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あの用務員が「いつでも遊びにおいでよ」と言っていた言葉を信じて、学校に向かった。
あいかわらず、品行のあまり芳しくない生徒たちの嬌声が響き渡っている。建物も古びたままだ。でも何となく生徒たちの生気は少々失せてきているような気がする。しかし、用務員は前と変わった様子らなかった。
「こんにちは。」
用務員室でお茶を飲みながら生徒たちと雑談していた。
「ほら、授業が始まるぞ、早く行け。」
用務員は生徒たちを追い払うと、私を部屋に招きいれた。
「日中のんびりとやってくるなんて、いいご身分になったね。」
「いえいえ、用務員さんも今日は余裕たっぷりで。新しい作業員がはいったんですか。」
「いや、こないね。あんたの後に新人なんてよこしてくれないよ。」
「それじゃ、たいへんなんじゃないですか。」
「まあ、掃除は子供たちにやらせることにしたからね。ガキどもはこき使わないとつけあがるばっかりだからね。」
と外に目をやった。すると箒を振り回している女子生徒が2人、まるでチャンバラだ。
「こら、まじめにやれ。」
用務員が大声を張り上げると、生徒たちはあわてて掃除を始めた。
「教師がいいかげんだから、あたしが尻をたたかないとサボってばかりいる。ほんとに大変だよ。で、何か急用でもあるのかい。」
「急用というわけではないのですが、ここで仕事をしていたとき住んでいた宿舎に行ってみたいのですけど、場所がわからなくなってしまって。朝、学校まで通うのにあまり時間もかからなかったので、この近所かと思って来てみたんです。」
「ああ、そうかい。あの宿舎ね。昔はそこらから見えたような気もするんだが、何かわかりににくくなったよね。」
知らないといわれるんじゃないかと思ったが、知っているようなのでほっとした。
「最近この周りに建物が建ったのですか。」
「いや、そうでもない。何故かわかりにくくなったんだ。道が複雑になったというか、他の宿舎も建ったような気がする。」
「場所はわかりますか?」
「いや、説明しろと言われても自信ないな。ああ、そうだ。あの宿舎の裏は森だったはず。そうだよね。」
「裏は森でした。」
「で、あの森の入口の杉の木はやけに高くてね、どこからでも見えたはずなんだ。それを目標にしたら行けると思うけど。」
「町からも見えるんですか?」
「町の中心部からは無理だな。ここの屋上に上がってみようか。そこなら見えるはず。ほらおいで。」
用務員は廊下に出て、階段を上がった。4階まで行くと片隅の倉庫のような場所の奥に鉄製の急な階段があり、そこを上っていくようだ。
「こら、そこは生徒は立入禁止だろ、何やってる。」
突然叫んだ。
「まずい、あのババアが来やがった。」
あわてて階段の裏から3人の女生徒が飛び出してきて、慌てふためいて廊下を走って去っていった。階段まで行くと、強い刺激臭がした。
「あいつらは札付きのワルでね。しょっちゅうこういうところでシンナー吸ってラリッテルんだ。」
階段下にビニール袋が放置されていた。
「今日は、まだ吸う前だな。」
「こんなこと、日常茶飯事なんですか。」
「ああ、まあこの程度の学校だからね。」
階段を上って屋上に出た。空き缶、ペットボトルが散乱し、吸い殻だらけだ。
「ここも、生徒に掃除させるんですか。」
「当たり前だ。でも見張り役がいないんで、だめだ。かえって汚れていく。」
空き缶をけっとばさないようにして南のはずれにいった。用務員は金網越しに眺めていたが、
「ほら、あれだ。」
指差す方向を見ると、遥かかなたにこんもりとした森があり、その中心付近にひときわ目立つ高い杉の木があった。その森はさほど大きくはなく、私がこの世界に来るときに通ってきた鬱蒼とした果てしなく続く森というような森ではなかった。
「結構、遠いんですね。5kmぐらいありそう。」
「あるかもしれないね。でもあんた、よくあんな遠くから歩いて来たね。」
「でも、そんなに歩いた記憶がないのですけど。」
「確かに、もっと近くだったような気もする。さあ、わかったでしょ。下りようか。」
再び、ゴミだらけの屋上を通り抜け、シンナーの刺激臭が立ち込める階段をおりた。
