第105話 『告ぐ。引きこもり創造神、地上降臨せり』
「ひぅ……っ、うわぁぁぁあっ!?」
雨上がりの陽光が降り注ぐ大森林の草原に、一筋の黄金色の光柱が舞い降りた直後。
ドサッ! と情けない音を立てて、ヨレヨレの白衣を着た少女が顔面から盛大に泥へと突っ伏した。
愛しき後輩のダンジョン脱出をモニター越しに見届け、「もう我慢できない! あとの迷宮管理は任せましたよ、山”口ちゃん!」と天界の扉を蹴り開けて地上へダイブした創造神――上野創その人である。
「お、重い……! 重すぎるよ山”口ちゃん! 1Gってこんなに身体に負荷がかかるものだっけ!? 直立二足歩行の骨格構造、完全に重力への設計ミスじゃないのこれ!?」
『……創造神。肉体スペック、および運動能力の測定が完了しました』
天から響いたのは、天界のモニタールームでお留守番中の冷徹な分神、山”口(やま”ぐち)ちゃんの声だった。快適な神域でビーカー入りのコーヒー牛乳を片手にメインモニターを眺めながら、羊皮紙(天の書)へ淡々とログを打ち込んでいる。
『現在の身体数値ですが――筋力は一般小学生以下、持久力は瀕死のアメーバ並みです。……はぁ。四十六億年も引きこもった結果がこれですか。管理者権限の制限を含めても、運動機能が極限まで退化しています』
「直球で傷つく言い方やめてぇ! 僕だって好きで四十六億年も部屋に引きこもってたわけじゃないんだからね! カンブリアンモンスターたちが可愛すぎて、生態系観察から目が離せなかっただけなんだから!」
ぐにゃりと歪んだ黒縁メガネの位置を直し、生まれたての小鹿のように膝をガクガクと震わせながら立ち上がる創。
「ふふん、だがこれでいい! 科学者たるもの、現場に足を運んでこそ真実を掴めるというものだよ!」
創は泥のついた白衣の裾をバサッと翻し、キリッとした顔で腰に手を当てた。
「待っててね種田くん! 君の憧れの先輩である僕が、君に『絶対最高のハッピーエンド』を掴ませてあげるからね!」
決意の言葉が草原に響き渡った、まさにその時であった。地上降臨から、ちょうど五分後のことである。
ガサガサッ……。
「……ん?」
創の足元で、背の低い草むらが揺れた。
そこからニュッと姿を現したのは、直径三十センチほどの、パステルグリーンでぷるぷる揺れる半透明の球体。表面にはつぶらな二つの黒点。異世界における最弱の魔物――スライムである。
『ぷちゅ……☆』
スライムが愛らしく身を捩らせながら、創の足元へと擦り寄ってきた。
だが、筋力ゼロ、戦闘経験ゼロの引きこもり創造神にとって、それは凶悪な地球外生命体の襲来と同義であった。
「ひゃあぁぁぁぁぁぁぁああっっっ!?!?!?」
創の情けない絶叫が、大森林の空を裂いた。
「出たぁぁぁぁっ! スライムだぁぁぁっ! 助けて山”口ちゃん! 喰われる! 溶かされて消化吸収されちゃうよぉおおおっ!」
『……ちなみにですが、そのスライムの危険度はゼロです。現在、貴方は時速四キロで絶叫逃走中ですが、本気で言っていますか?』
「嘘だ! あんなツヤツヤした生体膜で覆われた不気味な塊、危険じゃないわけないだろぉぉぉっ!」
白衣をバタつかせ、へっぴり腰で草原を全力(時速四キロ)で逃走する創。
だが、あまりの筋力不足ゆえに自分の足をもつれさせ、わずか三メートル進んだところで盛大にドテッと転倒した。
「ぶへっ!?」
『ぷちゅ〜☆』
追いついてきたスライムが、転んだ創の背中に向かってぽよんと跳躍する。
「来ないでぇぇぇっ! なんであんなぷよぷよした未分化の粘性細胞塊が、骨格もないのに自立保形して移動できるんだよ!? 熱力学第二法則的にも! 表面張力の分子間力構造的にも絶対におかしいじゃないかぁぁぁああっ!!」
創が涙目になりながら叫んだ、その瞬間。
パシィィィンッッ!!!!!
「……え?」
創の怒号に含まれていた無意識の『神性(物理法則の定義権)』が発動し、スライムの細胞膜を保持していた親水性ゲルの分子結合が一瞬にして完全崩壊したのだ。
スライムは「パンッ!」と水風船が割れるような音を立て、ただの緑色の綺麗な水分となって草原へと爆散した。
しーん……。
頭から泥を被った姿勢のまま、創はおそるおそる振り向いた。そこには緑色の水たまりがあるだけで、バケモノ(?)の姿は影も形もない。
「はぁ……はぁ……っ! た、倒した……!?」
創はメガネをくいっと持ち上げ、ふっと不敵な笑みを浮かべた。
「ふ……ふははは! 見たかい山”口ちゃん! これが地球の最高学府で磨き上げられた、僕の知性の勝利だよ! スライムなど、僕の生化学的考察の前には塵に等しいのさ!」
『……はい、黒歴史更新です。ただいまの情けない悲鳴と最弱スライムに対する全醜態、天の書へ映像付きで永久保存しておきますね』
「やめてぇぇぇぇぇっ!? 消して山”口ちゃん! それ僕の神様としての尊厳が粉々になっちゃうからぁぁぁっ!」
泥の上で手足をバタバタさせて取り乱す創。
深々と溜息をついた山”口ちゃんがシステム操作を行うと、創の白衣の『亜空間ポケット』からコトン、と小さな音が鳴った。
『見苦しい言い訳を考える暇があるなら、まずは胃腸を落ち着かせてください。そちらのポケットへ、胃粘膜保護薬とコーヒー牛乳を転送しました』
「あ……ありがとう山”口ちゃん……。ふぅ……ゴク、ゴク……。あぁ……六十五度の優しさが胃にしみる……」
温かいコーヒー牛乳で胃薬を流し込み、ようやく血の気が戻ってきた創は、耐熱ガラスの瓶を片手に北西の空を見上げた。
「……ふぅ、胃の調子も整った。待っててね、種田くん。君が異世界でどんな姿になっていようと、君の先輩である僕だけは、絶対に君の味方だからね」
湯気の向こうで、ヒーローのようにキリッとキメ顔を作る創。
「なんだい山”口ちゃん? 僕の凛々しい横顔に見とれてしまったのかい?」
『――告ぐ。現実逃避はそこまでにしておきなさい。貴方の背後、巨大なシダ植物の陰から何かが接近中です』
「……え?」
キメ顔のまま創がゆっくりと振り返ると、シダの葉を掻き分けて『それ』がヌッと姿を現した。
サファイアのような構造色を持つ、軽トラほどもある巨大な甲虫魔物――『ジャイアント・ルリオサムシ』が、カチッ、と凶悪な大顎を鳴らして創を見下ろしていた。
「ひぃぃぃっ!? 待って、開放血管系と気管呼吸の節足動物があのサイズまで巨大化したら、酸素供給が追いつかずに窒息するはずでしょぉぉぉっ!? 山”口ちゃぁぁぁん!!」




