第25話 息してピカちゃん! 赤と青の血を繋ぐ、決死のクレバス緊急オペ!
ピカちゃんの赤い血が、泥水に溶け出していく。
鉄分を含む鮮やかな赤。私の銅イオンを含む青い血リンパ(ヘモシアニン)とは違う、彼女が脊椎動物である確かな証だ。
ピカちゃんの頭部シールド(皮骨装甲)は、オニイソメの凶牙で無惨に砕け、命の灯火が今にも消えかけている。
『きゅ、きゅぅぅ……』
私の広くて平らな背甲の上で、ピカちゃんが弱々しく身をよじる。
しっかりして、ピカちゃん!
周囲を見渡す。オニイソメは退けたが、水中に広がる血の匂いはすぐに他の捕食者を呼び寄せる。一刻も早く安全な手術室(オペ室)を確保しなければ。
私の複眼が、玄武岩の壁に開いた横長のクレバス(岩の裂け目)を捉えた。高さは十センチ弱。今の平べったい体長二十センチの私(シドネイア形態)と、ピカちゃんがギリギリ収まるサイズだ。
私は巨体を駆動させ、その横穴へと滑り込んだ。
一番奥にピカちゃんをそっと降ろし、私の分厚い背甲と尾部で入り口に「蓋」をする。これで大型の捕食者は物理的に侵入できない完全な密室だ。
しかし、ピカちゃんが瀕死のため、頼みの綱だった『側線ソナー』は完全に沈黙している。外の状況は全く分からないが、今は一秒でも早く『緊急オペ』を開始しなければ。
冷静になれ、私!
火曜九時の『救命救急』の医療ドラマを思い出せ! あの天才外科医ならどうする!?
まずは止血だ!
ここには医療器具なんて一切ない。使えるものはなんでも使え!
……そうだ、スライムゲルだ!
私は歩脚の先を器用に使い、分泌した「高保水中性ゲル」を医療用パテとして割れた頭甲の隙間へと充填する。これで血液と魔力の流出は最小限に食い止められるはずだ。
次はどうすればいい? 私はしがない理系JK、外科手術なんて専門外だよ!!
ドラマでは確か……そう、損傷部位の『縫合』と『欠損組織の再建』だ!
いや待て。ピカちゃんの傷は「切れた」んじゃない。オニイソメの大アゴで、装甲と肉がごっそりえぐり取られているのだ。ただ傷口を塞ぐだけじゃダメだ。失われた組織を一から『再生』させなきゃ命は繋げない。
現代の最新医療でも、iPS細胞みたいな『多能性幹細胞』で一から組織培養するしかないレベルの大怪我だ。
……幹細胞?
ハッとして、私は自分自身の身体を思い返した。
そうだ、私、持ってるじゃん! ヒドラから簒奪した、体を切り刻まれても無限に元通りになる究極の再生能力の種が!
メスも糸も、最新鋭の無菌室もない。だったら、私自身の生体スペックで強引に代用するしかない!
私は自身の体内から、今日まで大切に維持・培養してきたヒドラ由来の【多能性幹細胞(間細胞)】を抽出する。どんな組織にも分化できる再生医療のマスターキーだ。
あえて自身の組織を削り取って高濃度で絞り出すため、神経に焼けつくような激痛が走る。だけど、推しの痛みに比べればこんなもの擦り傷にも入らない。
淡く発光する幹細胞ペーストを分泌し、ひび割れの最深部――生命の中枢である『脊索』の周辺へとダイレクトに流し込む。
よし、次は――。
待てよ、ペースト状の細胞だけ流し込んでも、立体的な組織として形を成すには土台がいる。再生医療において、細胞が増殖・接着するためのガイドとなる『足場』が絶対に必要だ!
何か硬くて、生体親和性と魔力を持った素材……。
あった。さっき粉砕したオニイソメの『大アゴの魔石』だ!
私は魔石の欠片を、装甲の割れ目にカチッとはめ込む。今はただのギプス(骨組み)だが、これが細胞の足場になるはずだ!
――ここからが本番だ。
幹細胞を強制増殖させるための、莫大な生体エネルギー(ATP)と魔力の供給。今の瀕死のピカちゃんに、そんな体力は残っていない。
お姉さまが、体外バッテリーになってあげるからね!
ピカちゃんとのエンパシー回線を極限まで広げ、私自身の魔力とATPをピカちゃんの脊索へ一気に『強制送電』する。
ドクン、ドクンと、パスの青白い光が心音のように激しく明滅し――。
突如、生体リンクの脈動がブツッと途絶えた。
ピカちゃんの細い呼吸(エラ孔の動き)が、ピタリと止まったのだ。
大量出血による循環血液量減少性ショック。バイタルが限界を割り込み、繋いだはずの命のリンクが消失しかける。
嘘でしょ!? 心停止!?
