第113話 港塞都市を貸し切ってバカンスしよ☆
「……あ、あの……アイリスさん、エルザママ……ヘンじゃ、ないかな……?」
シャッ、と重厚なベルベットのカーテンが開いた。
港塞都市パールの最高級ブティック。特別試着室からそっと姿を見せたクロエを見た瞬間、店内の空気が一拍だけ止まった。
澄んだ海色と淡いピンクが重なる、パステルフリルの水着。
華奢な肩口のフリルが揺れるたび、白磁のような柔らかな肌が光を跳ね返し、足元の【ガラスの靴】が室内のシャンデリアの光を虹色に砕いて散らす。
(……私、本当に……こんな綺麗な服を着ててもいいのかな……?)
自信なさげにモジモジするクロエを見て、向かいに立っていたアイリスがメガネを押し上げたまま固まり――次の瞬間、鼻を押さえてしゃがみ込んだ。
「……っ、ちょ、待って……クロエ様、それは反則です……っ」
「アイリスさん!? 鼻血出てます! 大丈夫ですか!?」
「骨格の黄金比……皮膚の光沢率……足元の光学反射……っ! 至高ですわクロエ様!! これはギルドの永久保存案件です!!」
「もう、アイリスさんったら……」
クロエが照れたように頬を染めると、横から豪快な腕が二人まとめて抱き寄せた。
「ちょっと! 天使たちが降臨してるじゃないのぉぉん♡」
鮮やかな朱色のビキニ姿のエルザが、圧巻のプロポーションで私たちをぎゅーっと抱きしめる。
「もう〜、苦しいよ、ママ」
「エルザ! 私のアバターの弾性限界を試すのやめて!」
私はエルザの腕の中でジタバタと抗議しながら、パステルカラーのツインテールを揺らした。身に纏っているのは、スポーティーなセパレートタイプの水着だ。
「ふふん☆ 流体ダイナミクス極限設計の超撥水水着よ☆ どうクロエ、カッコいいでしょ?」
「うん! アノマロちゃん、すっごく格好よくて可愛い!」
クロエの眩しい笑顔に、私の頭上の本尊も嬉しそうに複眼を細めた。
***
遡ること一時間前。
王都へ向かう特注馬車の中で、アイリスが銀縁メガネを押し上げて地図を示したのだ。
『もうすぐ、王都への最短ルートから少し南に外れた海沿いの街、港塞都市パールですね。アノマロ様、まさか……』
『ふふん、そのまさかよ☆ この世界の海洋生態系がどんな味付けになってるのか、理系JKとしてサンプリングしないわけないでしょ!』
泥水と酸と雷の味しかしなかった下層サバイバルから一転、念願のシーフードである。私のミトコンドリアが「タウリンをよこせ」と騒ぎ始めていた。
何より、クロエを『海』へ連れていくのは、あの日交わした一番大切な約束だ。
『海! お魚さんや、カニさんだね! アノマロちゃん、楽しみっ!』
『クロエが行きたいなら確定ね! 御者、南へ進路変更するわよ!』
エルザママの即断即決で進路を変え、胸の奥で私とひとつに溶け合ったピカちゃんも、故郷の海へ近づくにつれてぽかぽかと嬉しそうに鼓動を返してくれた。
かくして到着した港塞都市パールだったが、一番美しい白砂の区画の入り口は、高慢な顔つきの衛兵たちによって封鎖されていた。
『止まれ! この先は王族および特権貴族専用の特別遊泳区画だ! 冒険者風情が立ち入る場所ではない!』
『――特命Sランク特権、第二項を行使します。たかだか一国の貴族法で、全大陸ギルドの最高権限を止められるとでも?』
アイリスが純銀の紋章を突きつけた瞬間、衛兵たちは泡を吹く勢いで道を開けた。
(くぅ〜ッ! 大行列のファストフード店をモバイルオーダーで顔パスするみたいな優越感ね!)
