第118話 塩バブル崩壊の朝☆
「よし、次の『鎧大烏賊』を引き揚げろぉっ!」
「親方、こっちの三十頭も血抜きと内臓処理が終わったぜ!」
翌朝。港塞都市パールの防波堤広場には、昨日までの絶望が嘘のように、威勢のいい掛け声と活気が満ち溢れていた。
トム親方や漁師たち、さらにはロルフ隊長率いる駐屯兵たちまでが総出で、海面に浮かぶ三百頭の巨体を次々と岸壁へ引き揚げていく。
私は木箱の上にちょこんと座り、足をブラブラさせながら指示を飛ばした。
「いい? 腐敗の原因になる消化管の酵素とエラは、私の高周波ブレードで完璧に除去してあるわ! でも、このまま朝日(赤外線)に当て続けたら温度が上がって、せっかく温存したATPが全部ダメになっちゃう! すぐに『保冷容器』の製造ラインを回すわよ、エルザ、リックス!」
「あいよ! 背中の硬い殻を剥がせばいいのね! おりゃあああっ!!」
「ひ、ひぃぃぃん! なんで僕までピンクのエプロン姿でイカの殻剥きなんですかぁぁっ!?」
バキバキバキッ!!
エルザが大剣の腹をテコのように使って分厚い円錐形の甲殻(カメロケラス殻)を豪快に剥がし、その横でピンクエプロン姿のリックスが涙目で甲殻を運んでいく。
「手を止めないの、リックスくん! サボったら今日のまかない(イカ焼き)抜きよ☆ トム親方! 剥がした殻の断面にある衝撃吸収ゲルを全部掻き出して、イカの軟骨から煮出した『高濃度コラーゲン接着剤』と私のポリマーで完全に密閉するのよ!」
「お、おうっ! 言われた通りに隙間を埋めりゃいいんだな!」
漁師たちが手際よく甲殻の内部からゲルを抜き取り、二枚の殻がパカッと噛み合う巨大な『カプセル型の箱』を次々と組み上げていく。
その光景を、朝の巡回を装ってやってきた港湾統括代官ボルドーと徴税官ギルバートが、遠巻きに鼻で笑いながら眺めていた。
「ふ、ふん! 見ろギルバート、下衆どもがゴミの殻を集めて箱遊びをしておるわ」
「ひゃはははっ! 滑稽ですなぁ、ボルドー様! 昨日あれだけ大口を叩いておきながら、結局はただの殻にイカを詰めているだけではありませんか! 昼前にはすべて腐って、我々に泣きついて高価な『塩』を買いに来るに決まっております!」
下卑た笑い声を上げる二人。
私は木箱の上からピョコンと飛び降り、腰に手を当ててドヤ顔で言い放った。
「はぁ? 誰がただの殻って言ったのよ! 無知な政治バグどもに、熱力学の基礎を教えてあげるわ☆」
私は完成したばかりの白い甲殻カプセルを、バンバンと叩いて見せた。
「いい? 熱が伝わるルートには『熱伝導』『対流』『熱放射』の三つしかないじゃん! この鎧大烏賊の甲殻はね、深海の冷水と超高圧から身を守るために、キチン質の内部が無数の微細な独立気泡になった『多孔質構造』をしてるの! 空気の熱伝導率は金属の数千分の一! しかも内部のゲルを抜いて減圧密閉したことで、殻の二重壁の間が『中空の断熱層』になって、対流による熱移動を完全に遮断してるわ! さらに表面の鏡面キチン質が太陽光の赤外線(熱放射)を100%反射する! つまりこれ、塩なんか一粒も使わずに外部の熱をシャットアウトする、天然の『超高性能・真空断熱クーラーボックス(魔法瓶)』なんですけどーっ☆」
「「な、なんだってぇぇぇぇぇッ!?!?」」
私の早口ノンストップ解説に、トム親方たちもボルドー代官も目を白黒させる。
だが、私の理系ハックはまだ終わらない。
「さらに! 箱の中に入れる冷却材も、ただの氷なんかじゃダメよ! アイリス、ギルドの備蓄から持ってきた『氷の魔石』を、あの海水を張った大樽に全部ぶち込んで!」
「承知いたしました、アノマロ様!」
アイリスが涼しい顔で頷き、大樽の海水の中へ青い魔石を放り込んだ。普通なら、水はゼロ度でカチコチの氷の塊になる。
だが――私はその大樽の中に右手を突っ込み、生体超音波で海水を激しく撹拌した。
ピキィィィン……ジャリジャリジャリッ!!
