第9話
「へへ、何だ。迷宮なんて結構楽勝じゃんか」
リーダーの後藤は五度目の戦闘を終えた後、薄ら笑いを浮かべてそう言った。
奥多摩迷宮第一層の小部屋。後藤の足元にはバラバラになった大蜘蛛の死骸が二つ分転がっている。
「だよね~。受付のオジサンは準備が足りないとか散々脅してたけど全然そんなことないじゃん」
「ああいうのって頭の悪いゴロツキを基準にしてるんじゃないか? 普通のことが普通にできない奴って結構多いって聞くしさ」
「……ありそうだな」
メンバーが口々に後藤の言葉に同意する。
後藤たちは今日初めて迷宮に潜った新人パーティーだ。メンバーは五人。全員が20代の若い男女でシーカー特有の粗っぽさが感じられない。
「ま、まだ第一層だし、油断するのは良くないと思います、よ……?」
おずおずと口を挟んだのはウィザードの時雨楓だ。黒髪をポニーテールにしたスタイルの良い長身女性だが、猫背と陰気そうな表情が色々と台無しにしていた。
いい気分に水を差されたメンバーたちは一瞬ムッとした顔をするも、楓の言うことももっともだと思い「まぁ、そうだよな……」と曖昧な反応を返す。五人の間に他の者の顔色を窺うような空気が流れた。
こうしてパーティーを組んで迷宮に挑んでいる後藤たちだが、実際に顔を合わせるのは今日でまだ四回目。お互いの為人を探っている段階だった。
元々彼らは数年前からオンラインゲームを通じて交流のあった者たち。知り合った当初は学生だったが、今では全員が社会人となっている。そんな彼らがシーカーとなったのは仲間内での仕事に関する愚痴が切っ掛けだ。「仕事がしんどい」「辞めたい」「転職したい」と口癖のように音声チャットで愚痴が飛び交う中、一人が不意に言った。いっそシーカーにでもなってみないか、と。
それはただの冗談のつもりだった。言った本人もシーカーが危険な仕事だということは当然理解していた。ただ普通に転職すると言っても簡単ではないし、転職した先が今よりマシな環境だという保証はどこにもない。それならいっそ独立した方が良いのではないか、と彼らは考えてしまった。そしてシーカーは資格なしに誰でもなることができ、同時に一攫千金が望めるほとんど唯一と言ってよい職種だった。
『……試しにやってみるか』
後藤が言った。そして四人がその話に乗った。
五人はゴールデンウィークに顔を合わせて奥多摩迷宮を訪れた。そしてそこで子供がシーカーとして活動している姿を見て、あんな子供ができるならとその場でシーカーとしての登録を済ませてしまった。
受付を担当した自衛官は迷宮に潜る前に講習を受けるよう勧めたが社会人である彼らはそれを無視した。平日は仕事だし休日は疲れて家から出る気力も湧かない。ゴールデンウィーク後半の今だからこそこうしてここまで来れたのだ。今迷宮に潜らなければ二度とチャンスはないかもしれない。
勢いのまま迷宮に突入した後藤たちだったが、彼らの探索は思いのほか順調に進んだ。特に示し合わせた訳でもないのに五人のクラス構成は迷宮探索にベターなものとなっており、遭遇する魔物も一度に二、三体まで。不意打ちや罠にかかることもなく、小一時間ほどで第一層の最奥まで踏破してしまった。
勿論全てが順調だったわけではない。
「それにしても宝箱ってのが全然見つからねぇな。五回戦って一度もドロップしないとか普通なのか?」
後藤が言った。シーカーの主な収入源は迷宮の宝箱から得るドロップ品の売却益。魔物を倒しただけでは一銭の稼ぎにもならない。
「やっぱ一層だからじゃね? もう少し先に行かないとドロップ率が低いとかあんだろ」
『…………』
ローグの佐々木が言った。根拠のない言葉だが他のメンバーも否定する根拠を持ち合わせておらず、彼らの視線が自然と第二層へと続く階段へと向く。暫しの沈黙の後、他のメンバーの反応を窺うように後藤が言った。
「……行ってみるか?」
『…………』
「ヤバそうだったらすぐ引き返す。だけどこのまま成果なしじゃ皆もやってられないだろ?」
互いに顔を見合わせ、メンバーはポツリポツリと口を開いた。
「まぁ、この装備を買うのも結構な金がかかってるし、このまま帰ったんじゃ疲れただけで赤字だもんなぁ」
「二層の魔物は一層とそんなに変わらないらしいし、本格的に魔物が強くなるのは四層からって聞いたからいけるんじゃない?」
『…………』
反対意見は出なかった。
そうして彼らは二層へと下りていく。その判断を後悔するまでさしたる時間はかからなかった。
階段を下りて直ぐ、彼らは魔物より先に宝箱を発見した。初めての成果物に一同は目を輝かせ、ローグの佐々木がその解錠に挑み──そして喰われた。
「ぐわぁっ!!」
「佐々木っ!?」
宝箱はミミックだった。後藤たちは佐々木を助けようと駆け寄るが、その判断がまた失敗だった。
──ジュワ……ッ!
