだ瞬間、完全に無効化されている。
それどころか、私の体内のミトコンドリアが未知の気体を【触媒】にして、狂ったようにATPを大増産しているのがわかる。
……間違いないわ。
この気体、ただのファンタジー空気じゃない。細胞の代謝プロセスそのものを書き換える『未知の化学物質』だ!
あのティラノサウルスは、大気中に極微量に溶け込んだこの『特異な気体』を呼吸で取り込むことで、自重崩壊や燃費の問題を解決し、あの理不尽な巨体と超機動を維持しているのだ。
ふふっ。ふふふふふっ。
私の理系JKとしての探究心が、最悪の最適解を弾き出した。
二人とも、よく聞いて。
この理不尽な迷宮を生き残るための、起死回生の科学実験を始めるわよ。
私はハサミで青白い結晶を指し示した。
今から、この特異環境の発生源を【直接吸引】するわよ!
「きゅわっ!? じか、すい……!?」
そう! 濃度勾配の頂点で『未知の触媒』を過剰摂取して、私たちの呼吸器系そのものをこの環境へ強制適応させるのよ!
普通の生物なら急激な細胞変化に耐えきれず自滅(ショック死)するだろうけど、私たちなら、今の『限界ギリギリの酸化ストレス状態』との化学的な均衡(ルシャトリエの原理)で相殺できるはず!
私は、結晶に自分の腹部の書鰓を密着させると、限界まで息を吸い込んだ。
ズオォォォォォォッ……!!
ピカちゃん! プルちゃん!
あんたたちも遠慮しないで吸い尽くしなさい! 生態系のルールごと、骨の髄までしゃぶり尽くすのよォォッ!
「わ、わかったのですぅぅっ! すーっ、はーっ!!」
「シャリリリリッ!!(スゥゥゥゥッ!)」
私たちは三人団子になって、純度百パーセントの環境触媒をダイレクトに体内に取り込み続けた。
バキッ、メキメキメキィッ!!
超高酸素と未知の気体を同時に処理する、青白く発光する全く新しい呼吸器官へのアップデート!
やがて、完全にエネルギーを吸い尽くされた結晶は、ただの石英の粉となって消滅した。
直後――私たちの脳内に、致死量を超えたエネルギー(ATP)が爆発的に駆け巡った。
……あはっ、あははははっ! なにこれ、すっごぉーい! 身体が、羽みたいに軽ーいっ!
私は、自分の大バサミをぶんぶんと振り回しながら、だらしなく笑い出した。
体を縛る重力も、酸素の猛毒も、もう一切感じない。それどころか、血の巡りが良すぎて世界がぐにゃぐにゃとカラフルに輝いて見える。
「えへへぇ〜、おねえさまぁ〜。世界がキラキラで、お空が飛べそうなのですぅ〜♪」
ピカちゃんは頬を真っ赤に染めながら、パステルブルーの長い蛇尾を地面からふわりと三十センチほど浮き上がらせていた。なにやら、空中でへらへらと犬掻きのような動きで泳いでいる。
「きゅいっ、きゅいぃ〜ん……(シャリ、シャックリ!)」
プルちゃんに至っては泡を吹きながら仰向けになってケラケラと笑っている。
過剰なエネルギーと未知の気体のオーバードーズ。私たちは、突然の環境バグ直吸いによって、完全に『謎バフによる酩酊状態』に陥っていたのだ。
あーっはっはっは!
物理法則チョロすぎ〜! あ・た・し・た・ち☆最・強☆じゃーん!
私はハサミを打ち鳴らし、完全に酔っ払った無敵のドヤ顔で、樹洞の入り口へと千鳥足で歩み出た。
さあ、外に出るわよー! 今ならあのティラノサウルスとも正面からプロレスしてやんよォォーッ!!
ゲラゲラと笑いながらシダの森へと足を踏み出した、その時だった。
キィィィィィンッッッッ!!!!
……んんぅ? なぁにこの反応〜? 何んんにも見えないんですけどぉぉ〜?
ドズゥゥゥンッッ!!!
あでっ!? ちょっ、だれぇ〜? あたしのこと押したのぉ?
突然、目に見えない「虚空」から放たれた猛烈な空気の圧縮波が、私のダークブルーの背甲に激突した。
普通なら恐怖で凍りつく場面だが、今の私は圧倒的な酩酊状態。痛みよりもハイテンションが勝ってしまい、泥だらけになりながらもケラケラと笑い転げた。
見えない。
どこから襲ってくるのか、複眼をグルグル回しても、パステルグリーンのシダの葉が風に揺れる様子しか見えない。
なのに、鋭い『見えない爪』が連続で襲いかかり、私の分厚いキチン質の殻を「ガキィィンッ!」と抉り、派手な火花を散らす。
かくれんぼ〜? ウケるんですけどぉ! ソナーも、視覚も、すり抜けてるぅ〜……あ! わかった! スネルの法則じゃ〜ん!