樽の中の海水は凍りつかず、白く濁ったトロトロの『シャーベット状の液体』へと変化した。
「こ、こりゃあ何だ!? 氷なのに、水みたいにドロドロと流れてやがるぞ!?」
トム親方が驚愕して樽を覗き込む。私はツインテールを揺らし、ふふん! と胸を張った。
「これぞ現代水産物流の切り札――『スラリーアイス(海水氷)』よ☆ 真水はゼロ度で凍るけど、塩分(塩化ナトリウム)を約3・5%含んだ海水は『凝固点降下』によってマイナス2度まで凍らないじゃん! そこに超音波で微細な氷の結晶核を無数に作ってあげることで、マイナス2度の極低温を保ったまま流体として動く『液体の氷』になるの!」
私は切り分けたばかりの極上イカの身を甲殻カプセルに並べ、その上からスラリーアイスをなみなみと流し込んだ。
「普通のゴツゴツした氷(固体)だと、身に当たる面積が少なくて隙間ができるし、角が当たって身が傷つくし、真水が溶けると浸透圧の違いでイカの細胞が水ぶくれになって味が落ちちゃうの! でも、この海水スラリーアイスなら、イカの全身を一ミリの隙間もなく包み込んで、通常の氷の十倍以上の熱伝達率で一気に芯まで冷やしきる! しかも海水と同じ浸透圧だから細胞が一切傷つかない! なんならマイナス2度の『氷温域』で凍らせずに寝かせることで、細胞が凍死しないように自ら『遊離アミノ酸(甘み成分)』をどんどん作り出すから――輸送してる間に、獲れたてより何倍も甘くて美味しい『氷温熟成イカ』に進化しちゃうってわけよーっ☆」
パタン、と甲殻の蓋を閉め、コラーゲン樹脂で完全にロックする。
その瞬間、隣にいたアイリスが銀縁メガネを「カッ!」と発光させ、全身をプルプルと震わせ始めた。
「あぁぁ……っ! 魔物の外殻をそのまま断熱容器へと転用し、海水と魔石だけで極低温の液体氷を生み出して、鮮度どころか旨味まで増幅させるなんて……ッ! 無駄な部位を一切出さない、なんと完璧で美しい循環型構造……ッ! ハァ、ハァ……アノマロ様の脳内構造、尊すぎてめまいがします……ッ!」
「あ、アイリスさん、また息が荒くなってるよぉ……っ! お水飲む……?」
クロエがおろおろと水筒を差し出している。
「……で、でもよ、アノマロちゃん。いくらこの箱が凄ぇっつっても、これを運ぶ馬車や売り先はどうするんだい?」
トム親方の疑問に、息を整えたアイリスがスッと表情を引き締め、『氷の受付嬢』の顔で一歩前へ出た。
「ご安心ください! 今朝一番で本部の祖父へ緊急通信魔導具を繋ぎ、ギルドマスター権限で近隣十都市の商業ギルドおよび王都の大商会と直接契約を結んでもらいました!」
アイリスの号令のもと、白い甲殻カプセルの第一陣が高速荷馬車へと積み込まれ、内陸へ向けて疾走していった。
***
――そして、三日後。
内陸の都市へ届けられた『氷温熟成イカ』が引き起こした衝撃は、巨大な津波となって港塞都市パールへと押し寄せてきた。
ゴゴゴゴゴゴ……ッ!!
