第7話
翌5月3日。その日、円と和は和が普段入院している市立病院を訪れていた。
迷宮探索を経て何か身体に問題が起きていないかを確認する為、和は朝から様々な検査を受け、円もそれに付き添った。ついでにと何故か円までいくつか検査を受けるはめになったが何がついでなのか説明は全くなかった。
「悪くない」
一通りの検査を終え、主治医である藤沢蓮美は診察室で和の検査結果を見てそう言った。
藤沢は30代前半のまだ若い女性の医者だ。ショートカットの髪に黒縁フレームの眼鏡をかけた怜悧な美貌の持ち主で、どこかマッドサイエンティストめいた雰囲気を漂わせている。和は藤沢にとても懐いていたが、円は彼女が苦手だった。
「悪くないってことは、病気が良くなってるってことですか?」
円は期待を込めて訊ねた。彼らがシーカーとなり迷宮に潜ったのは和の身体を迷宮に適応させることでその身体機能を高め、病を克服するためだ。それが実際に上手く行くという保証はなかったが、藤沢の口から前向きな言葉が出たことで円は思わず前のめりになる。
「そうじゃない」
だが藤沢の答えは素っ気なかった。目に見えて消沈する円に藤沢は微かに苦笑して続けた。
「一々落ち込むな。病気そのものが良くなっているわけじゃないが、今言った通り状況は悪くない。少しは和を見習ってどっしりと構えろ」
藤沢の言葉通り和は一喜一憂することなく落ち着いていた。言葉に詰まる円に代わって藤沢に言い返したのはとうの和本人だった。
「先生、それは仕方ないですよ。だってお兄ちゃん私のこと大好きなんですから」
「!?」
ニコニコ笑ってそんなことを言う和に円が目を丸くする。藤沢は和の言葉にニヤリと笑って乗っかった。
「それもそうだな。大好きな妹のことでシスコンお兄ちゃんが一喜一憂するのは仕方がない、か。いや、詮無いことを言った」
「そうですよ~」
「ははは」
「うふふ」
「…………」
揶揄われていることは分かっていたが、円は否定も言い返すこともせず、赤らんだ顔を押さえて俯いた。否定すれば和に『お兄ちゃん、私のこと好きじゃないの?』と泣き真似されるのは分かっていたし、言い返せば藤沢に何倍にもやり込められるのが目に見えていた。
円を一頻り揶揄った後、藤沢は笑いを収めて言った。
「くくっ、あまりお兄ちゃんを不安にさせるのも気の毒だから詳しく説明してやるとしようか。結論から言えば迷宮に適応することで病気を克服するという目的そのものは一定の効果が出ている。ただその事実と病そのものが寛解に向かっているかは別の話だ」
『?』
双子は藤沢の言葉に顔を見合わせた。藤沢は説明を続ける。
「そもそも和の病気は全身の細胞が徐々に弱って、最後は生命活動そのものに支障をきたしてしまうというものだ。当初これはミトコンドリアなどが関連したエネルギー障害だと思われていたが、細胞そのものに異常は見られず原因は特定できていない。この病の発生時期が約30年前であることから竜の出現と何らかの関連があるのではという推察もされているが、具体的にそれを裏付けるような研究は何も──と、脱線したな」
そこまで言って藤沢は悪い癖が出たと自嘲する。そして円が気にしているだろう要点を口にした。
「つまり今の和は病気によるマイナスの影響はそのままに、適応による体力増強でそれを打ち消している状態ということさ。根本的な原因解決とはなっていないが、少なくとも和の体調に余裕ができていることは間違いない。悪くないとはそういう意味だよ」
『…………』
藤沢の説明に双子は再度顔を見合わせその意味するところを頭の中で咀嚼する。口を開いたのは円だった。
「……結局、適応によって病気そのものを治すことは難しい、ということですか?」
「結論を急ぐな、馬鹿者」
不安そうな円の言葉を、藤沢は呆れた顔で一蹴する。
「たった一日迷宮で活動しただけで結論が出るなら誰も苦労せん。免疫力や治癒力向上の効果など一日や二日で分かるものではないんだ。そもそも効果があるのかないのか、あったとして病に有効な水準に達するまでどの程度の適応が必要なのか、目に見えた効果がでるまでどれぐらいの期間がかかるのか、結論が分かるのはまだまだ先の話だ」
「…………」
確かにその通りだ、と円は自分が焦り過ぎていたことを認めた。
たった一度迷宮で活動した程度で結果が分かるならとっくに他の誰かが迷宮での適応を治療法として確立している。最初から簡単な話ではないと理解した上で迷宮に挑んでいた筈なのに、短絡的に成果を求め過ぎていた。
円の反応を見て藤沢は続けた。
「もう少し適応を続けていけば病気そのものにも何か変化が見られるかもしれん。今のところ和の身体に問題は無いから、当初の予定通り適応を進めて様子を見るんだな。体力がつけば探索効率も上がって成果も出やすくなるだろう」
「はい」
