第16話 視界不良の危機!背中の推しが光り出した件!?
「きゅいきゅー♪」
私の背甲の溝に満たした『生体ウォーターベッド(高保水ゲル)』の中で、ピカちゃんがご機嫌にスイスイと泳いでいる。
これなら乾燥も物理衝撃も100%シャットアウトだ。
えへへ、ピカちゃんが快適なら、お姉さま何でもしちゃうぞ☆
私は三葉虫の複数の歩脚をわきわきと動かしながら、中層の入り口である『汽水域』の泥地を這い進んでいた。
海水と淡水が混ざり合う、生命の陸上進出に向けたグラデーションエリアだ。上空を見上げれば、ぼんやりとした地熱の燐光が差し込み、巨大な古代サンゴ礁の塊が影のようにそびえ立っている。
しかし、ここで問題が一つ浮上した。
うーん、さすがにこの濁った泥水、三葉虫の『ホロクロアル眼(完膜眼)』の超絶解像度をもってしても、ちょっと視界が悪すぎなんですけど!
方解石の結晶レンズが密集した三葉虫の複眼は確かに優秀だが、ここはドロドロに濁った汽水域の底。細かく舞い上がるシルト(泥粒子)が光を乱反射させ、視界を茶色いモザイク画のように歪めてしまうのだ。
さらに厄介なことに、塩分濃度の異なる水が入り混じるこの汽水層は、高濃度の魔力粒子が乱対流を起こす「天然の魔力ジャミング空間」でもあった。頼みの綱の魔力感知ソナーすら、ノイズだらけで使い物にならない。
オパビニア時代に誇った『5つの有柄眼による360度空間3Dレンダリング』は、重装甲への進化と引き換えに失ってしまった。いくら目を凝らしても、今の私には背後や泥の中の状況が正確に掴めないのだ。
そして、この「視界不良の濁った泥地」こそが、待ち伏せ型の捕食者にとって最高の狩り場であることを、私は生物オタクの本能で察知していた。
死角からの急襲……泥に潜むアンブッシュ型のプレデター……。
バージェス頁岩動物群で言えば、鋭い捕獲脚で獲物を切り裂く鋏角類の祖先――『サンクタカリス』の系統が潜んでいてもおかしくないよね。
歩脚の動きを少し慎重にする。
炭酸カルシウム入りのキチン質マルチ装甲があるとはいえ、視界ゼロの死角から奇襲されるのは心臓に悪い。
――その時だった。
私のすぐ背中、ひんやりとしたおんぶゲルの中で浮かんでいたピカちゃんが、不穏な水圧の微振動に小さな触角をピクリと震わせた。
「きゅ……? きゅいっ……!」
ピカちゃんの澄んだつぶらな瞳が、泥水の奥――私の三日月型の複眼の死角にあたる、右斜め後方の泥底を見つめる。
そこには、周囲のヘドロに完璧に擬態し、気配を殺して滑り込んできた巨大な肉食節足獣――『マッド・サンクタカリス』の影があった。
体長は優に50センチ。頭部に備わった6対の鎌のような捕獲脚をギラリと光らせ、体長15センチの私の無防備な背後を完全にロックオンしている。
しかし、私は泥水の乱反射と魔力ジャミングのせいで、まだその接近に気づいていない。
「きゅ、きゅいきゅーっ!!」
ピカちゃんは懸命にエンパシー回線を繋いで危険を知らせようとするが、明確な言語を持たない数ミリの幼体では、私に伝わるのは「漠然としたパニックと焦燥感」だけ。
おや? ピカちゃんどうしたの?
ゲルの温度、ちょっとぬるくなっちゃった?
(ちがう……!)
ぼくが、もっとおおきければ。
つよくてかたい、からだをもっていれば。
ぼくが、おねえさまの「たて」になれるのに。
いつもまもられて、おんぶされているだけは、いやだ。
ピカちゃんの背中に一本だけ通った、淡く青く輝く弾力のある芯――『脊索(背骨の起源)』と、それに沿う背側神経管が、持ち主の強い焦燥と祈りに呼応するように、パチパチと青白い生体電流の火花を散らし始めた。
(ぼくが……まもる、まもるの……っ!!)
ピカちゃんのちっぽけな命が、種族の限界を超え、内側から激しく咆哮した。
その強烈な意思の波動は、エンパシー回線と親水ゲルを通じて、私の外骨格から体内の魔力炉心へとダイレクトに接続される。
ドクン、と私の体内で、かつてスライムやヒドラから吸収した膨大な余剰魔力が脈打った。
私が宿す進化のエネルギーとDNAの断片が、ゲルを媒介して、ピカちゃんの『白紙の進化系統樹(脊椎動物のオリジン)』へと津波のように逆流していく!
――えっ!? なにこれ、ピカちゃんからとんでもない魔力フィードバックが来てるんですけど!?
私が驚愕して身体をひねろうとした、その瞬間。
背中のおんぶゲルのウォーターベッドが、内側から爆発するような、まばゆいパステルブルーの閃光に包まれた。
泥水の暗闇を白く染め上げる、生命進化の輝き。その光の中で、数ミリしかなかったピカちゃんの半透明の身体が、急速に質量を膨らませ、新たな『カタチ』へと変貌していく――!