酔っ払った私の理系脳が、アハハと笑いながら一つの光の屈折の公式を導き出す。
n1・sinθ1 = n2・sinθ2
大気中の触媒パラメーターを体表で操作して、自身の光の屈折率(n)を背景大気と完全に一致させているんだぁ〜!
上空を支配する、最上層の神出鬼没の魔物。
それは、地上の圧倒的な暴力から逃れるために、あえて巨体化を捨てた究極の空の捕食者。
史実の七十センチを優に超えつつも、森の木々をすり抜け、風切り音すらも極限まで抑え込む『猛禽類サイズ』へと最適化された――翼長『二メートル』の【ステルス巨大トンボ(メガネウラ変異種)】。
奴は、生きたメタマテリアルとも呼べる『完全な光学迷彩』を全身に纏っているのだ。
ちょっと〜! 自分の屈折率を同期させるとか、SF映画の光学兵器じゃ〜ん! 物理法則、仕事しろし〜!
絶体絶命のステルス急降下爆撃を受けているというのに、私の脳内には全く危機感が足りていない。
「おねえさまぁっ!! ぼくのうしろに、隠れるのですぅ〜っ!!(シャックリ)」
完全に出来上がっているピカちゃんが、パステルブルーの蛇尾をゆらゆらさせて私の前に飛び出した。盾となって、見えない爪の標的を自らに引き受ける!
ピカちゃんは、強靭な蛇尾を瞬時にとぐろ状に巻き上げ、私たちの前に肉厚な『盾』を作り出した!
「えいっ、えいっ、なのですぅ〜!」
しかし、相手は空からの三次元ステルス立体爆撃。どこにいるかも分からない敵に対し、私のハサミも、虚しく空気を切るだけ。
ガキィィンッ! バチバチバチィッ!!
「きゅ、きゅぅぅうっ……! お、重いのですぅ……っ、でも、負けないもんっ!」
ピカちゃんの鱗と筋肉でできた『盾』が見えない爪を間一髪で弾くと同時に、派手な火花を散らす。
しかし、空から降ってくる規格外の運動エネルギー(質量)までは殺しきれない。私たちは三人まとめて、ボウリングのピンのように泥の中へゴロゴロと転がった。
見えない暴力の前に防戦一方へと追い込まれていく。
私の生存本能が真っ赤な【死の警鐘】をガンガン鳴らしているのに、ハイになった脳内は「見えない敵をどうやって暴いてやろうか」と、ゲラゲラ笑いながら超速でハッキングの計算を回し始めていた。
見えない死神の急降下爆撃の羽音が、私たちの真上からキィィィンと金属的に鳴り響いた。
***
『――告ぐ。対象個体(特定外来生物)による『迷宮の理の結晶』の限界突破吸収を感知。命の脈動、理の許容を著しく超過せり。……魂の器を自ら砕く、狂乱の果ての自死行動』
真っ白な神域。
厳格で冷徹な声が響く中、ヨレヨレの白衣を羽織った女子高生の姿をした『私』は、宙に浮かべたゲーミングチェアの上であぐらをかき、ビーカーの温かい液体をストローでずずっ……と啜った。
「あははっ! ブッブー、ハズレです山"口ちゃん。あれは発狂じゃない、完全な『ヤケクソ』……いや、『宴』の始まりですよ!」
私は空中に展開した巨大モニター群を、まるで深夜アニメの神回でも実況するようなテンションで見つめながら、くつくつと喉を鳴らした。
「しかしながら、お助けアイテム『進化の促進剤』を、まさかストロング系チューハイみたいに一気飲みするなんて! 四十六億年この箱庭を眺めてきましたけど、あんなクレイジーな攻略法をする子、初めてですっ☆」
『――告ぐ。対象個体は神理の恩寵に溺れし酩酊状態のまま、当該階層の空を統べる理『屈光群メガネウラの壱体』と交戦中。命の糸が明日へと繋がる確率は〇・一パーセント未満と推測。……理無き者の、無駄な足掻き』
「分かってないですねぇ、真面目すぎますよ山"口ちゃん。突如ぶち込まれたこの泥酔ギャグ回! これこそが極上のエンタメじゃないですか」
『――……進化の極致たる『完全光学迷彩』を、知も力も混濁せし今の器で突破することなど、天地の理に反する絶対不可能』
「さあ、それはどうでしょうね?」
私は手元のビーカーを揺らし、偏光ガラスの眼鏡の奥で、幾何学模様の『複眼』を面白そうに細めた。
「見せてみなさいな種田くん。生態系がたどり着いたこの完璧な『ステルス機能』を、そのアルコール回った理系脳でどうやってブチ破るんです? ……ふふっ、最高の回答、期待してますよっ!」