「今日、これから行くってのはたいへんだよ。行くのは別の日にしなよ。まあ、今日はちょっと寄って付き合っていきなさいよ。」
用務員は私を用務員室に招き入れた。
「今日、いい酒の肴が手に入ってね。」
戸棚から紙包と一升瓶を取り出した。何やら燻製のようだった。
結局その日は、夜更けまで用務員に付き合い、帰ったのは夜遅くだった。
宿舎に行ってみようとしたが、何となくその気にならず日が経ってしまった。
その気になったのはむしろあの「仕事」だった。あの仕事をするのは、お金のためか、それとも男に抱かれたくなったのか、はたまたあの本部の美少女に会いたくなったのか。一番の理由はよくわからないが、どれも理由の一部にはなった。仕事の直後は男の脂ぎった匂いが体じゅうにしみついて、二度と男なんかに抱かれるものか、という感じだったが、数週間もたつと、それが逆にいきり立った男のモノが夢に出てきたり、体を貫かれてる感覚が蘇って秘部が濡れてきたりするようになった。徐々に女性化しているということかもしれない。
漸く宿舎に行ってみる気になって、まずは学校まで歩いた行った。そこから、とりあえず森のあった方角を目指してひたすら歩いた。その方角に向かって1直線に伸びている道があり、迷うはずはないのだが、1時間歩いても森は見えてこない。古い民家や商店とアパートと町工場とガラクタの散乱している空地が混在する下町が延々と続き、その道に沿ってひたすら歩いた。でも景色は全く変わらない。
土管やドラム缶を積んだまま放置してある空地があり、そのうえに上って探してみることにした。高さ5mぐらいになろうか。タイトスカートにパンプスというスタイルでそんなところに上るのは少々きつかったが、てっぺんに上り見ると、こんもりとした森はすぐそこに見えた。しかし、その手前にはバラックや倉庫が並んでいて簡単には行きつきそうもなかった。再び森の方向に向かった。森が見えなくなると、ちょっとした立木に上ったり、バラックの屋根に上らせてもらったりして、方向を確認しながら、それでも行きつ戻りつし。森の手前に到着したのは学校を出て3時間も経っていた。
宿舎は森の向こう側だった。ぐるりと回りこんで宿舎の玄関に出ると、建物はかなり荒れていて、居住棟の半分のガラスは割れ、窓枠は錆びつき、建物の廻りは瓦礫に埋もれていた。
かろうじて元のままの姿を残している玄関を入ったが、人気がない。入口に座り込んでいたあの管理人もいない。恐る恐る中に入ったが、あの老婆たちもまったくみあたらなかった。そして自分のいた部屋を覗いた。誰もいなかった。が、何となく人の住んでいる気配があった。
暫くすると、玄関から足音が聞こえた。
「あれまあ、あの時の新入りさんじゃないか。こりゃ珍しい。」
厚化粧だった。
「こんにちは、ご無沙汰してます。」
「あれあれ、立派になって、きれいになって、若くて美人でいいねえ。」
「仕事に行くようになったんですか。」
厚化粧は、白いブラウスに濃紺のサージのプリーツスカート姿だった。ブラウスは黄ばんでいたが、スカートのプリーツは気持ちがいいくらい一直線にそろっていた。
「まあね、先立つものはいるからね。部屋に入りなよ。」
私が暫くの間暮らしていた部屋に入ると、厚化粧はブラウスを脱ぎ捨て、上半身はタンクトップ1枚になった。ブラジャーはしていないようで美しいバストと乳首はすっかり形を見せていた。
床にスカートのまま胡坐をかいた厚化粧はベッドに下から一升瓶と裂きイカやら柿の種を持ち出した。
「まあ、久しぶりなんだから付き合いなさいよ。」
私は、さすがにタイトスカートで胡坐をかくわけにはいかないので、ベッドに腰掛けて酒盛りにつきあった。
厚化粧は、背景ではなかったようだ。あの老婆や浅黒い娘は背景だったのかもしれない。最近、男に抱かれるたびに体は女らしく、背景は背景らしくなっていった。あの相部屋の人たちもその他の背景と一緒に背景らしく生気を失って、結局消えてしまったのか。
彼女は、やっぱりジャンパースカートクラスよりも底辺にいるらしく、リーダーの消息、城郭の場所、なんでこんなに人気が無くなってしまったのか、そういうことは全く知らなかった。でも彼女の手を触れても、体を触ってもだいじょうぶだ。酔った勢いで、厚化粧は私のショーツの中まで手をいれてきた。
「股間にくっついてたあの腫物は取れたんだね、よかった、よかった。」
