第110話 勇者っているの?神様っているの?
「……おい見ろよ。特命Sランクになったクロエだぜ」
「頭に乗ってるあのちっこいエビ……神話級の魔獣なんだと?」
夕闇が降りる冒険都市リグのメインストリート。行き交う冒険者たちが、畏敬の眼差しでさっと道を譲る。
その後ろでは、雑用係に降格された元受付のリックスが大荷物を抱えて「ひぇぇぇんっ!」と泣き叫んでいた。
「うるさいバカ雑用! アタシの娘の荷物を持てるだけ光栄に思いなさい!」
ドゴォン! と大剣の柄で石畳を鳴らしたエルザが、クロエの右手をぎゅっと握る。
クロエはもう、下を向かずに胸を張って歩けた。
カツン、コツン……。
ただ、一歩踏み出すたび、右足の【ガラスの靴】だけが衝撃を完全吸収してしまうため、クロエの歩行軸はごく僅かに左へと傾いていた。
やがてエルザの家の扉をくぐり、暖炉に火を入れた直後――道中ずっとその「わずかな歩様の乱れ」に気づいていたエルザの声が、地を這うように低く沈んだ。
「クロエ……アンタ、その右脚どうしたのよ」
空気が一気に冷える。嘘をつける相手じゃない。
「ザックさんたちのパーティで、ゴブリンの囮にされて……足を蹴り折られて……」
――ピタ。
ドカァァァァンッ!!
エルザの大剣が床板をぶち抜いた。居間の窓ガラスがビリビリと激しく鳴動する。
「ザックのクソ野郎どもがあぁぁぁぁぁっ!! どこだあのゴミ虫ども!! 今すぐ肉塵に変えて微塵切りにして――」
部屋の隅でリックスが泡を吹いて倒れかける中、私はクロエの頭の上から、エルザのこめかみへと細い触角をピトッと伸ばして念話を繋いだ。
『あ、そのザックたち? もう食べたわ☆(※生化学分解・代謝吸収完了☆)』
空間を圧し潰していた殺気が、スンッと霧散した。
「……え?」
『だーかーらー! もう綺麗さっぱり食べたわ☆』
カラン、とエルザの手から大剣が滑り落ちる。
「あの『黒狼の牙』が……? もう討たれてるの……?」
「あははっ! もう、アノマロちゃんたら、また『食べた』なんて冗談言って! ママ、アノマロちゃんが白い煙の魔法でザックたちをこてんぱんに追い払ってくれたんだよ!」
へたり込むママを見て、クロエがケラケラと無邪気に笑う。
(……うん、純粋なクロエちゃんの教育上、やっぱり『逃げた』ってことにしておきましょ☆)
「まあ! もう懲らしめたなら話は早いわ! 今夜はクロエのSランク昇格祝いよ!」
気を取り直したエルザは、隅で震えるリックスに布の塊を叩きつけた。
「バカ雑用。ほら、着なさい」
「……なんで男の僕が、ピンクのフリフリエプロンを……?」
「嫌ならアノマロちゃんの『おやつ』になるわよ?」
「喜んで着用させていただきますぅぅぅっ!!」
エプロン姿のリックスが涙目で寸胴鍋を磨き上げる横で、クロエが「リックスさん、隅までちゃんとお掃除してくださいね♪」とにっこり笑い、私も『もっきゅ☆』と前部付属肢をパチパチ鳴らす。リックスは常人の三倍速で鍋をピカピカに磨き上げた。
やがて食卓に、湯気の立つ『ゴロゴロ肉のスープ』と焼きたてのパンが並ぶ。
お肉と野菜の優しい甘みが、冷え切っていた身体の奥底までじんわりと染み渡っていく。私はスープの中の分厚いお肉をハサミでつつきながら、ふと湧いた疑問をエルザにぶつけた。
『ねぇねぇエルザ、この美味しいお肉って何の魔物なの? そもそも『魔物』って、普通の動物と何が違うのかしら?』
「これは角イノシシの肉よ。魔物ってのはね、体内に『魔石』を持ってる生き物のことさ。大気中の魔素を吸って巨大化したり、火を吐いたりする危険な連中だわ」
(『魔石』! 大気中の過飽和エネルギーを有機結晶化した生体バッテリーね! カンブリア紀の生物が海水中のカルシウムを取り込んで外骨格へ進化させたみたいに、魔素を結晶化させて環境適応してるなら、めちゃくちゃ興味深いわ☆)
『なるほどね〜! あ、そういえばさっきギルドで、そのピンクエプロンが「神の威光が〜」とかイキってたけど、この世界って『神様』や『勇者』も本当にいるの?』
「教会では、神様が世界と魔力を授けたって教わるわね。王都には神様の特別な加護を受けた『聖剣の勇者』ってのがいるらしいけど……まあ、ずいぶん高慢ちきな小僧って噂よ」
ピクリ、と私の前部付属肢が不穏に跳ねた。
(高慢な小僧……。やっぱり、あのクソ有須ね。自前でATPも作れないくせに、システム側からエネルギーを優先供給されてるだけの『不正受信ノード』。今度こそ、私が直々にダーウィン先生の『自然淘汰』を下してやるわよ☆)
すると、スープを飲んでいたクロエがぽつりと呟いた。
「魔力は神様からの贈り物だから……魔力のない私は、神様に見捨てられた欠陥品なんだって……」
(神様ねぇ……。その『加護』や『魔力適性』がシステムの評価アルゴリズムだとすると、クロエが見捨てられたんじゃなくて、測定側のセンサーがクロエの規格外構造を読み取れずにエラーを吐いてるだけじゃないかしら?)
