第20話 推しをアンチョビにするとかマジムリ!浸透圧ハックで完全論破☆
ずるり。ずるり
湿った泥の重苦しい感触が、私の全身を覆う幾何学的なセグメント装甲を撫でていく。
体長十五センチメートル。
地球の古代生命史において、実に三億年近くも海の底を支配し続けた、最も完成された外骨格デザイン。
やばい、私、カッコ良すぎて草。
「きゅいきゅー、きゅぃ♪」
私の平べったい背中の節、その隙間に充填された親水性ゲルのウォーターベッドのなかで、ちっちゃな相棒が愛らしく身体をくねらせている。
体長わずか二・五センチメートル。
パステルブルーに透き通るぷにぷにの最古の原始魚類、ハイコウイクティス形態のピカちゃん。
私の死角を補うために、自身の「脊索」を青白く発光させて側線ソナーを覚醒させた、世界で一番愛おしい私の運命共同体(推し)である。
そのおんぶゲルのウォーターベッドの中でスイスイと泳ぐ姿はまじ天使!
よしよし、ピカちゃん。乗り心地はどう?
お姉さまの特等席は冷たくて気持ちいいでしょ?
言葉は通じない。
でも、繋がったパスから「お姉さま大好き! 揺れがとっても心地いいです!」って、感じている気がする⭐︎
私は十対の鰭状の這行脚をせっせと動かし、濁った泥水をかき分けながら、泥の浅瀬の開拓を進めていた。
――が。
その「のほほん這行スローライフ」は、気まぐれな自然の悪戯によって、あまりにも唐突に打ち切られることになる。
あれ? なんか急に、周囲の水位が下がってない?
私のホロクロアル眼が、泥水の上を走る光の屈折率の急激な変化を捉えた。
ずるずると這い進んでいた泥の感触が、急速に「乾燥」し、粘り気を増していく。
おかしい。
さっきまでひたひたに満ちていた汽水が、まるで巨大なストローで吸い上げられるように、猛スピードで引いているのだ。
嘘、引き潮!?
ダンジョンでも引き潮ってあるの!?
あっという間に、周囲のドロドロの浅瀬が完全に露出する。
強烈な地熱と、ダンジョン天井の結晶が放つ灼熱の擬似太陽光が剥き出しの地面を容赦なく照らし始めた。
湿り気を含んでいた空気が、一瞬にしてフライパンの上のような熱波へと変わる。
これだけなら、私は何も問題ない。
私のキチン質装甲は、乾燥を防ぐための「絶対的な防壁」でもある。
丸まって貝のようになれば、何時間干上がろうが体内の水分を完璧にキープできる。
しかし――ピカちゃんは違う。
「きゅ、きゅぅぅ……っ」
ピカちゃんから、引き裂かれるような悲鳴が伝わってきた。
太陽光に直接晒された泥地の一部が、窪地にわずかな水だけを残した「タイドプール(潮溜まり)」となって、あちこちに点在していた。
その狭い窪地に閉じ込められた海水は、熱線によって一瞬にして煮詰まり、水分が猛烈な勢いで蒸発――塩分濃度が通常の数倍以上に跳ね上がった、地獄の「超高張液」と化していた。
そして、ピカちゃんを包むおんぶゲルもまた、この異常な乾燥と周囲の塩分に包囲され、干上がりかけていた。
ピカちゃん――!?
半透明で美しかったパステルブルーの身体が、みるみるうちに輝きを失い、シワシワとしなびていく。
まだ鱗のない最古の魚類。
その極薄の生体皮膚は、周囲の極端な高塩分濃度に直面した瞬間、残酷な物理法則の生け贄となる。
浸透圧脱水じゃん!!
脊椎動物の祖先ってこんなにデリケートなの!?