相部屋の居住者がいなくなったということで、空いているベッドで夜を明かすことになった。
朝、目を覚ますと窓から仕事に行くらしい女たちが見えた。当時よりかなり人数は減ったが、プリーツスカート姿だった。この人たちはどうも背景ではないらしい。
突然、その中に異様な恰好の女が現れた。フリルで縁取られたたっぷりフレア入った膝丈のスカートにレースのヒラヒラのブラウス、ピンクハウスだ。
ちょうど目を覚ました厚化粧は、私がピンクハウスに目を向けているのに気づき、
「へんなやつだね。あんなヒラヒラした服を着ているうえに、猿みたいに足に毛が生えているんだよ。」
「あの子はずっとここにいるんですか。」
「いや、来たのは1週間ぐらい前さ。毎日あの恰好でどこかに仕事に行って、夕方にはかえってくる。今日もたぶんそうだろう。」
ピンクハウスは私に気付かず、出かけていった。
「じゃあ、私は仕事に行ってくるからね。何時まででもゆっくりしてっていいよ。今晩もここに泊まってもいいし。」
厚化粧は仕事に行った。
私は、二日酔いの状態でまた3~4時間かけて帰るのが億劫になり、暫く休ませてもらうことにした。着替えもないので、スーツを脱ぎ捨て全裸になり(ここでは全裸はめずらしくない)下着とブラウスを洗濯し外に干させてもらうと、全裸のまま再びベッドで寝込んだ。
目が覚めるともう午後らしい。あわてて、干してあった下着とブラウスを回収すると身に着けた。いつものようにスーツ姿になったところで、ぽつぽつ女たちが仕事から戻って来る。私と話をしたそうだったピンクハウスと情報交換するにはいい機会だろう。長身の娘と最初の情報交換もここだ。
ろくな化粧もせず男丸出しのピンクハウスと対面するには、私は先住者として、女らしさをきちんと見せなくてはならないと思った。他の服は持ってきていいないので、しょうがない。厚化粧から明るいルージュとマスカラを借り丹念に化粧をした。イヤリングとネックレスも借りた。髪もシュシュで纏めようとしたが、ちょっとたりない。なんとなく見栄の張り方が女っぽくなってきた自分にちょっと不思議な気がした。
玄関脇に立っていると、遠くからピンクハウスが歩いてくるのが見えた。下を向き、おどおどした態度だ。玄関に近づくと恐る恐る廻りを見渡し、私に気付くとびっくりした表情をした。
「あなた、お仕事の帰り? ここに暮らしていたのね?」
私は声をかけた。
「あ、こんにちは。どうして、ここに。」
「ここに、お友達がいるので昨日からきてたの。そうしたら、今朝あなたを見掛けて、私と話したがっているのを思いだして、待ってたのよ。」
「わざわざ、すみません。」
「もしよければちょっと話をする?」
「はい。でもここでは目立つし・・・」
「じゃあ、裏の森に行きましょう。」
長身の娘が私を導いたように、裏の森の川原にピンクハウスを連れていった。二人並んで座れる大きな岩に腰かけた。彼女の花柄で三段のフリルのついたスカートは、よく見ると染みだらけで埃にまみれていた。レースで縁取られたブラウスも垢で汚れていた。
「ここは、目につきにくい場所だから大丈夫。あなた、いつこの世界にきたの?」
「2週間ぐらい前だと・・・」
「延々と続く森の中を歩いて? 」
「何日も歩いたみたいで、もう前に進めなくなって倒れたら意識を失って。それから誰かに蹴飛ばされてこの世界に連れ込まれたんです。でも歩いたのは森じゃない、砂漠でした。いつの間にか町から農村、そして何もなくなったら一面に広がる砂漠、方向もわからなくなって・・・」
「やっぱりちょっと違うのね。でも、あなたそんな恰好をしているけど本当は男でしょ。悪いけどちょっと触らせてね。」
胸を触った。ブラジャーはしていたがパットは入っていない。全く平らだった。スカートの中に手を入れショーツの中を探った。何もなかった。竿ばかりでなく玉もなかった。
「突然、ごめんなさいね。ひょっとしたらリーダーに切り落とされたの?」
「そう、古い屋敷みたいなところに連れ込まれて、お前みたい醜いモノを着けている人間はここに入ることはできない、って言われていきなり。」
「やっぱり、服はどうしたの?」
「町に連れてこられるときにリーダーから着ろと言われてわたされて。」
「戻りたい?」
「戻るなんて無理、結婚しているんです。妻も子供もいて、こんな股間になったら戻れない。」