「ぎゃっ!?」
天井から降ってきたスライムに後藤の身体が包まれ、触れた皮膚があっという間に焼け爛れた。
「たす──むぐっ!??」
後藤は助けを求めるがメンバーはスライムへの対処法を把握しておらず、またそれどころではなかった。
──ガサガサガサッ!!
「ひっ!」
部屋のあちこちから大蜘蛛やサソリといった虫系の魔物が一斉に湧き出てきた。一体一体のサイズは大したことはないが、その数にメンバーは顔を引き攣らせる。
「うわぁぁぁっ!」
「ま、待って……!」
最初に前衛の男が逃げ出し、弓を持った女も慌てて後を追った。しかしその動きに反応し、虫たちが一斉に二人に群がった。
「ぎゃぁぁぁぁっ!!」
一人残された楓は「ひっ」と短く悲鳴を上げてヨタヨタと逃げ出す。彼女にも虫が群がってはきたが、結果的に他のメンバーが囮となっていたお陰でその数は少なかった。
何とか虫を払い第一層へと続く階段を這う這うの体で這い上がる。そして一層へと辿り着き安堵の息を吐いたタイミングで、楓はガクンと視界が揺れその場に膝をついた。
「──!?」
遅れて右足の痛みに気づいて視線を向ける。ふくらはぎに何かに刺されたような傷があり、そこから足がどす黒く変色していた。
──毒……!?
楓は解毒手段など持ち合わせていないし、視界がぐるぐる回ってこれ以上動けない。
「あ…………」
恐怖と絶望と後悔の中で彼女の意識はゆっくりと闇に落ちていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「全然言うこと聞かねぇじゃん」
「あは、あはは……」
地面に腰を下ろし身体に纏わりつくカエルの血肉をタオルで拭いながら円は半眼で文句を言った。和はそんな兄から目を逸らしてから笑いを浮かべる。
5月5日。二人にとって二度目の迷宮探索。奥多摩ダンジョン第一層で今日三回目の戦闘を潜り抜けた直後。周囲には倒したばかりのクロウラーやジャイアントフロッグの死体が散乱していた。これらは全て『待て』という円の指示を無視してタマが倒したものだ。
「『タマちゃんは素直だから大丈夫』っていうのは何だったんだ?」
「あ、お兄ちゃん、腕ケガしてるよ~」
和は円の腕をとり、浅く裂けた傷口をペットボトルの水で洗う。あからさまな誤魔化しに円は深々と溜め息を吐いた。
昨日、迷宮の入口でタマをコントロールできるか試した際、和は自由にタマと入れ替わることができた。肉体の主導権は和にあり、望めばいつでも和が肉体を取り戻すことができただけでなく、和の意識を保ったままタマの膂力だけを引き出すこともできた。流石にタマのように暴れ回ることはできないが、病弱な和の体力が補われた意味は大きい。そう思った。
その上で円としてはあくまで探索や戦闘は自分主導で行い、タマは和の身を守るための切り札とするつもりだった。しかし今日の探索では敵を見つける度にタマが暴れ回り、円はそのフォローに回っている。戦力的にはタマを前面に出した方が効率的とは理解しているが、大切な妹の身体を危険に晒している現状に円は憮然としていた。
「『白き癒しの御手よ 大いなる母なる息吹よ 彼の者の傷を癒せ──【傷治癒】』」
和の掌に淡い光が宿り、触れた円の裂傷を癒す。迷宮に潜り魔物との戦闘を経験したことで和は適応が進み、ヒーラーとして簡単な癒しの呪文を習得していた。ちなみに呪文詠唱は本人曰く「頭の中に自然に浮かんできた」とのこと。どうやら和はヒーラーの中でも癒しに特化したクレリックのクラスに分類されるらしい。
「…………」
円は傷痕も残らず完治した腕を見つめる。そして思い出したようにバックパックから先端に透明な石のついた警棒のような装置を取り出し、自分と和に順に向けた。
──ポゥ……