待って、死なないでピカちゃん!!
ガリッ。ガリガリッ……!!
その時。入り口を塞いでいる私の背甲のすぐ外側から、硬い岩盤を引っ掻くような不気味な音が響いた。
血の匂いを嗅ぎつけた別の『捕食者』だ! ソナーが切れていたせいで、接近に全く気づけなかった!
装甲越しに、凶悪な爪や顎が岩の隙間をこじ開けようとする振動がダイレクトに伝わってくる。
最悪のタイミングだ。私が動いて蓋を開ければ、外から攻撃される。
でも、ここで何もしなければ、ピカちゃんが死ぬ!!
焦燥する中、私は声も出さず、ひとつの決断を下した。
発電器官なんて持っていない今の私に、電気式のAED(自動体外式除細動器)は作れない。
なら、救急医療やドラマでも緊急時に行う「あの荒業」を物理で再現するしかない!
心停止の直後、胸部に的確な打撃を与えて物理的衝撃を心臓への電気刺激(脱分極)に変換し、拍動を再開させる救命の最終手段――『前胸部叩打』だ!
私は残る全てのATPを、以前エルラシア時代に局所進化させたまま温存していた最前部の『打撃用捕脚』のバネ構造へと一点集中させた。
水中で極限スピードの打撃を放てば、流体力学的な『キャビテーション(衝撃波)』が発生する。その精密にコントロールした衝撃波でピカちゃんの心臓を叩き起こし、同時に余波をクレバスの外へ伝播させて、外の敵の感覚器官を麻痺させる!
蘇生と撃退。一石二鳥でいけるッ!
外の敵の引っ掻き音が激しさを増す中、私は限界を超えて軋む捕脚のラッチを構え、医療ドラマのあの名台詞を心の中で絶叫した。
チャージ完了……離れてッ!!
ドンッ!!!
最後の一滴まで振り絞った超音速の打撃が、ピカちゃんの心臓の真上――分厚いゲルクッションと頭甲を介した絶妙な距離で炸裂した。
『きゅ、きゅいぃっ……!』
物理衝撃が心筋のペースメーカー細胞を強制再起動させ、ピカちゃんの体がビクンと大きく跳ねて、まばゆい生命の光に包まれた。
止まっていたエラ孔が、再び力強く開閉を始める! 送り込まれた幹細胞が魔石と顎の破片を足場にして爆発的に増殖し、欠損した組織と装甲を瞬く間に編み上げ、再建していく。
――ビィィィィンッ!!!
『ギュ、ギャルルルルッ!?!?』
同時に、クレバスの外からくぐもった悲鳴と、水が激しく撹拌される音が響いた。
計算通り! キャビテーションの指向性衝撃波だ!
狭いクレバス内で反射・増幅された高圧の音響衝撃波が岩の隙間を抜け、入り口をこじ開けようとしていた外の捕食者の内耳と側線器官を直撃したのだ。バタバタと水を掻き乱す音とともに、パニックに陥った捕食者は一目散に逃げ去っていった。
完全な静寂が戻ったクレバスの中。
極度のエネルギー枯渇と自らの組織を削った反動により、私は強烈な眩暈に襲われ、視界がブラックアウトしそうになった。自分の命を削り切ったのだ、当然の代償である。
その時――。
『( ‐ ▼ ‐ )すぅ……すぅ……』
死の淵から舞い戻ったピカちゃんが、穏やかな寝息(水流)を立て始めた。
再建された頭甲と、そこに融合した黒い魔石の装甲が、ピカちゃんの規則正しい呼吸に合わせて優しく温かい光を放っている。
よかった……。間に合った……。
私のシドネイアボディはミシミシと軋み、もはや歩脚を一本動かす力も残っていない。
それでも、ピカちゃんの規則正しいエラの動きを見ているだけで、全身の痛みを忘れるくらい心が満たされていく。回復していく小さな命の温もりを感じながら、私はピカちゃんを包むようにそっと覆いかぶさった。
命を削ってでも、私の大切な推しは、ぜっっったいに守り抜く!
おやすみ、ピカちゃん。ここは絶対にお姉さまが守るからね。
私は最後の一滴の余力で体表のルームライトをほんのりと優しく灯し、クレバスの暗闇の中で、静かに深い眠り(休眠モード)へと落ちていくのだった。
最後までお読みいただき、ありがとうございました!
絶体絶命のクレバス緊急オペ。自身の命を分け与え、シャコパンチによるキャビテーション衝撃波でピカちゃんの心拍を再開させたアノマロちゃん。
お互いがお互いの命を救い、他者治癒の絆で深く結ばれた二人の生存戦略は、ここからさらに強固なものへとなっていきます。
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