第35話 はじめてのお留守番と帰ってこないおねえさま。
『( ・ ▼ ・ )きゅいきゅーっ!☆』
背甲にしがみつくピカちゃんが、嬉しそうに身をよじった。
まだまだピカちゃんにとって、1G環境の徒歩はスタミナ消費がエグい。あっという間に充電切れだ。おまけに巨大イモムシを限界まで爆食いしたせいで、完全に満腹。
完熟マンゴーと高級カスタードが溶け合うような莫大な栄養が、全身の細胞にじわじわと染み渡り、心地よい熱となって脈打っている。結局いつものように、私の背中に「きゅぅ」と甘えて収まってしまったのだ。
……うん。可愛いから全然オッケー。
きっと、子供がいたらこんななんだろうなーっ、なんて思う。
よーし、ピカちゃん。今のうちに、この新天地での『最初の仮拠点』をクラフトしちゃおっか☆
物件は即決だった。
巨大シダ(鱗木:レピドデンドロン)の、太い根と根が複雑に絡み合ってできた、巨大な天然のドーム空間。今回は、この森のオーガニック素材をフル活用して、最高にオシャレな拠点を作ってやる!
私は歩脚をフル稼働させ、地面に落ちているレピドデンドロン特有の『菱形の硬い樹皮』を大量に回収。ハサミを器用に使い、ドームの入り口に樹皮をパズルのように隙間なく組み上げていく。
接着剤は、幹から溢れ出る『超高粘度の甘い樹液』だ!
そこに自前の「キノン架橋フェノール酵素」を混ぜ合わせると……化学反応で一気に水分が飛び、あっという間にカチカチに硬化。透き通った黄金色の『琥珀』となって、強固な防音・防水の壁と引き戸が完成した。理系女子のケミストリーDIY、なめんなよ。
内装も一新する。
巨大シダの若葉から採取した『さらさらの胞子パウダー』を敷き詰め、柔らかな森の『クッションモス(苔)』をブレンド。そこにスライムゲルをコーティングして、熱帯特有のジメジメを弾き返す、ひんやりモチモチのベッドを仕立て上げた!
ピカちゃんも、小さな樹皮を運んで一生懸命お手伝いしてくれた。樹液でちょっとベタベタになったマイバディ。
床の窪みに『ちょっと変わった形の黒い石』を見つけたピカちゃんは、おててでペタペタと泥を被せて平らにしていた。床の凸凹をきれいにしてえらいねっ☆
仕上げに、天井から『発光する胞子嚢』をツルで吊るす。ボタニカルなランタン風シャンデリアのパステルグリーンの光が、琥珀の壁にキラキラと乱反射する。控えめに言って、表参道のグランピング施設である。
あぁ〜……ひんやりして、きもちい〜い……。
リーフコップに甘い樹液を注いで「かんぱーい!☆」。
糖分とゲルのモチモチ感に身を委ね、甘い琥珀の香りに包まれながら、至高の添い寝スローライフを満喫する。……完全優勝。
琥珀の安全空間で、泥のように深く、長い眠りに落ちた私たち。
その間に、胃袋に収めた莫大なバイオマス(イモムシの栄養)が、体内で急激な細胞分裂を引き起こしていた。
***
……き、きつい……っ。
目が覚めると、全身のキチン質(外骨格)が、内側からの圧力でミシミシと悲鳴を上げていた。成長速度に、古い殻のサイズがまったく追いついていないのだ。
ピキリ、と背中の甲羅が縦に割れる。
私は体液の圧力をコントロールし、古い抜け殻から、一時間以上かけてゆっくりと新しい身体をズルリと引き抜いた。節足動物の、命がけの『成長脱皮』だ。
隣を見ると、スヤスヤ眠るピカちゃんも、一回り逞しくビッグに成長していた。
脊椎動物であるピカちゃんは、虫みたいに殻を脱ぐような真似はしない。大量のアミノ酸とカルシウムを細胞に直接吸収したことで、筋肉と骨格がパンパンにバルクアップし、自然と体長五十五センチへと巨大化していたのだ。
一方、私の新しい身体は体長六十五センチへと巨大化したが、脱皮直後はマシュマロみたいに柔らかい。今回の本格的なサイズアップ脱皮ばかりは、酵素の急速硬化だけでは追いつかない。
私は琥珀の拠点に引きこもり、外骨格が完全に硬化するまで、さらに数日の休息をとった。
***
――そして。私の身体は、ついに黒光りする強靭な装甲へと仕上がった!
よし、これで戦闘力は元通り。いや、サイズアップした分、前よりずっと強い!
――でも。ここで、私の理系脳が「拠点の致命的なバグ」に警鐘を鳴らした。
この琥珀のおうちは、甘い匂いが強すぎるのだ。私の装甲が硬くなったとはいえ、匂いに釣られて森の凶悪な捕食者が群れでやってきたら、さすがにさばききれない。
匂いを完全にマスキングするには、『銅イオン粘土』を採掘して、外壁に防臭コーティングを施すしかない。
あてはある。
実はここへ物件を探しに来る途中で、微かな『金属臭(十円玉みたいな匂い)』が風に乗ってくるのを感じていたのだ。私の節足動物としての優秀な『化学受容器(感覚毛)』が、近くの泥地に銅イオン源があることを確かに捉えている。
琥珀の壁越しに見上げる外の天気は、雲ひとつない快晴。巨大シダの葉の隙間から、眩しいほどの木漏れ日が降り注いでいる。
ピカちゃん。お姉さま、ちょっと粘土を取ってくるね。
上陸したばかりのお肌は乾燥に弱いし、お外の強烈な紫外線は毒になっちゃうからね。おうちで、良い子でお留守番しててね。
『( ・ ▼ ・ )きゅ、きゅぅ……』
すぐ戻るからね!
