第30話 勝ち確からの絶望フルコースで完全に詰んだんだよ。
お揃いの石コップで、甘いアミノ酸ドリンクをカポカポと乾杯☆
心地よいマイクロカレントベッドの上で、ピカちゃんとぴったり添い寝して、完全に溶け合っていた。
控えめに言って、QOLカンストなんですけど♡
もう、一生労働したくない。マジで無理。
明日からもこの完璧な秘密基地に引きこもって、お昼過ぎまでだらだらゴロゴロしてたいんだが。
完全に警戒心を解き、だらしないニート生活のまどろみに落ちかけていた。
――その時だった。
『( ・ ▼ ・ )きゅ、きゅい……?』
ん……?
ピカちゃんの声に、私は重い複眼の焦点をうっすらと合わせた。
言われてみれば、おうちの中に満たしている水温が、いつもより高いような……。
それに、壁の岩肌から、ツンとする硫黄の匂いが濃く滲み出している。ゲル越しに伝わってくる床下の地熱が、さっきから異常な上がり方をしてない?
ズ、ズズズ……。
かすかな微振動。
ピカちゃんの側線ソナーが、遠くからの『ヤバい気配』をキャッチして小刻みに震え出した。
さーっ、と。一瞬で眠気が吹き飛んだ。
私は跳ね起きると、玄関に作った『マジックミラーの覗き窓』に顔を近づけ、外の様子をこっそり覗き込む。
ちなみにこの覗き窓、私の理系クラフトの自信作である。
以前捕食したモブから強奪したメラニン色素を透明ゲルとバイオセメントに練り込み、特定方向の光の波長だけを遮断する『偏光フィルター』として薄く引き伸ばしたものだ。
中からは外が丸見えの極上エンタメスクリーンだけど、外からはただの真っ黒な岩肌にしか見えない。光学的にも物理的にも、完璧なステルス性能を誇る防犯システムなのだ。
そんな絶対安全な特等席から、私は冷静に外の様子を観察した。
……が。
そこには、理系の冷静さなんて一瞬で吹き飛ぶような、異様な光景が広がっていた。
濁った泥水が、まるでお湯のようにボコボコと不気味な気泡を大量に吹き上げている。
普段は縄張り争いをしている凶悪な節足動物やら、貪欲な原始魚ども。そいつらが今、巨大なミキサーにでも放り込まれたように折り重なり、互いの体を踏み潰し合いながら、我先にと一目散に逃げ惑っていた。
え、何? 何が来るの?
嫌な予感がして、心臓(背脈管)がバクバクと早鐘を打ち始める。
ズズズズズズッ!!!
次の瞬間。強烈な地響きが汽水域全体を揺らした。
おうちのすぐ外の泥の平原が、巨大な怪獣の胃袋みたいに隆起して、真っ二つにパッカーンって裂けたのだ。割れ目の奥から、泥水を青白く染め上げる強烈な閃光が溢れ出す。
『きゅ、きゅわぁぁっ!?』
泥を割って、地の底の深淵から這い出てきたのは――全長、およそ『三メートル』。
バチバチと極太のプラズマを漏らしている、規格外の巨大丸太。
間違いない。この間の放電ミミズの親玉!
トラウマがフラッシュバックして、私の前脚がガチガチと震え出した。
外で、巨大ボスは激怒したみたいに極太の雷撃を撒き散らしながら、泥をのたうち回っている。
青白いスパークが走るたびに「ジューッ!」と周囲の泥水が一瞬で沸騰し、逃げ遅れたモブどもが次々と感電していく。断末魔すら上げる暇もなく、手当たり次第に黒焦げのフライにされていくのだ。
焦げた甲殻。破裂する内臓。高電圧で泥がガラス質に焼き固まる嫌な音。
分厚い壁の向こう側で繰り広げられる、圧倒的な蹂躙。安全なはずのおうちの中にまで、オゾンと焦げたタンパク質の酷い匂いがじんわりと充満してくるような、まさに地獄絵図だった。
しかも、最悪の『地獄のドミノ倒し』はこれだけじゃなかった。
異常な地熱活動と同時に、ダンジョン全体を統べる周期的な『大干潮(引き潮)』が重なってしまったのだ。
マジックミラー越しの水面が、ぐんぐんと下がっていく。
さっきまでひたひただった汽水が、文字通り「一滴残らず」消失していく。おうちの周囲は完全な陸地(泥干潟)と化してしまった。
水という逃げ道を失った原始魚たちが、水蒸気を上げる泥の上でピチピチと虚しく跳ね回り、そのまま生きたまま干からびて『焼き魚』へと変わっていく絶望的な光景が見えた。
私は震える脚を必死に抑え込みながら、急いでバイオセメントを追加分泌した。
スライドドアの僅かな隙間すらも、一ミリの狂いもなく完全に密閉する。
よし、ピカちゃん。第一回・緊急サバイバル作戦会議を始めるよ!