『エルザ! この街に大きな図書館や古本屋さんってある!?』
「中央広場にあるわよ。明日のお買い物ついでに行ってみなさいな」
『決まりね☆ 勇者の件も含めて、この世界の生態系データ、全部マイニングして丸裸にしてあげるわ☆』
お腹いっぱいになって食卓を離れた私たちは、薪がパチパチと爆ぜる暖炉の前へと移動した。
私はクロエの右足の【ガラスの靴】に前部付属肢を当て、内部の治癒状態をスキャンする。
『――よし、骨梁の再生完了☆ 生着率も100%ね☆』
「ありがとう、アノマロちゃん!」
喜ぶクロエに、私は少し真面目なトーンで続けた。
『でもクロエ、一つ問題があるわ。さっきエルザにもバレた通り、ギルドから帰る時、少し歩行軸が左に傾いていたでしょ?』
「えっ?」
『右足のガラスの靴のスペックが跳ね上がりすぎたせいで、生身の左足との出力バランスが崩れてるの。このままだと運動力学的に左の骨盤へ過剰な負荷がかかるわ』
「そ、そんな……! じゃあ、せっかくアノマロちゃんが作ってくれたこの靴、外さなきゃダメ……?」
今にも泣きそうになるクロエを、私は誇らしげに笑い飛ばした。
『逆よ☆ 左足も同じ超スペックに引き上げればいいの! さあ、左足を出して!』
「えっ?」
『おとぎ話のお姫様は、ガラスの靴が両足揃ってないと全力で走れないでしょ?』
――おとぎ話のお姫様。
スラムの片隅で、ボロボロの絵本だけを抱きしめていた日々。ずっと憧れていたその響きに、クロエの琥珀色の瞳がふいに潤んだ。
『ネオブラスト幹細胞と高純度キチン・コラーゲン複合体の生体被膜を展開! 床反力とせん断応力の左右均等化、完了☆ ちょっとひんやりするわよー☆』
シャラァン――。
涼やかな音とともに、左足の表面を包んだ透明な生体組織が瞬間硬化した。
右足と対をなす、万華鏡のように煌めく一足の【ガラスの靴】。クロエがそっと床に立ち上がると、羽のように軽く、完璧な重心バランスが整っていた。
「すごい……! 両足ともキラキラで……なんだか今なら、世界のどこまでだって走っていけそう……!」
『ふふっ、これで機動力もバッチリね☆』
クロエは溢れそうな笑顔で、私を両手で優しく包み込んだ。
暖炉の煙突から立ち昇った温かい煙と幸せな匂いが、リグの夜空へと溶け込み、北へ向かう風に乗って遥か遠くへと流れていく――。
***
その風が辿り着いたのは、はるか北――王都の地下深くに封じられた禁忌領域。
冷たく硬い石床の上で、偽神の『魔導首輪』に強制支配され、終わらぬ激痛に耐え続ける『一頭の漆黒』がいた。
ジリッ、と首輪から神経を焼くような電流が走る。
だが、暗闇の中で光るそのエメラルドの瞳が、ふと鉄格子の向こう――遥か南の空を見つめた。
風に乗って微かに漂ってきた、ずっと探していた『どこか懐かしい匂い』。
『――グルルルッ……!』
首輪の呪縛に抗うように、その漆黒は闇の中で静かに、だが力強く石床に鋭い爪を立てた――。




