第103話 芽胞爆裂!46億年のコンプリート覚醒☆
『――おねがい! 由紀……起きて!』
『――種田くん。僕が……必ず!』
『――ねえ! アノマロちゃん。逃げて!』
ずっと、分からなかった。
この理不尽な異世界の泥水の中で目覚めた時、どうして頭の中で、あんなにも悲痛な声がノイズ混じりに響いていたのか。
だけど、今なら分かる。すべて思い出せる。
私の転生は、「初めて」じゃなかったのだ。
一つ目は、前世のお母さんの声。――ママ、会いたいよ。
二つ目は、白衣を翻して走ってきた創先輩の声。――次に会ったら、聞きたいことが山ほどあるからね、神先輩。
そして三つ目は。この世界で私に名前をくれた、たった一人の「大切な家族」――クロエの声だった。
黄金色の髪をなびかせ、冷酷に見下ろしていた勇者アルス――いいえ、有須翔。
ヤツが放った『存在消滅』の神罰から私を庇い、クロエは小さな身体を盾にして、私のハサミの先から砂のように崩れて消えた。
世界が『時間逆行』の奔流に呑み込まれる中、私は自分の肉体を極限のタイムカプセル――【休眠芽胞】へと圧縮し、消えゆくクロエが遺してくれた『温もりの記憶(DNA)』だけを抱きしめて、始まりの最下層へと遡行したのだ。
そして、芽胞の分厚い殻の奥底には、もう一つ。
私の右半身とクロエの命を奪った、アルスの『神聖魔力の断片』を封じ込めていた。
生物学における【抗原】の記憶。
一度喰らった致死の毒の構造を遺伝子配列に刻み込み、次に同じ攻撃を受けた時、それを完膚なきまでに分解・無効化する原核生物の獲得免疫機構――『CRISPR-Cas9(クリスパー・キャスナイン)』!
私を特定外来生物と呼び、生存確率0%の奈落へ落とした連中は、生命のしぶとさを一ミリも分かっていない。
地球四十六億年の進化の歴史において、『死に至らないダメージ』はすべて――次なる環境適応へのトリガーでしかないのだから!
***
記憶を封じたまま最下層で再起動した私は、全脊椎動物の祖先たる奇跡の最推し――ピカイアの『ピカちゃん』と出会った。
硬と軟の最強バディとしてカンブリア・ダンジョンを駆け上がり、最終局面で果たした魂と肉体の完全融合――【細胞内共生】。
ピカちゃんとひとつになることで【内骨格】と【閉鎖血管系】を獲得した私は、最上層の『暴虐竜ディアボロドン』をバリバリと喰らい尽くし、ついに開かれた『終わりの門』から地上の空の下へと飛び出したのだ!
***
ダンジョンよりはるかに魔素が薄く、乾いた地上の大気。
冷たい風に触れた瞬間、私はエラの弁を閉じ、ピカちゃんから受け継いだ『肺』へと呼吸を切り替えた。雨の匂いが、新しい肺の奥深くまで甘美に広がっていく。
肺から取り込んだ高濃度の酸素が、新しい血管網を駆け巡る。
その劇的な環境変化(発芽シグナル)を感知した瞬間、私の脳内で眠り続けていた【休眠芽胞】の保護膜が、限界を超えてバチバチッと弾け飛んだ。
ノイズだらけだった視界に、強烈な色彩と記憶の濁流がフラッシュバックする。
雨上がりのアスファルトの匂いと、温かいお味噌汁の湯気。
お母さんのチーズ乗せハンバーグと、創先輩と飲んだ六十五度のコーヒー牛乳の甘さ。
――そして、泥だらけの手で私を抱きしめてくれた、あの優しい琥珀色の瞳。
背中を打ち付けた、冷たいコンクリート塀の激痛。
――違う、これは私の甲殻からすり抜けていった、クロエの小さな指先の冷たさだ!!
パズルのピースが、カチ、カチと音を立てて噛み合っていく。
前世で私を肉壁にして生き延びた男と、この世界でクロエをゴミと呼んで消し去った金髪の勇者。
有須翔。二つの世界にわたる理不尽が、今、ドス黒いひとつの殺意となって完全に繋がった。
(……だけど、芽胞から解放された『神聖魔力の抗原データ』を解析して、全細胞を『対・勇者仕様』に書き換えるには、まだ決定的にエネルギー(ATP)が足りない……ッ!)