『( ・ ▼ ・ )きゅっ……!』
私たちは、薄暗くなったおうちの中で頭を突き合わせた。私は極力、怯えた空気を出さないように、お姉さまとしての威厳を保って笑いかける。
外に出たら一瞬で黒焦げのフライか、干からびて死ぬかの二択。つまり、生存ルートは『この無敵の防犯シェルターに引きこもる(籠城する)』一択だね。
『きゅい……』
不安そうに明滅するピカちゃんの頭甲を、そっと撫でる。
そう、焦る必要はないのだ。ここは私が設計した、チタン合金並みの強度を誇ると自負する岩盤とセメントの絶対防犯シェルター。外の巨大ボスが暴れようが、引き潮で外が地獄の干潟になろうが関係ない。水が戻ってくるまで息を潜めていればやり過ごせる。
そう自分に言い聞かせていると、あれだけ激しく響いていた地響きとプラズマの爆音が、徐々に小さくなり……やがて、ピタリと止んだ。
あれ?
私はもう一度、マジックミラー越しに外を覗き込んだ。
外は、不気味なほど静かだった。
完全に水が干上がった灼熱の泥干潟の上で、あの三メートルの巨大ボスが、ピクリとも動かず、力なく横たわっていたのだ。
水という冷却材を失い、異常な地熱に直接焼かれたのだ。バチバチと漏れ出ていた青白いスパークが弱々しく明滅し……プツン、と完全に沈黙した。
干からびて、死んでいる。
あんなに絶望的だったエリアボスが、大自然の急激な環境変化に耐えきれず、あっけなく焼き殺されたのだ。
大自然の猛威が、あいつを倒してくれた……!
外の脅威は、文字通り全滅した。あとはこの絶対安全なシェルターで、潮が満ちるのを待つだけ。
圧倒的な安堵と静けさが、おうちの中を包み込む。
ふぅ……セーフ。やっぱりマイホーム最強だわ。
とっさの判断で完全密閉した私のファインプレー。マジで危なかったけど、これで一安心。
極度の緊張から解放された私たちは、身を寄せ合ったまま、泥のように深く、静かな眠りに落ちた。
潮が満ちるまで、ここでゆっくり休もう。
――この時はまだ、大自然の本当の恐ろしさを、何一つ理解していなかったのだ。
……そして。
どれくらいの時間が経っただろうか。体感では数時間、いや、一晩は過ぎたかもしれない。
――ポコッ。
静寂の部屋の中に、奇妙な音が響いた。
ポコポコッ、ボコッ……。
んん……え?
私は、まとわりつくような不快な熱気と、異常な息苦しさで目を覚ました。
安堵で完全に緩みきっていた私の背筋に、氷のような悪寒が走った。
いや、悪寒じゃない。サウナのように息が詰まる、狂ったような『熱』だ。
巨大ボスが干からびて死んだ理由。
それはつまり、外の泥地が「海水の冷却作用」を完全に失い、長時間フライパンのように熱せられ続けているということ。
冷却材を失った泥地は、床下のアホみたいな地熱によって急速に加熱され、一晩という時間をかけて、おうちの周囲はマグマのように赤黒く泡立つ、ドロドロの『煮えたぎる泥濘』へと変貌しきっていたのだ。
シューゥゥゥッ……!
外壁の岩肌から、水分が沸騰して蒸発する嫌な音が聞こえてくる。
う、嘘でしょ……っ! 待って、温度がおかしい!!
おうちを外から包囲する、熱く煮えたぎる泥。
そして、おうちの中にたっぷり充填されていた水が、岩盤越しに伝わる暴力的な熱伝導のせいで、じわじわと『沸騰』し始めていたのだ。
ボコボコボコッ!!
水温、摂氏四十度。
五十度……。
六十度!
熱い!
私の自慢のユーリプテルス装甲が、まるで熱した圧力鍋みたいに熱を帯びて、内臓をジリジリと茹で始めている!
このままじゃ、おうちの中が自家製の「スチーマー・オーブン(蒸し器)」になっちゃうんですけど!
『( ; ▼ ; )きゅ、きゅいいぃぃっ!?』
ピカちゃんが、パステルブルーの体を真っ赤に火照らせながら、泣きそうな声で私にしがみついてきた。
どうしよう、どうしよう!
私のせいだ。私が『安全だ』なんて思い込んで、入り口を完全にセメントで塞いじゃったから!
巨大ミミズから身を守るためのシェルターが、一晩かけて自分たちをじっくり蒸し焼きにする『密閉型・蒸し焼き亭』に変貌したのだ。
外には、巨大ボスすら焼き殺す灼熱の泥地獄。
中では、タンパク質の熱変性(熱死)へのカウントダウン。
自ら封鎖した、完全密閉空間の中で。
終わった。詰んだ。
ついさっきまで極上のスローライフを謳歌していた私の余裕は、完全に剥がれ落ち――ただひたすらに、茹で上がる絶望の恐怖へと叩き落とされたのだった。
ダーウィン先生! どうしたらいいの!?