「でも、こんな恰好をするのが好きだったんじゃないの?」
「ええ、まあ・・・」
「私も同じ。向こうの世界では男でいるのがいやで、たまにこっそり女装をして。でも、そういうロリータ風の服は私の趣味じゃなかったけど。」
「あなたも男だったのですか。」
「あそこを切り取られたのも似たようなもの。でもそれからどんどん女性化して、今ではこのとおり。胸も出てきたし、股間も男と交わることができるようになったし、気持ちまで女になってきてしまっている。」
「自分は、そこまで望んでないし、せいぜいこっそりとこんな服を着てみたりして。」
「私も最初はこの宿舎に住んでいた。そのとき、私より前からここにいるという女性にあったの。はっきりとお互いの意思のやりとりができる人だった。直接肌に触れ合うこともできた。それに、その人も元の世界では男だったと言っていた。彼女がそのように女装好きの男だったのかどうかはわからない。でも、色々話し合った結果、この世界は妄想の世界じゃないかと。」
「女の恰好をしていたい、という妄想の世界が現実化したということ?」
「そうじゃないかと思う。」
「似た趣味の人が集まっているっていうこと?」
「そこは確かなことはわからない。」
「廻りの人たちはみんな元男だっていうこと?」
「それは違う。絶対に違う。」
「じゃあ、あの廻りの女の人たちは普通の女の人?」
この世界ではまだ新入りのピンクハウスに、私の考えたことを全て言っていいのか悩んだ。長身の娘と会えなくなってしまったのも、まわりの女たちは単なる背景だなんて知りすぎたせいではないのか。そうするとせいぜいこの範囲の情報交換が限度ではないのか。
「私にとって、前に知り合った人と同じように意思疎通もできて、お互いに触れ合える人は、あなたが二人目。いや、正確にいうとリーダーを除き二人目。だから、ニューハーフとか性転換した人たちが大勢ここにいるわけじゃない。」
「ここが妄想の世界だから?」
「たぶん。元の世界のニューハーフの人たちは堂々と女の恰好をして生活している。GIDという人たちも、堂々と性転換手術をし自分の望む性別に変えて暮らしている。この人たちに、女になりたいなどという妄想はない。現実になってしまっているでしょ。」
「自分たちは、現実に女になれなくて妄想している。だからここに?」
「そうだと思う。私たちは自分の性癖が特殊で、世間に公にしたら非難されたり嫌われたりするんじゃないかと思って、ひたすら隠している、だから妄想になってしまう。そうじゃない?」
「確かにそう。LGBTの人たちのように堂々と自分をオープンにしている人がうらやましい。」
「うらやましいと感じるかもしれないけど、無責任じゃないの、と思うこともある。あなたのように家族がいたら、突然「自分は本当は女だと思っている。だから性転換します、」なんて言える?」
「絶対無理、そもそも結婚して家族持つ決断をした責任があるし・・・」
「そう、自分だけじゃない、ほかの人もまきこんで人生を大きく狂わせてしまうことになる。それでも自分は女のはずだったからなんて主張を繰り返すのは独りよがり。」
「だから、妄想するしかなくなってしまう。」
「そう、だから私たちは妄想の世界に入り込んでしまって、その妄想が現実化した世界で生きている。」
「じゃあ、元の世界は、家族はいったいどうなってるの・・・」
預金通帳を思い出した。あの通帳は元の世界にいたときと全く同じように入金があり、引落があって、適度に引き出され使われている。同じ銀行口座を両方の世界で共有しているようだ。しかし、向こうの世界ではこちらで使ったお金がどのようなに通帳に記帳されているのかわからないし、こちらで使っているお金が向こうでどのように認識されているのかもわからない。そもそも、向こうの世界に私がまだいるなんて・・・
彼女に言ったことも、まだほとんど私の想像でしかない。これ以上想像ばかり言うのはまずいかもしれない。
「なんか、物音がする。」
突然、彼女が言った。
私は宿舎のほうを振り返ったが、何も音のするようなものはなかった。
「そろそろ、戻りましょう。こんなところを見られたら何が起こるかわからなから。先に宿舎に帰っていて、私は後から行くから。」
「どうも、ありがとう。また話を聞かせてください。」




