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第101話 道連れとかイミフだよ!

「マジあり得なくね!? なにあのオタク女、上野先輩の威光借りてイキりやがってさぁ!」

「そーそー! 翔(しょう)に恥かかせるとか、マジ調子乗ってんだけど!」


 北校舎の廊下で創先輩に論破されてから、数日後の放課後。

 通り雨が上がったばかりの駐輪場の裏手で、有須翔は空き缶を思いっきり蹴り飛ばした。

 カン、と乾いた音が響き、泥水が跳ねる。生徒会を通じてねじ込もうとした『生物部室の明け渡し申請』が、さっき職員室で顧問の教師に鼻で笑われ、あっさり却下されたのだ。


「チッ……クソが!! どいつもこいつも、俺を誰だと思ってんだよ!」

「まあまあ翔、あんなカビくさい部室なんかいつでも潰せるって! それよりさ、今日また単車乗ってきてんだろ?」

「そうだよ翔くん! あたし、翔くんの後ろ乗って海まで行きたーい!」


 佐久間と景山がおどけて持ち上げ、莉乃が甘えた声で腕に絡みつく。

 有須の歪んでいた口元に、いつもの傲慢な笑みが戻った。


「……ま、そうだな。おい拓海(たくみ)、剛(つよし)、お前らも原付出せ。莉乃、しっかり掴まってろよ。俺の最高のバイクで、スカッとブッチ切ってやるからさ!」


 ブルーシートを乱暴に剥ぎ取り、隠していた改造バイクに跨がる有須。

 ノーヘル。雨上がりの濡れた路面。キーを捻ると、静かな放課後の空気を切り裂いて、甲高いエキゾーストノートが唸りを上げた。


 ***


「創先輩、じゃあまた明日っす! 今夜こそちゃんと白衣脱いで、パジャマだけで寝てくださいね!」

「ふふ、善処しよう。種田くんも、熱力学第一法則に従ってエネルギーの過剰消費を避け、速やかに帰宅したまえ」


 校門の前で創先輩と手を振り合い、私はひとりで帰り道を歩き出した。

 雨上がりの匂いが、ひんやりと頬を撫でる。水たまりが点在するアスファルトが、雲の切れ間から差し込む赤黒い夕日をギラギラと反射していた。


 小さな商店街を抜けて住宅街へと入る。お惣菜屋さんの前を通りかかると、揚げたてのコロッケの香ばしい匂いがふわっと鼻をくすぐった。

 ポケットからスマホを取り出し、さっきお母さんから届いていたLINEの画面をもう一度眺める。


『今夜は由紀の大好きな煮込みハンバーグよ。お父さんも早く帰ってくるって』

『やったー! マジ神! チーズ乗せでお願い!!』


 自分の送ったスタンプを見て、思わず口元がゆるむ。

 歩調に合わせて、スクールバッグにつけた『アノマロカリス』のラバーストラップが、コトン、コトンと揺れていた。先週、駅前のカプセルトイコーナーで創先輩と二人でムキになって回して、ようやく引き当てたシークレットだ。


(あ、そうだ。帰ったら、創先輩に借りたカンブリア紀の論文の感想まとめなきゃ。それから、明日は駅前のベーカリーで焼きたてのメロンパンを創先輩に買ってってあげよう……)


 ――そんな何気ない思考が。

 路地裏から響いてきた暴力的な爆音に、突然かき消された。


 バリバリバリバリッ!!


 住宅街の静かな空気をビリビリと震わせる、耳障りな排気音。一拍遅れて、ブロック塀に反響する下品な笑い声が近づいてくる。


「ギャハハハ! 翔、マジ超速ぇえええ!!」

「キャーッ! 翔くんすごーい! マジアゲなんだけどー!!」


 猛スピードで疾走する改造バイクと、その後ろを必死に追いかける原付二台の甲高いエンジン音。有須たちだ。


(うわ、マジ最悪……。雨上がりなのにあんなスピード出して、運動エネルギー($\frac{1}{2}mv^2$)と摩擦係数の計算もできないバカじゃないの?)


 鉢合わせしたら、また面倒な因縁をつけられるに決まっている。私は小さくため息をつくと、やり過ごすために曲がり角のコンクリート塀の陰へと足を早めた。


 ――まさに、その直後だった。


 キーーーッ!!

 タイヤが路面を引っ掻く、悲鳴のような金属摩擦音。


 見通しの悪い九十度の曲がり角。ノーブレーキ同然の速度で突っ込んできた有須のバイクが、曲がりきれずに大きく外側へと膨らんだ。傾いた車体が水たまりの油膜に足をすくわれ、激しくスリップを起こす。


「――えっ!?」

「うわあああっ!?」


 ズガアァァンッ!!