***
――同時刻。
『終わりの門』が位置する大断崖の真下。冷たい雨がそぼ降る『迷いの森』の崖下。
悪徳冒険者ザックに右足を容赦なく蹴り折られ、泥水の中に倒れ込んでいた十四歳のクロエ。
忍び寄るゴブリンたちの足音と、死の恐怖に震えていた彼女の胸の奥で――。
ドクンッ……!!
空間を超え、断崖の頂にいる私から放たれた最初の『生体心音(ATPパルス)』が、彼女の魂と共鳴した。
「あ……っ!?」
クロエが息を呑み、泥だらけの胸を押さえる。
凍りついていた身体の奥底にポカポカとした不思議な熱が注ぎ込まれ、涙に濡れた琥珀色の瞳に、黄金の輝きが宿った。
『――クロエ!!』
「あ……あたたかい……。アノ、マロ、ちゃん……? アノマロちゃんが……帰ってきてくれた……っ!」
自分でも理由の分からない涙をポロポロとこぼしながら、クロエは分厚い雨雲の向こう――断崖絶壁の頂を見上げた。
そして、時空を超えた『従魔契約(量子もつれ)』のパスを通じて、己の有り余る生命エネルギーを、私へと一気に送り返してくれたのだ。
***
『ギルルルルルルルルルルッッゥゥアアアアアアアッ!!!!』
大断崖の頂から天へ向け、私は魂の底から咆哮した。
クロエから直接供給された莫大なATPが、私のミトコンドリアへと爆発的に雪崩れ込んでくる!
(これならいける! 抗原データの構造解析、完了!【獲得免疫(アンチ・チート酵素)】を生成し、全細胞を『対・神罰仕様』へアップデート!)
人間として生きた前世の知性。
一周目の未来で刻み込んだ、クロエへの愛と勇者への殺意。
ピカちゃんとひとつになって完成した脊椎動物のボディプラン。
そして、クロエから流れ込む無尽蔵のエネルギー!
(ピカちゃんから受け継いだ【脊椎動物の設計図】に、芽胞に保存していた【クロエのDNA情報】、そして私の前世の【人間の骨格イメージ】を統合――全能性幹細胞、フル稼働!!)
超速の細胞分裂と猛烈な発熱。降り注ぐ雨粒が私の甲殻に触れてジュワッ! と白煙に変わり、視界を真っ白な蒸気で染め上げる。
アノマロカリスの強靭な外殻そのものを「母衣」として、その内部で『新しい身体』が急速に錬成されていく。
パカァッ……!!
甲殻が割れ、あふれ出す高温の蒸気の中から『それ』が立ち上がった。
パステルピンクと水色のツインテール。ピカちゃんの面影を残した、華奢で愛らしい人間の少女の姿。
ゆっくりと開かれた瞳は、奥底に幾何学的な複眼を沈めたアンバーゴールド。
そしてその頭上には、体長三十センチに凝縮された本体――パステルカラーの『私』がちょこんと帽子のように鎮座し、太い神経索で少女の脳と直結している。深海魚チョウチンアンコウの「疑似餌」を応用した、地上活動用の第2形態――【擬態外殻】だ!
「あー、あー。うん、声帯の振動もカンペキね」
新しい少女の喉を震わせ、私は鈴を転がすような声で笑った。
眼下に広がるのは、断崖の真下に広がる大森林の樹海。アンバーゴールドの複眼が、泥水に倒れ込むクロエと、下品に嗤うザックたちの姿を正確にロックオンする。
「待ってろよ、ポンコツ女神。それに――有須翔、いいえ、クソ勇者アルス」
ドンッ!!
足元の岩肌をすり鉢状に粉砕し、円錐状の衝撃波を纏って雨粒を弾き飛ばす。
私は重力加速度と音速を超え、真下の崖下へ向けて一直線に急降下した。
「理不尽な神のシステムごと、四十六億年が鍛えた私たちの『ガチ進化論』で完膚なきまでに自然淘汰してやるわ! ――待っててクロエ、今度こそ絶対に、私があなたを守り抜くからッ!!」




