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第106話 『告ぐ。南南東へ堂々たる迷走せん』

「……ん? おかしいね、この一帯の植物群落は」


 巨木が鬱蒼と生い茂る大森林。

 朝露に濡れた土を踏みしめていた上野創(神先輩)は、ふと足を止め、苔むした大木の根元に広がるシダ植物の葉へと視線を落とした。

 ぐにゃりと歪んだ黒縁メガネの奥の瞳が、鋭い光を帯びる。


「緑色植物の正常な反射光じゃない。葉がわずかに暗い紫黒色を帯びている……。これは通常の『クロロフィルa/b』による可視光線の吸収じゃないな。近赤外線領域の光まで効率的に利用しようとする『クロロフィルf』類似色素の異常発現だ」


 泥のついたヨレヨレの白衣も気にせず、創は地面にひざまずくと、亜空間ポケットから取り出したガラス製ルーペを葉裏へとかざした。


「極限環境のシアノバクテリアならいざ知らず、こんな陽光も水分も豊かな森林で高等植物がこんな適応進化を起こすなんてあり得ない。……つまり、この土壌の深層から、植物たちが生存に必要な根本的エネルギー――生体エネルギー(ATP)や地脈の栄養素が強制吸引されているんだ!」


 創は落ちていた太い枝を手に取り、ザクッ、ザクッと根元の土を掘り返した。

 数センチほど掘り進めた湿った黒土の底から、怪しく明滅する金属質の細い管が露わになる。


「やっぱりだ! 生態系の循環を無視した過剰なエネルギー抽出! まったく、熱力学第一法則に対する冒涜だよ!」

『――告ぐ。創造神』


 天界から、山”口ちゃんの冷淡な声が差し込んできた。


『私が弾き出した結論を申し上げます。その地中パイプラインの調査および生態系観察は、対象個体の保護という主目的において、現在「優先度F(完全な無駄)」です』

「甘いよ山”口ちゃん! 君は僕から『論理』を持っていったかもしれないけれど、『フィールドワークのロマン』までは分割できなかったようだね! 泥にまみれて未知の異常を解き明かす、これぞ生物学の神髄さ!」

『……ええ。貴方に残された脳内物質が、単なる「知的好奇心によるドーパミン依存」であることは、こちらのモニターでも明確に観測できております』

「言い方! 分神なんだから、もう少し本体に優しくしてくれてもいいじゃないか!」


 ぷんすかと頬を膨らませる創だったが、すぐに泥だらけの手を顎に当て、不敵な笑みを浮かべた。


「ふふん……だが、この発見で全てが繋がったよ! 見なよ山”口ちゃん、このエネルギー吸出パイプラインの延伸方向を!」

『……はぁ。それが何か?』

「このパイプラインの先には、必ずやこの世界の生態系を歪めている『巨大な特異点』が存在するはずだ。そして、僕の優秀な後輩である種田くんなら、この不自然なエネルギー流動に絶対に気づいている! 科学者は常にエネルギーの動態(フロー)を追うものだからね!」


 腰に手を当て、ドヤ顔で完璧な推論を展開する創。

 そこへ山”口ちゃんが、氷のように冷ややかな声で現実のデータをつきつけた。


『――告ぐ。分神としての最新観測データを提示いたします。対象個体は現在、北西に位置する冒険者ギルドにおります。個体名クロエを連れ、ギルドでの手続きを行っている最中です。重ねて申し上げますが、方角は【北西】です』

「いやいや! 僕と種田くんの絆という不可逆的な量子もつれ(エンタングルメント)が、僕を南南東へ呼んでいるッ! このパイプラインが辿る南南東の先にこそ、種田くんとの奇跡の再会が待っているんだよ!」

『……理論を完璧に組み立てた上で、前提条件を盛大に間違えるあたり、相変わらず手遅れのポンコツですね』

「よし、行くよ山”口ちゃん!」


 黒縁メガネをキランと光らせ、創は白衣の裾をバサバサとたなびかせながら歩き出した。

 筋力ゼロの身体が叩き出す限界速度――時速四キロの堂々たる早歩きで。もちろん、目標の種田由紀(アノマロちゃん)とは完全に真逆の『南南東』に向かって。


『……はいはい。では、奇跡の迷走記録として天の書にログを残しておきますね』


 南南東の荒野へ向かって意気揚々と逆走していく創造神の背中をメインモニターの隅へ追いやり、天界でお留守番中の山”口ちゃんは、手元の実験台(ラボベンチ)へと向き直った。


 そこにあるのは、恒温槽で摂氏六十八度に温度管理され、卵タンパク質の熱変性によって完璧な滑らかさでゲル化した『特大ビーカープリン』である。

 山”口ちゃんは、その上に青く透き通ったバタフライピーの抽出液を注ぐと、ホールピペットでレモン果汁を数滴、正確に滴下した。


 アントシアニン色素がpH(水素イオン指数)の酸性変化に反応し、青色のシロップが魔法のように鮮やかな赤紫色へと美しいグラデーションを描く。目と舌で楽しむ、極上のサイエンス・スイーツだ。

 無機質で冷徹な分神は、ステンレス製の薬さじで赤紫に輝くプリンをすくい、パクリと口に運んだ。


「……ん、うま♪」


 わずかに頬を緩めた山”口ちゃんは、もう一口プリンをすくいながら、メインモニターの中央――『北西の冒険者ギルド』を映し出すウィンドウへと視線を戻した。


『さて……。創造神があちらのパイプラインに気を取られている間に、北西のギルドでは、我が最強の異物ちゃんたちが早くも大騒動を巻き起こしているようですが』

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