 滑走したバイクのタイヤが、道路脇の縁石に猛スピードで激突した。

 跳ね上がった車体から後部座席の莉乃が悲鳴とともに振り落とされ、濡れたアスファルトの上を派手に転がっていく。


 そして――。

 急停止した鉄塊からカタパルトのように弾き飛ばされた有須の身体が、塀の陰に隠れようとしていた私の真正面へと、砲弾みたいに飛んできたのだ。


(あ――危な――ッ)


 頭の中で警報が鳴り響く。なのに、足が動かない。

 スローモーションのように引き伸ばされたコンマ数秒の世界で、飛んでくる有須とバチリと目が合った。


 ドガッ!!


 有須の全体重と凄まじい慣性を乗せた衝撃が私を押し飛ばし、背後の分厚いコンクリート塀へと私の身体を激しく叩きつけた。


「かはっ……!?」


 グシャッ、と体内で肋骨が砕ける鈍い音がした。

 肩から落ちたスクールバッグが水たまりに跳ね、アノマロカリスのストラップが泥にまみれてちぎれ飛ぶ。肺の中の空気がすべて絞り出され、視界が真っ赤に明滅した。

 直後、滑走してきたバイクの車体がすぐ脇の電柱にドガシャアッ! と激突し、ひしゃげた燃料タンクから鼻をつくガソリンの匂いが一気に広がった。


「……ッツ、痛ってぇなクソが……!」


 数秒の沈黙のあと。

 私の上から退いた有須が、よろめきながらも自分の足で立ち上がった。私をクッションにしたおかげで、あいつは奇跡的に致命傷を免れていたのだ。


「げほっ、ごほっ……あ、ありす……?」


 口から溢れる血を止められず、私は冷たい地面へズルズルと崩れ落ちる。

 少し離れた場所では、擦り傷を作った莉乃が「いっつぅ……最悪、服破れたんだけど!」と泣き言を言い、遅れて追いついてきた佐久間と景山が「おい翔、ヤベえってこれ!」と青ざめて原付を止めている。


 だが、有須は血を吐く私を気遣うどころか、自分の擦りむいた腕と、電柱にめり込んで煙を上げる自慢のバイクを見るなり、顔をドス赤く染めて激昂した。


「おい種田ァ!! てめえ、なんでそんな邪魔なトコに突っ立ってんだよ!!」


 ズカズカと歩み寄ってきた有須が、倒れ込む私の胸倉を乱暴に鷲掴みにし、強引に引きずり起こした。折れた胸の骨がギシッと軋み、激痛に息が詰まる。


「あ……が……ッ」

「お前が急に飛び出してきたせいで、俺の単車がオシャカじゃねえか!! おい聞いてんのか! 警察とか学校にチクったらマジでタダじゃおかねえぞ!『自分がよそ見して飛び出しました』って言えよ! そもそも俺みたいな選ばれた人間が、お前ごときのせいで――」


 有須が私の襟首をギリギリと締め上げ、顔面に唾を飛ばして怒鳴り散らしていた、まさにその時だった。


『あ、このイケメンくんいい感じ〜♡ 勇者様として回収しちゃおっと、ポチッ♡』


 はるか頭上、分厚い雨雲の向こう側から、そんな呑気な声が響いた気がした。


 ピシャアアアアアアッ!!


 前触れもなく落ちてきたのは、極太の『黄金色の落雷』だった。


「――あ?」


 間抜けな声を漏らした有須の脳天を、黄金の雷が直撃する。

 バチバチッと弾けた電撃の火花が、路面に流れ出ていたガソリンへと一瞬で引火した。


 ドゴォォォォォンッ!!


 鼓膜も視界も吹き飛ばす、紅蓮の大爆発。

 爆風で身体が吹き飛ばされるよりも早く、私の胸倉を掴んでいた有須の手から、空間ごと魂を無理やり引き剥がすような『異常な引力』が流れ込んでくる。


(は……!? なにこれ……!? こいつと道連れとか、マジで意味わかんないんですけど……ッ!!)


 目の前で黒焦げになり、白目を剥いて痙攣している有須。なのに、私の制服を握り締めるあいつの指先だけが、死後硬直みたいに固くロックされて離れない。

 赤黒い炎の向こうで、私の意識がズルズルと肉体から引き抜かれていく。


(お父さん……お母さん……!)


 暗転していく視界の底に浮かぶのは、湯気の立つ温かい食卓。

 ただいまも言えなくてごめんなさい。今夜のチーズ乗せハンバーグ、どうしても食べたかった。お父さんに買ってもらった顕微鏡、もっと覗きたかった。


(創先輩……明日のメロンパンの約束、守れないかも……)


 悔しい。苦しい。理不尽すぎる。

 私の魂が有須ごと白い光の渦へと引きずり込まれ、意識が完全に途絶える最後の刹那――炎の向こうから、白衣の裾を翻して私の名前を叫びながら走ってくる『誰か』の姿が、かすかに見えた気がした。


(――ふざけんな。……絶対に、絶対許さないからッ!!)

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