第4話
円は訓練所で教官役の自衛官から指導を受けた際、絶対に忘れるなと言われたことが一つある。
実戦──特に初めての戦いともなれば、人はプレッシャーで実力の一割も発揮できない。今ここで学んでいる技術の大半はほとんど活かすことが出来ないだろう。そして緊張状態では敵が近く大きく見え、また敵も必死に回避するため、普段通りにやったのでは攻撃はまず届かない。決してキレイに戦おうとするな、と。
「くたばれっ!」
円が初撃に選んだ攻撃方法はヤクザの鉄砲玉がするような腰だめに剣を構えての突撃だった。
技術も何もない、ただ刃を構えてぶつかるだけの単純な攻撃。だからこそ円の刃は緊張状態でもミスの余地なく、正しくゴブリンの胸を貫いた。
──gobgob!?
一番左端にいたゴブリンが円の刃に貫かれたまま壁に身体を押し付けられ悲鳴を上げる。間違いなく致命傷だ。ゴブリンは残された生命力を振り絞って必死にもがくが、円の身体は冷静に刃を捻り、内臓を抉ってゴブリンに止めを刺した。
──go……!
腕の中でゴブリンが息絶える。すぐに円は自問自答し自分の精神状態を確認した。人によっては魔物相手でも命を奪う行為に耐えられず、まともに動けなくなる者が一定数いるらしい。もし自分がそうなら今からでも逃げることを考えなくてはならないが──問題ない、と円は判断した。彼の精神状態は落ち着いていて、身体に変調もない。むしろ最初の殺しをしたことで緊張から解放されたフシさえあった。
──gobb!
「!」
残る二体のゴブリンが背後から襲い掛かってきた。その攻撃を円は一方を回避し、残り一方を左腕で受け止めて防ぐ。
ゴブリンたちは錆びた剣と槍もどきで武装していた。ゴブリンは身長が円の腹辺りまでしかなく非力。円のジャケットは防刃性の為、急所さえ守っていればほとんどダメージはない。本来、円のクラスであるローグは高い回避能力と急所攻撃を得意としていたが、彼はそれに拘ることなく体格差を最大限生かす戦術を選んだ。
──gob!?
円は攻撃を受け止めた左腕をそのままゴブリンに伸ばし、その禿げた頭を鷲掴みにする。宙吊りにし身動きできない状態にしてから、その首をショートソードで切り裂いた。ゴブリンの首から鮮血が迸る──これで二体。
──go、gob……!?
不利と見た残る一体が転進して逃げ出そうとした。だが、その逃げる先には和がいる。妹を危険にさらす行動を円が許す筈がなかった。
「逃がすかっ!!」
手に持っていたゴブリンの死体を投げつけ、逃げようとしたゴブリンにぶつけて転倒させる。そして倒れたゴブリンの背に馬乗りになり、背後から心臓を刺し貫いた。
──gob!?
ゴブリンはピンと手を伸ばして硬直した後、パタリと力尽きて息絶えた。
「…………ふぅ」
発見した三体全員の死亡を確認。小部屋内に他に敵が潜んでいる様子はない。
「お兄ちゃん!」
小部屋の入口から和が駆けてくる。その表情はゴブリンの返り血で真っ赤な円を心配しているように見えた。円は和を安心させようと手を挙げてそれに答えようとし、
「────?」
和の背後の通路で影が揺らめいたのを見て、考えるより先に動き出していた。
「え? お兄ち──きゃっ!」
──ヒュドッ!