さらにアイリスは純金貨の財力を振るい、魔法結界付きの最高級プライベートビーチを即座に貸し切ったのだった。
***
そして現在。
どこまでも澄んだエメラルドグリーンの海と、真っ白な砂浜が私たちの目の前に広がっている。
「わぁぁ……っ! 海だぁ……っ!」
クロエが砂浜に飛び出し、波打ち際で歓声を上げた。
冷たい波が【ガラスの靴】を濡らすたび、琥珀色の瞳がキラキラと輝く。
「でもアノマロちゃん……私、泳いだことなくて……」
「大丈夫よクロエ! 浮力と水圧のコントロールなんて、生体力学にかかれば一発☆」
私はクロエの華奢な腰にそっと腕を回した。
「息を軽く吸って、身体の力を抜いて……そう、肺の空気量と比重のバランスをとるの☆」
「……あっ! すごい、身体がフワフワ浮いてる……!」
水面の上でクロエがぷかぷかと浮かび、太陽の光が濡れた肌の上で揺らめく。まるで本物の水の妖精みたいだ。
そして、私自身も海水に足を踏み入れた瞬間――全身の細胞が歓喜のシグナルを打ち鳴らした。
(うわ……気持ちいい……! 粘性、浸透圧、塩分濃度三・五%……全部が「お帰り」って言ってる。やっぱり海は、私たち生命のホームだわ!)
私は水面の流体抵抗をゼロへ相殺し、イルカのように海中を滑って、しなやかな宙返りを描いた。飛び散る水滴が七色のアーチを作る。
「すごぉい……っ! アノマロちゃん、海のお姫様みたい……!」
「ふふん☆ もっと凄いの見せてあげるわ! ほら、手をつないで!」
私は親水性の生体空気膜を展開し、クロエを抱き上げてそのまま海中へとダイブした。
「……っ!? 苦しくない……! 水の中なのに息ができるよ……!」
「でしょ☆ 界面張力で空気層を完璧に維持してるから、顔も濡れないわよ☆」
水深数メートルの静寂。
黄金色の陽光がゆらゆらと海底を照らし、色鮮やかな熱帯魚が手の届く距離を泳ぎ、サンゴ礁が宝石のように輝いている。
「わぁぁ……! お魚さんがこんな近くに……!」
「ふふっ、四十六億年の海洋生物の庭へようこそ☆」
水面に浮上すると、クロエが「楽しかったぁ!」と無邪気に水をパシャッとかけてきた。
「きゃうっ!? やったわねクロエ、倍返しよ☆」
二人の笑い声が青空に弾ける。
浜辺に上がると、私は体表から親水性ゲルを分泌して砂に混ぜ、圧縮強度を爆上げした『ガチ建築学・砂のお城』を築き上げた。
「ふんふーん♪ アーチ構造とドーム構造による荷重分散、完璧ね〜☆」
「すごいっ! お部屋も螺旋階段もある……本物のお城みたい!」
パラソルの下では、アイリスが鼻息荒く私たちのスケッチを爆速で描き殴っている。
そこへ、ピンクエプロン姿のリックスが汗だくでお盆を運んできた。
「つ、冷たいトロピカル果汁と南国フルーツの盛り合わせ、お持ちしましたぁぁ……!」
「あら、気が利くじゃないリックスくん☆」
「は、はいぃぃ! 専属下働きとして誠心誠意お仕えしておりますぅぅ!」
エルザとアイリスが乾杯し、クロエも甘いジュースを美味しそうにゴクゴクと飲む。
やがて太陽が水平線へと傾き、海面が燃えるような黄金色に染まり始めた。
「アノマロちゃん、私……海って、こんなに広くて楽しいところだなんて知らなかったよ!」
「ふふっ、こんなのまだ序の口よ! 世界中の美味しいものも綺麗な景色も、全部クロエに見せてあげるんだから☆」
私は砂浜に並んで座り、クロエの小さな肩をそっと抱き寄せた。
寄せては返す波の音が、心地よいリズムを刻む。
(……やっぱり、海はいいわね)
温かい潮風に包まれながら、黄金色に染まる水平線を静かに見つめていた――その時だった。
ピクリ、と。
私の頭上の本尊が、海中に混じる『異常な化学成分』と、深海から這い上がってくる不気味な低周波振動を感知した。
(……ん? ちょっと待って。さっきのサンゴ礁の白化現象といい、この海水の溶存酸素量と魔素濃度の偏り……なんか、生態系の底が『不自然に腐って』ない……?)