藤沢医師に借りたこのクラス判定用の装置は、先端を円に向けるとやや紫がかった青色に、和に向けると鮮やかな緑色に光った。これは色で大まかなクラスを判定するもので、青はローグ系統、緑はヒーラー系統、そして紫はメイジ系統の適性を示していた。なおファイター系統は暖色と色の幅が広く、アタッカー寄りだと赤色、タンク寄りだと黄色が濃くなる。
円は装置を和に向けたまま指示を出した。
「和、一瞬タマに代わって」
「うん」
すると和の雰囲気が一変し、装置の先端が鮮やかな赤色に変化した。
「次、タマの力を借りたまま和に戻って」
また和の雰囲気が変化し、今度は装置の先端が赤と緑がまだらに光った。本来、光は赤色と緑色が混ざると黄色になる筈なのだが、光は混ざることなく分かれていた。
これを見ると和本来のクラスはヒーラーだが、タマに主導権が移るとアタッカー寄りのファイターにクラスが変化している。これは和が一人で二つの役割を切り替えて動けるだけでなく、それをキチンと自分の意思でコントロールできているということを意味していた。
「……つまり、俺の指示を無視したのはタマじゃなくて和の方だってことだな」
「アハハ……」
円の指摘に和が乾いた笑みをこぼす。和はタマをきちんと制御できている。にも関わらずタマが円の指示を無視して暴れ回るというのは、和がタマの暴走を容認しているということに他ならない。妹の裏切りに円は天井を仰いで深々と溜め息を吐いた。
「はぁ……」
「……お兄ちゃん、怒ってる?」
「怒らいでか」
円は即答した。自分は妹を守るためにこの迷宮に挑んでいるのに、なぜその妹に危険な前衛を任せなくてはならないのか。これは兄としての沽券に関わる問題だった。
「…………」
だが不安そうに自分を見つめる妹が兄一人に危険を押し付けることを良しとする人間でないことは痛いほど理解していた。円がいくら言っても和がそれを止めることはないだろう。
円は無言で立ち上がる。
「……お兄ちゃん?」
「今日はもう帰るぞ」
円は短く言った。兄が怒っていると思った和の顔が泣きそうに歪む。円は続けた。
「タマが積極的に前に出るなら武器だけじゃなくて防具もどうにかしないと駄目だろ。装備を整えて出直しだ」
「! うん!」
和が顔を輝かせた。
それを見て円は不服そうに嘆息する。円は怒っていた。妹に危険な役割を任せなくてはならない自分の非力さに。だがそうすることが結果的に妹の安全に繋がることは理解していたし、自分の意地を優先してそれを無視するほど独善的でもなかった。
「?」
撤収しようとしたタイミングで円の鼻がすえた臭いを捉える。兄の表情の変化に気づいて和が尋ねた。
「お兄ちゃん、どうかした?」
「いや……あっちから嫌な臭いがして……」
円が指さした方向は二層へと続く階段がある方だった。
「魔物?」
「どうだろ……」
どこかで嗅いだことのある臭いではあったが円はそれが何なのか思い出せなかった。だがもしこれが魔物なら撤収中に背後から襲われたり挟み撃ちにされることを避けるためにも叩いておいた方がいい。二人は顔を見合わせ臭いの元を確認することにした。
臭いは二層へと続く階段の近くの岩陰から漂っていた。
「これか」
「うわぁ……」
臭いの原因を確認して、和の喉から思わず呻き声が漏れた。
それは女の死体だった。大きな傷などは見当たらず腐敗もしていない。ただ全身の皮膚が紫色に変色していた。恐らくは毒にでもやられたのだろう。ついでに下半身の辺りが茶色に染まっており、臭いの元はこれだった。死の恐怖か苦痛で最後に漏らしてしまったに違いあるまい。
「…………はぁ」
「どうするの?」
「持って帰る。蘇生できるかどうかは分からんけど、遺体の回収はシーカーの義務だし、一応礼金も貰える筈だからな」
円はバックパックの中から念のためにと持ってきていた死体袋を取り出し、出来るだけ遺体に手が触れないよう注意しながらそれを回収した。
【Tips】迷宮内で死んだ者は蘇生を試みることができる。ただし死体が十全に残っていることが前提であり、例え万全の状態であっても成功するとは限らない。