寂しそうにコップを抱きしめるピカちゃんを、モチモチのベッドに残して。私は琥珀コーティングの引き戸をパチンとロックし、ぽかぽかと暖かな日差しが降り注ぐジャングルへと這い出した。
***
――おねえさまがおでかけして、しばらくたった。
琥珀のおうちの中。ぼくは、モチモチのベッドの上で、ぷにぷにの体をぽよんぽよんと跳ねさせてあそんでいた。
『きゅいっ、きゅいっ☆』
おねえさまが作ってくれた、最高のおうち。おねえさまと半分こした、あまいジュース。
ぼくは、空っぽのリーフコップを、いっしょうけんめい並べ直した。おねえさまが帰ってきたら、えらいねって、いっぱいいっぱい撫でてもらうんだ。
そんなことを考えながら、琥珀の壁にぴったりと張り付いて、大好きな人の帰りをじっと待つ。
――でも。
ずっと待ってるのに、おねえさまが帰ってこない。
『きゅ……?』
少しずつ、琥珀の壁から入ってくるお日さまの光が、弱くなってきた。あんなにキラキラしていたお外が、どす黒いむらさき色に染まっていく。
ゴロゴロ、ゴロ……ッ!!
おそらから、こわい音がした。
直後、バケツをひっくり返したみたいな、つめたい雨のにおいが森を叩きはじめる。
『きゅ、きゅわっ!?』
激しい雷の音。冷たい雨の気配が、琥珀の隙間からひたひたと伝わってくる。
ぼくは、こわい気持ちでいっぱいになった。おねえさまが、帰ってこない。
ドンッ!
ピカちゃんはかたい頭(皮骨兜)で琥珀の扉をこじ開け、どしゃ降りの泥んこへと、一人で飛び出した!
『きゅ、きゅいぃぃぃーーーーっっ!!!(おねえさまぁぁぁ!!!)』
お外は、水の中みたいにプカプカ浮かべない。いつもつかまっていた、おねえさまの大きなハサミもない。
グラグラと揺れて、べちゃっ、と。何度も、何度も、泥んこに顔から突っ込んでしまう。
『きゅ、きゅぅ……ッ!(いたい、よぅ……)』
それでも。シダのトゲや石で切れて血が出ても、ぼくはズルり、ズルりと這い進んだ。
たよりになるのは、頭の横にある『側線ソナー』だけ。うるさい雨の音の中から、おねえさまの『あったかい電気のにおい』を、死に物狂いでさがす。
(あそこだ……! おねえさまの、においがする……!)
泥まみれになりながら、シダの巨木の根元へ辿り着いたピカちゃんの目に、飛び込んできたのは。
ピカピカの光が消えて、泥の中でピクリとも動かない、おねえさまの姿だった。
『( ; ▼ ; )きゅわぁぁっ!?(おねえさまぁぁぁッッ!!!)』
おねえさまが倒れていた場所は、変な粉がいっぱいつまっているくぼ地。
ぼくは泣きじゃくりながら、自分より大きくて重いおねえさまを、泥まみれで安全な高い場所へ引きずり出した。
どうしよう。どうしよう。おねえさまが、死んじゃう。
息をしていない大好きなおねえさまを見て、ぼくはパニックになった。
そして!
両手をギュッと握りしめ、おねえさまの胸のあたりを、泣きながら力いっぱいぶっ叩き始めたのだ!
『きゅいぃぃぃっ!!(おき、てぇぇっ!!)』
ポカッ! ボコッ! バシィッ!!
ガンッ!
五十五センチにバルクアップしたピカちゃんの全力パンチ。
一番重い一撃が、おねえさまの硬い殻を揺らした瞬間。おねえさまの呼吸器(書鰓)から、詰まっていた胞子の粉が一気に――。
ゲホッ!!
吹き飛んだ。
***
ゲホゲホッ! ……あ、あれ……?
酸素が、入ってくる。私……生きてる……?
複眼をうっすら開ける。そこには、泥と涙でグチャグチャになったピカちゃんがいた。
『きゅいぃぃぃーーーーっっ!!!☆』
マジ泣き。私の頭胸部の付け根に、ぎゅぅぅって、力いっぱいしがみついてくる。
ごめん、ね……お留守番、させて……っ。
助けにきてくれたんだね。ありがとう……っ!
私は、ゴツくなった前脚と複数の歩脚を総動員して、ピカちゃんをぎゅっとハグし返した。
***
泥だらけのマイホーム。
さぁ……甲殻の泥を落として、ひんやりモチモチのベッドで一緒に休もう。
甘い糖蜜ジュースを、半分こする。HPゼロ寸前だった身体に、その優しさが、尋常じゃないレベルで染み渡っていく。
外は相変わらず、ヤバいスコールがジャングルを打ち据えている。
でも、この琥珀の小さなおうちは、パステルグリーンのネオンに包まれて……ビビるくらい、静かだった。
『( ‐ ▼ ‐ )きゅぅ……』
おやすみ。私の、最強のバディ。
ピカちゃんは安心しきったように私の甲殻にすりすりして、スヤスヤと超絶かわいい寝息を立て始めた。
私も、相棒の温もりを複数の歩脚の内側に感じながら、外のヤバい嵐を完全スルーする勢いで、深く穏やかなスリープモードへと落ちていくのだった。




