第111話 もしかして同志!?専属受付嬢アイリス。
『Error: 理外の理』
「……導魔晶線、全焼。これが昨日の演武の記録すべてです」
冒険者ギルド地下、極秘会議室。
黒く焦げた鑑定水晶の破片が冷え切った円卓を滑り、細縁眼鏡の奥で副マスター・バルトが胃を押さえるように顔を歪ませた。
「マスター。あの頭にエビを乗せた魔人……いや、エビの魔獣ですが、ギルドの安全基準に照らせば、ただちに王都本部へ『国家全滅級危険指定』として急報し、討伐軍の手配を要請すべきかと――」
「戯けが、バルト」
ドンッ!
ギデオンの太い拳が円卓を叩き、燭台の炎が一斉に低く倒れた。
「王都に報告など出してみろ。教団の異端審問官やら勇者の親衛隊やらが雪崩れ込んでくるぞ。そして――奴らがクロエに手を出した瞬間、全滅させられるのは王都の軍勢の方じゃ」
バルトが抱えていた書類の束が、小刻みに震える。
「わしはこの身で味わった。魔力など一切持たずとも、ただ己の肉体と理のみで『世界の法則』そのものを捻じ伏せる、あの天災をな。敵に回せば王国が地図から消えるぞ」
「……では、どうなさるおつもりで?」
「わしの最高権限を以て公認する。『特命Sランクテイマー』として全公的権力を与え、腐った王都に対する『政治的防波堤』とするのじゃ」
「な……クロエを、ですか!? しかしそれではギルド規定に――」
ギデオンの隻眼が、スッと細められる。
無言の重圧にバルトは言葉を呑み込み、胃を押さえて深く頭を下げるしかなかった。
重苦しい静寂が円卓を支配した、その時。
円卓の端から、小さなスケッチブックが持ち上がった。銀髪の新人受付嬢、アイリスだ。彼女の視線は、手元の紙面にびっしり描き込まれた『アノマロちゃん構造解析図』に釘付けになっている。
「……バルト副マスターの『演武事故調書』を拝読いたしました。人間を模した体と、その頭上に露出した体長三十センチほどの甲殻類の個体。さらに、クロエ様ご自身がその個体を『本体』だと証言されたという記述……」
「うむ。わしの目の前で、溶けた人型の頭の上からポロリと落ちてきてな。間違いなくあれが本体じゃ」
カチャリ。眼鏡のブリッジを押し上げるアイリスの指先が、微かに震える。
「……やっぱり。あんなデタラメな出力、人型に収まるはずがないと思っていました……っ! あの美少女の姿は、ただの『擬態外殻』だったんですね……っ!」
アイリスの薄紫の瞳孔がギラリと見開かれた。
「ああ……なんて無駄のないボディプラン……っ! 文献のどこを探してもない未知の生命! 神の教典すら凌駕する、進化の究極系……っ! ハァ、ハァ……っ!」
「……コホン。よし、アイリス、お前に任せる。クロエの『専属受付嬢』として、彼女とあのアノマロとやらを全力でバックアップせよ」
「はい、おじい様」
アイリスは胸元でスケッチブックをギュッと抱きしめ、恍惚と微笑んだ。
「喜んで……その大任を引き受けさせていただきますわ」
***
カツン、シャラァン。
翌朝。姿見の前でクロエが小さくターンを決めるたび、両足に揃った【ガラスの靴】が軽快な音を立てた。
「ふふっ♪ 今日のリボン、これでバッチリかな☆」
その頭上で、私は側葉を揺らしながら思考ログを回していた。
(ギルマスのじいさんは腰椎が左に数ミリ傾いてたわね。今度生体マッサージでもしてあげれば、最高の政治的後ろ盾になるかしら? エルザの親バカ度はカンストしてるし、雑用係のリックスは庭で爆速薪割り中。ふふっ、クロエのハッピーライフを守る布陣は完璧ね☆)
カラン、と玄関のベルが鳴った。
「はーい! 今開けるわよ!」
エプロン姿のエルザが扉を開けると、そこには一ミリの乱れもなく制服を着こなしたアイリスが立っていた。
「突然の訪問、失礼いたします、エルザ姉様。本日よりクロエ様の『専属受付嬢』を務めさせていただきます、アイリス・レム・アルカディアと申します」
背筋をぴしりと伸ばし、アイリスが金文字の羊皮紙とずっしり重い革袋を差し出す。
「こちらは『特命Sランク正式認定証』。ならびに、王都や他国からの引き抜きを防ぐため、ギルドが全力でご用意した前払い特別手当――純金貨五百枚にございます」
ジャラリ、と鈍く重厚な音が響く。
「じゅ、純金貨……五百枚……!?」
クロエが息を呑んだ。昨日まで銅貨一枚のために泥水を這いつくばっていた少女の掌に、貴族すら目を見張る巨万の富が乗せられようとしている。
「マ、ママ、どうしよう……! これ一枚でも落としたら、私、石運びの強制労働に……っ!」
「あははっ! 何言ってるのよ、もうアンタは立派なSランクなんだから♡ ギデオンのじいさんも粋なことするじゃないの!」
エルザが豪快に笑う。
だが――アイリスの視線は、金貨にもエルザにも向いていなかった。
ピタリ。
彼女の全身の動きが、不自然なほど完全に停止する。眼鏡の奥の瞳は、クロエの頭上の私へ完全に固定されていた。
「あ……あの、クロエ様……」
「えっ? あ、はい!」
ジリ……ジリ……。
吸い寄せられるようにアイリスが爪先を滑らせる。頬は朱に染まり、呼吸が荒い。
「そ、そちらの頭上におわすお方こそが……件のアノマロ様でいらっしゃいますか……!?」
「うん! 私の一番大切な騎士様、『アノマロちゃん』だよ♪」
『……もっきゅ☆』
私が愛らしく側葉を揺らした、その瞬間。
ガクンッ! とアイリスが玄関の床に両膝を突き、そのまま地を這うように極限まで顔を近づけてきた。
「ア、アイリスさん!? 大丈夫ですか!?」
「ひっ……はぁ、はぁ……っ! ち、近っ! 近すぎますアノマロ様……っ! あああっ、この流線型の側ヒレ! 完璧な複眼の配置! 不純物のない、究極の機能美……っ! はぁはぁ……美しすぎますぅっ!!」
ずり落ちた眼鏡を押し上げ、熱弁を振るうアイリス。
私の複眼がチチチッと光った。
(おっ。魔力至上主義のこの世界で『進化と構造』を語れるなんて、超貴重な『同志』の予感じゃない! こりゃ利用価値特大ね☆)
「ふふっ! アイリスさんも、アノマロちゃんの凄さが分かってくれるんだね!」
「もちろんです! 私は本日より、命に代えてもクロエ様とアノマロ様をお支えいたします!」
「よし! 金貨も入ったことだし、明日はクロエの可愛いお洋服を買いに行きましょう。アタシが見立ててあげるわよ♡」
エルザの言葉に、アイリスがすっと立ち上がった。
「では、私はSランク特権の手配をご用意しておきますわ。その中の一つが、王都の中央大図書館にある『禁書庫』の閲覧権となります」
『えっ、王都の禁書庫……?』
その言葉に、私の複眼がぱぁっと輝いた。
期待に胸を膨らませるクロエの頭上で、私はパステルカラーの前部付属肢をパチン、と小気味よく鳴らした。
(ふふっ、最高に話が早い受付嬢ね☆ 待ってなさいよ、異世界……その隠されたデータ、私が根こそぎ丸裸にしてあげるわ☆)