「……というか、正直なところ体力増強にしてもこんなに早く成果がでるとは思っていなかった。和だけじゃなく円も適応が進んでるみたいだし──まさかと思うが、お前ら無茶なことをしてるんじゃあるまいな?」
『まさか』
藤沢の疑念の視線を双子は異口同音に否定した。疑わし気な目を止めない藤沢に円が言った。
「いや、ホントに。昨日は第一層を軽く歩いただけですよ。戦闘はしましたけどゴブリンと一度やり合っただけで、終わった後は直ぐに探索を切り上げてます」
藤沢は和に視線を向けて確認した。
「……本当だろうな?」
「本当ですって。お兄ちゃんが私を連れて危ない真似をすると思います?」
「…………」
円と和は昨日ゴブリンの罠にかかって死にかけたことを藤沢に隠していた。
そもそもまともな医者なら病人が迷宮に潜りたいと言っても外出許可など出してくれない。例えそれが不治の病だとしても現代医療による治療を諦めようとはしないだろう。研究者気質で和の病気の治療法を模索している藤沢だからこそ特例で協力してくれているのだ。
だがそうは言っても実際に迷宮探索で死にかけたとなれば話がどう転ぶか分からない。念の為昨日の出来事は藤沢にも伏せて置こうと双子は事前に打ち合わせていた。
「…………まぁいい」
藤沢は双子の態度に胡乱な視線を向けていたが、結局追求を諦めて嘆息する。気を取り直して双子に質問した。
「それより和、実際に迷宮に潜ってみて何か気になったことはないか? 円も横から見ていて気付いたことがあれば言ってくれ」
『…………』
問われて双子は少し考え込む。先に口を開いたのは和だった。
「何となく、の話なんですけど」
「何だ?」
「迷宮にいる時、妙に身体の調子が良かった気がします。その適応するとかしないとかの前から、迷宮の中だと妙に身体が軽いって言うか……」
和の言葉に円も同意した。
「あ、それは俺も思った。俺はそういうのなかったけど、和は迷宮にいる間ずっと顔色が良かったよな」
「ふむ……適応ではなく迷宮の空気に影響された? いや単純に緊張状態で一時的に症状が抑制されたという可能性も──」
藤沢はそれを聞いてブツブツと呟き考え込む。このまま自分の世界に入られてしまうと面倒だ。その前に円は藤沢に一つ頼みごとをした。
「そういえば先生って、確かクラス判定用の道具を持ってましたよね? ちょっと貸してもらうことって出来ませんか?」
「うん? それは構わんが、何に使うんだ?」
円の言った『クラス判定用の道具』とはシーカーとしてのクラスを判定するためのものだ。特殊な機材の為、自衛隊や研究機関など限られた場所にしか置かれていない。一つ20万円前後と安くはないが、研究者である藤沢にとっては入手は容易だし、貸したからといって不都合があるものではなかった。ただ既に円と和のクラスは判定済みで、今更使う理由があるとは思えない。
「さっきも言った通り迷宮内での和の雰囲気がちょっと違ったので。ひょっとしたら適性とかに変化があるのかもって……まぁ、ただの思い付きです」
「…………」
円の目をジッと見た後、藤沢は言った。
「……まぁ、いいだろう。結果は後で報告しろよ?」
和の診察を終え、双子が去った後の診察室で藤沢は検査結果を見ながら独り思考に耽った。
──あの様子だと昨日は相当無茶をしたようだな。意図してそうしたわけではないだろうが、罠にでもハマって死にかけたといったところか。
藤沢は双子が隠そうとしていた事情を概ね察していた。あの双子とはそれなりに長い付き合いだ。考えそうなことは予想がつく。恐らく危険な目に遭ったことを知られれば、これ以上の探索を止められるかもしれないとでも危惧したのだろう。
仮にそうだとしても藤沢には最初から二人を止めるつもりなどなかった。危険だからと止めるぐらいなら最初から許可など出さない。藤沢は二人が迷宮で死ぬことなど織り込み済み。その上で二人の希望を叶え、自分の研究の一助とするために上を誤魔化し二人が迷宮に潜ることを認めた。
──だが単にそれだけではあるまい。円の様子だと他にも何か隠し事をしている風だったな。
藤沢から見て兄の円は歳の割に優秀だが、意外と分かりやすいところがある。誤魔化そうとはしていたが、藤沢にすれば隠し事をしているのはバレバレだった。
──円に関しては心配しなくてもいいだろう。あれの行動原理は全て妹に集約する。放っておいても悪いことにはなるまい。問題はむしろ和の方だ。
妹の和は一見すると純粋無垢で、兄と比べると能力的にも凡庸だ。けれど言動の端々に強かさが垣間見えることがあり、藤沢は和が何かとんでもないことをしでかすのではないかと警戒していた。
──和も悪い子じゃあない。兄思いの良い子なんだが……
えてしてああいう純粋そうな少女に限って善悪の基準が普通とかけ離れているものだと、藤沢は知っていた。