そう、生物の細胞膜は、水分だけを通す「半透膜」だ。
細胞の内側(ピカちゃんの体液)よりも、外側(干上がるタイドプールと煮詰まるゲル)の塩分濃度(ナトリウムイオンや塩化物イオンの濃度)が圧倒的に高くなった瞬間、水分子は「濃度の薄い方から濃い方へ」と、浸透圧の勾配に従って容赦なく引っ張られる。
結果、ピカちゃんの全身の細胞から、生きるために必要な水分が文字通り「絞り取られ」、皮膚を通して外へと流出してしまうのだ。
このままでは、あと数分でピカちゃんは全身の水分を奪われ、干物のように萎びて死んでしまう。
浸透圧による「生きたままの脱水死」だ。
まじでふざけんな!
私の尊いピカちゃんを、塩蔵アンチョビ(おつまみ)にされてたまるかっての!!
私の脳内ノートが、超音速でめくれ上がる。
なにかないの!?
思い出せー、私。
魔法で真水を出すスキル?
そんな都合のいいアプリ、システム外の私にはインストールされていない!
生物は、物理と化学の理をハックして、自前の細胞だけで生き残ってきたんだ!
半透膜に引っ張られるなら、それ以上の速度で水分を塞き止める『半透膜の壁』を、私が外側に作ればいいだけの話でしょ!
私は自身のエルラシア甲殻の隙間から、保水ゲルの分泌腺を最大出力で解放した。
ベースは、かつてアシッドスライムから奪い取った、高保水性のアクリル酸重合体類似ゲル。
私は自身の体内の魔力アミノ酸を触媒にし、このゲルの分子構造をリアルタイムで直接書き換え(ハッキング)していく。
ゲルの分子鎖を極限まで架橋させて、網の目をミリミクロン単位に縮小――! 水分子(H2O)のサイズは通すけれど、水和したナトリウムイオン(Na+)や塩化物イオン(Cl-)のサイズは電荷反発と立体障害で完全にシャットアウトする、生体逆浸透膜の完成――!!
ビキビキ、と私の三葉虫の背中が熱を帯びる。
体内の全エネルギーと水分を削り、ピカちゃんを包むおんぶゲルの外周に、肉眼では見えないほど薄く、しかし強固な「水分ろ過・塩分完全遮断の半透膜バリアゲル」を高速コーティングしていく。
ドロドロのタイドプールからゲル内に侵入しようとする塩分は、私が作った生体半透膜の壁に衝突し、一粒子たりとも中へ入れない。
逆に、バリアの内側では、私が体内の大事な真水(ヘモシアニンの水分)をピカちゃん側へと逆ドレインして循環させる。
はぁ! はぁ……!
あとは、水温上昇対策と私の水分補給をどうするか……。
そうだ、水温を下げるならアレがあるじゃん!
スライムの胃酸を中和した時に使ったアンモニア代謝、つまり『尿素』!
私は体内で高濃度の尿素を合成し、ピカちゃんを包むゲルの外層に作った「冷却用ウォーターポケット」へと一気に分泌・溶解させた。
尿素が水に溶ける時に周囲の熱を奪う『吸熱反応』。夏の部活でおなじみ、叩いて冷たくなる「瞬間冷却パック」の完全生体再現ハックだ!
ゲルの温度が、ピカちゃんにとって最も快適な冷たさへと急降下していく。
「きゅ……きゅぅぅうっ!」
ゲルのなかで、シワシワになりかけていたピカちゃんの半透明なボディが、水分を一気に再吸収して、ぷっくりと弾けるように元の愛らしい古代魚フォルムへと復活した。
パステルブルーの美しいネオンが、おんぶゲルのなかで瑞々しく明滅する。
ふぅ。セ、セーフ……。
「冷たいゲル、気持ちいいね、ピカちゃん……」
アミノ酸と水分を極限まで放出したせいで、私のエルラシア甲殻は少しカサカサになり、這行脚に力が入らない。
だけど、背中のゲルベッドから、ピカちゃんが顎のないおマヌケ正面顔『(・吉・)』をカポカポと動かしながら、私の硬いキチン質の鎧にピトッと頬を寄せてくる。
「きゅいきゅい! 」
ありがとう。ピカちゃん♡
乾燥でカサカサになっていたはずの私の外骨格が、ピカちゃんの破壊的な愛くるしさで、バフがかかったように瑞々しさを取り戻した。
さーて! 水分補給が急務だよ〜!