早朝の港の大通りから地響きを立てて、ギルドの紋章を掲げた百台の大型荷馬車と、買い付けに殺到した大商人たちのキャラバンがなだれ込んできたのだ。
「おおっ、これが先日サンプルで届いた『活け締め・氷温熟成イカ』の本陣か!!」
「塩漬けじゃないからしょっぱくない! 三日前に獲れたものなのに、今朝水揚げされたばかりのように透き通って甘みが増してやがるぞ!!」
「買います、言い値で全部買い取らせていただきますぞ! 塩漬けの干物しか食えなかった内陸の貴族や富裕層が、大金を出して奪い合っております!」
商人たちが目の色を変えて殺到する中、リックスがピンクエプロンの裾を翻し、元受付員の事務スキルをフル回転させて伝票を捌き始めた。
「はいそこ一列に並んでくださーい! 検品と金貨の計量はこちら! 領収書の発行と荷馬車への積み込み誘導は僕が秒速で回しますよぉぉっ!(ここで有能さをアピールしておかないと、本当に海の藻屑にされちゃうぅぅっ!)」
リックスの涙ぐましい高速事務処理によって、あっという間に積み上げられていく金貨の山と、次々に荷馬車へ運び込まれていく白い甲殻カプセル。
「う、嘘だろ……。塩を一粒も使わずに、魚がこんな高値で飛ぶように売れていく……!? 俺たちの港が、生き返ったぞぉぉぉッ!!」
トム親方や漁師たちが、金貨の袋を抱きしめて歓喜の雄叫びを上げた。
――その一方。
再び視察にやってきていたボルドー代官と徴税官ギルバートは、広場の片隅で顔面を蒼白にして石像のように凍りついていた。
「な……なんだ、これは……!? 魚を内陸へ運ぶのに、塩を使わないだと……!?」
「ボ、ボルドー様ぁっ! 大変です、大変ですぞぉっ!!」
そこへ、塩庫の管理役人が血相を変えて転がり込んできた。
「この三日間で『氷温熟成イカ』の噂が内陸中に広まり、港に集まっていた商人たちが『生のまま魚が運べるなら、十倍の税金がかかった高い塩などもう要らん!』と、塩の買い付け注文をすべてキャンセルしてきましたァッ! それどころか、街の塩相場が今この瞬間にも大暴落しておりますッ!!」
「ば、馬鹿なぁぁぁぁぁッ!!?」
ボルドー代官が、頭を抱えて絶叫した。
「そ、そんなはずはない! 私は王都への供出ノルマを見越して、領主様の裏金と私の全財産を投じて、周辺の塩を先物で買い占めたのだぞ!? いま塩の価格が暴落したら、私の資産は……領主様への返済は……ッ!!」
「終わりましたね、ボルドー代官」
コツ、コツ、と冷たい靴音を響かせ、アイリスが分厚い帳簿とギルド法廷の召喚状を手に、二人の前へと立ち塞がった。
「塩の独占によって市場を支配できる時代は、アノマロ様の『低温物流革命』によって完全に過去のものとなりました。貴方方が塩庫に溜め込んだ数百トンの塩は、莫大な保管料だけを食いつぶす『ただの白い砂(不良在庫)』ですよ」
「ひ、ひぃぃぃっ……!?」
「さらに――この三日間で、王都の監査局およびギルド情報網による裏付け調査も完了いたしました。ボルドー代官および徴税官ギルバート、貴方方が『王都への供出』を名目に徴収していた十倍の塩税のうち、実に八割を自らの懐と先物投機に横流ししていた裏帳簿の証拠が、完全に押さえられました」
「な、なぜそれを……!? あれは領主様の金庫の奥深くに……ッ!」
「うちのギルドの調査能力を舐めてもらっちゃ困るわよ! さあ、観念しなさいクソジジイども!」
エルザが大剣を肩に担いで睨みつけ、ロルフ隊長たち駐屯兵が一斉に二人の周囲を取り囲んで槍を突きつけた。
「ボルドー代官、ならびに徴税官ギルバート! 非常事態における防衛放棄、通商条約違反、および公金横領の罪により、貴様らを現行犯で逮捕するッ! 塩庫の塩はすべて差し押さえ、これまでの不当課税の賠償として市民へ無償放出する!」
「い、いやだぁぁぁッ! 離せ、私は港湾統括代官だぞ! こんな田舎の港で、イカの殻なんぞに私の完璧なキャリアが潰されてたまるかぁぁぁッ!!」
「お、お助けをぉぉぉッ! 全部ボルドー様の命令だったんですぅぅぅッ!!」
醜く罪をなすりつけ合いながら、ロルフ隊長たちに引きずられていくボルドーとギルバート。市場の人々から、割れんばかりの歓声と拍手が巻き起こった。
「ふふん! 構造の欠陥に気づかず、古い既得権益にしがみついてるからこうなるのよ! これにてパールの街の政治バグ、完全デバッグ完了☆」
私が満足げに胸を張ると、クロエがトコトコと駆け寄ってきて、私の手をギュッと握りしめた。
「アノマロちゃん、すごいよぉ……! トムさんたちも、街の子どもたちも、みんなニコニコ笑ってるよ! お魚も腐らずに、遠くの街の人たちまで美味しく食べられるんだねっ!」
朝の光を浴びてキラキラと輝くクロエの笑顔。
港には、差し押さえられた塩庫の塩と、残ったイカのゲソを使った『イカ焼き祭り』の香ばしい匂いが立ち込め始めていた。
しかし。
歓声に沸く防波堤の端で、私はふと沖合の海面を見つめ、複眼を細めた。
(……さて。陸のゴミ掃除は終わったけど――沖の海底から響いてくるこの『不気味な吸引音』は、まだ止まってないわね)




