第114話 Sランクでも魚が食えない!?
「わぁぁ……っ! すごく美味しそうだよ、アノマロちゃん!」
港塞都市パールの夜を照らす、最高級リゾートホテルのダイニング。
純金貨五百枚と『特命Sランク』の権限で完全貸し切りとなった空間で、銀の蓋がしずしずと持ち上げられた。
ふわりと立ち上るバターとハーブの香り。皿の上には、白身魚のソテーと大ぶりの甲殻類のムニエルが美しく並んでいる。
クロエが琥珀色の瞳を輝かせる一方で、料理を運んできた総料理長たちの表情はどこか沈んでいた。
「……皆様。大変申し上げにくいのですが――本日の料理に使われた魚介類は、当ホテルが保有する『最後の一皿』でございます」
「最後……?」
クロエの声が、小さく揺れた。
向かいに座るアイリスが銀縁メガネを押し上げ、静かに問いかける。
「どういうことですか? 我々は提示された金額の倍以上の金貨を支払い、優先供給の特権を行使しているはずですが」
「はい……ですが、お金や権力以前の問題なのです。数日前から、港へ上がる魚がピタリと途絶えました。網を投げても、仕掛けを沈めても、引き揚げられるのは空っぽの網ばかり……。昨日、老漁師が泣きながら言っておりました。『海が……息をしてねぇんだ』と」
静まり返るダイニング。
純金貨がいくらあろうと、Sランクの治外法権があろうと、『生態系そのもの』が空っぽになってしまえば一匹の魚すら手に入らない。
「お金があっても……お魚、食べられないの……?」
クロエが切なそうに呟く。
私は無言で白身魚を口に運び、その細胞組織のエネルギー(ATP)密度を計測した。
(……やっぱり。タンパク質も脂質も、通常の半分以下だわ。まるで海全体の生命力が、何かによって極限まで削り取られてるみたい)
***
食後、私たちは胸騒ぎを覚え、月明かりが照らす夜のプライベートビーチへと出た。
昼間あれほど賑やかに戯れ合った白い砂浜。その波打ち際に近づいた瞬間、クロエが「あっ……!」と小さく声を漏らして足を止めた。
「アノマロちゃん、見て……! お海が……青く光ってる……!」
ひたひたと寄せる暗い波。夜の海面が、満天の星空を映したように鮮やかなコバルトブルーの光を放っていた。水飛沫が上がるたび、青い光の粒子が砂浜を幻想的に彩る。
「綺麗な青ですね……。まるで海面そのものが自発光しているようです」
「まぁ、海の中に星が沈んでるみたいねぇ」
アイリスとエルザが感嘆の息を漏らす。
だが――私の複眼(生体センサー)は、その美しさの裏に潜む致命的な異変を瞬時に見抜いていた。
「……ルシフェリンとルシフェラーゼの酸化発光ね」
私は膝を折り、波打ち際の海水をそっと両手ですくい上げた。
「夜光虫はね、外敵からの衝撃や波の刺激を受けた時だけ、防御反応として一瞬『パッ』と光るの。……でも、おかしいわ」
「おかしい……? こんなに綺麗なのに……?」
クロエが不思議そうに私の手元を覗き込む。
摩擦を最小限に抑えた私の手のひらの中で、無数の微小なプランクトンが――まるで悲鳴を上げるように、激しく青く光り続けていた。
「こんな静かな凪なのに、どうして『持続的』に光り続けてるの……? 本来なら一瞬だけのはずなのに」
私の複眼ソナーが、海中の微細な流体ベクトルを脳内に描き出す。
(この子たち……潮の満ち引きを無視して、北の内陸へ向かう『目に見えない激流』に引きずり込まれてる……!)
海底のどこかに開いた、巨大な吸引口。そこへ無理やり吸い込まれる過酷な流体摩擦によって細胞膜が押し潰されそうになりながら、プランクトンたちは体内のルシフェリンを絞り出すように発光していたのだ。
かつて自らも最下層のミクロプランクトンとしてサバイバルしていた私だからこそ、この小さな命たちの「無言の悲鳴」が誰よりも痛切に理解できた。
「アノマロちゃん……もしかして、お海が……泣いてるの……?」
クロエが胸をぎゅっと押さえ、潤んだ瞳で海を見つめる。
私はハッと息を呑み、クロエの手を強く握り返した。
「……ええ、クロエ。これは天災なんかじゃないわ。海の生命力をストローでチューチュー吸ってる『ヤバい連中』がいるのよ」
「つ、つまり……自然現象ではなく、何者かが海の生態システムを不法占有して、強制的に吸い上げているということですか!? 世界の生命基盤を破壊するなんて、ギルド規約どころか全生命への反逆行為ですッ! 裁定を待つまでもなく、即刻『排除』されるべき悪質危険因子ですよ!!」
アイリスがメガネの奥の瞳を怒りでギラつかせた瞬間、隣でエルザの赤髪がバッと逆立った。
「はぁ!? クロエに痩せ細った魚を食わせた原因がそいつってわけ!? いい度胸じゃないの……アタシの大剣でまとめてスパーンとぶった斬ってやるわよ!!」
背中の大剣の柄を握りしめたエルザから、ドス黒い殺気が噴き上がる。
二人の頼もしい怒りを受けて、私の複眼にも静かな闘志が灯った。
(エネルギーが吸い上げられている方角は、北の内陸――王都の方角ね。海が死んだら、大好きなクロエに美味しいシーフードすら食べさせてあげられないじゃない!)
「私も、アノマロちゃんと一緒に戦うよ!」
クロエが私の手をぎゅっと握り返し、力強く頷く。
青く泣き続ける夜の波打ち際を背に、私は前部付属肢をカチリと鳴らして不敵に笑った。
「大自然の免疫細胞として、この環境バグの元凶は絶対にデバッグしてやるわ☆ ――まずは原因解明のためのフィールドワーク開始よ! 明日の朝一番で、漁師ギルドの現場へサンプリング(聞き込み)しに行くわよ☆」