円が和を抱きしめて庇うのと、通路から炎が飛んできたのはほぼ同時だった。
「っ!」
【火矢】──魔術の炎が円の背中に直撃する。
「お兄ちゃん!?」
「大丈夫だ!」
悲鳴を上げた妹に咄嗟に返した。嘘ではない。円の防刃ジャケットに使われているアラミド繊維は高い耐熱性も兼ね備えている。火矢の直撃を受けたジャケットは大きく損傷していたが、円本人へのダメージはほとんどなかった。それより問題は──
「…………!」
円が顔を上げる。和もそれに釣られて兄の視線の先──自分が今入ってきた小部屋の入口を見た。
──gobb
ゴブリンが入口を塞ぐように立っていた。数は三、四……陰になって見えないが通路側にもまだ隠れているかもしれない。
そして先ほど円が倒したゴブリンと比べて二回り以上大きな個体と杖を持った個体が交じっている。恐らくあれがホブゴブリンとゴブリンシャーマンというやつだろう。
「なん、で……? ちゃんと後ろは見てたのに……」
突然の敵の出現に、後ろの警戒を担当していた和がショックを受けた様子で呻いた。
「落ち着け」
動揺していたのは円も同じだったが、妹を守らねばという使命感がその動揺を打ち消す。彼は和の肩を抱き、その頭に手を置いて言った。
「多分、ここに来る通路の途中に隠し通路か部屋があって、そこに隠れてたんだろ。シャーマンがいるから入口を呪文で偽装してたのかもな」
その言葉はただの当てずっぽうだったが、結果的に真実を言い当てていた。和が泣きそうな声で言った。
「ご、ごめんなさ──」
「謝るな」
円はニヤニヤと嗤いながらこちらを見ているゴブリンたちを睨んだまま言った。
「戦うと決めたのは俺だし、隠れてる奴らに気づけなかったのは俺も同じだ。むしろローグなのに気づけなかった俺の方が罪は重い。そのことは後で散々謝り倒してやるから、今はここを切り抜けることだけ考えるぞ」
「! うん!」
和が気持ちを立て直す。だが状況は控え目に言っても相当悪かった。
敵は今見えているだけでもホブゴブリンとゴブリンシャーマンが一体ずつ、ノーマルゴブリンが二、いや三体か。ノーマルゴブリンだけなら多少数が多くても何とかなるが、他はそうはいかない。
ホブゴブリンは円より一回り以上立派な体格をしていて、手には巨大な棍棒を持っている。正面から戦えば一対一でもかなり分が悪いだろう。それにシャーマンはどんな呪文を使ってくるか分からない。ノーマルゴブリンだって他のを相手にしている時に纏わりつかれたら厄介だ。
──倒すのは無理だな。
円は直ぐにそう割り切った。だが一方で出入口を塞がれていては逃げ出すことも難しい。ゴブリンたちもそれが分かっているからすぐに襲い掛かってくることなく、ニヤニヤとこちらの反応を見ているのだろう。
「…………」
絶望的な状況に和がギュッと円の手を握る。円はそれを握り返し、落ち着いた声音で言った。
「和。後ろに下がってろ」
「え……?」
和は兄が何を言っているのか分からず聞き返した。
「まさか、一人で戦うつもりなの?」
「馬鹿言うな」
和が「無茶だよ」と続ける前に、円はキッパリと言った。
「逃げる。だけど出口を塞がれてちゃただ走って逃げるわけにもいかないだろ。今から俺があいつらをかき回して隙を作る。あのデカブツが動いたら和は残りを突っ切って先に逃げろ」
その作戦に和は即座に反論した。
「お兄ちゃんも一緒に──」
「そうしたいのは山々だけど、あのデカブツの相手をしながら和を抱えて逃げるのは難しそうだ。和が先に逃げて道を作ってくれ。俺もすぐに追いかける」
「…………」
「何だ? どうしても抱えて逃げて欲しいって言うなら、頑張ってみんこともないぞ?」
冗談めかして言う円に、和は首を横に振った。
「……ううん。分かった」
兄の足手まといにならないためにはそうするしかないと、悔しさを噛み殺し自分を納得させる。自分が先に逃げない限り絶対に兄は逃げようとはしないだろう。兄の為にも自分の身の安全の確保はマスト。その上で自分にできることがあるとすれば、ここを脱出して助けを呼ぶことぐらいだ。
和がそっと後ろに下がったのを確認して、円は腰に吊るしていたもう一つの武器を手に取った。
──gob?
ゴブリンシャーマンが不審そうに首を傾げる。円はポーチから取り出した鉄球を装填すると、投石機を頭上で勢いよく回転させてシャーマン目掛けて発射した。
「くらえ!!」
──ドゴッ!!
鉄球は狙いを誤ることなくシャーマンの肩に命中。シャーマンは悲鳴を上げて蹲った。
──go!?
「しゃぁっ!」
円は再度鉄球を装填し、投石機を回転させる。見た限り敵の中で遠距離攻撃手段を持っていたのはシャーマンだけだ。彼らが円に反撃するには、塞いでいる出入口を離れて円に近づいてくるしかない。ゴブリンたちが判断に迷っている内に再度鉄球が放たれ、今度は頭部に命中したノーマルゴブリンがその場に崩れ落ちた。
──gob!!
その様子を見てホブゴブリンが舌打ちし、小部屋の中に入ってきた。二人とも逃がすつもりはないらしく、円のことを警戒しながらも和を視界から外していない。ノーマルゴブリンはまだ二体が出口に陣取っていた。和にああは言ったが、身体の弱い彼女があそこを突っ切っていくのは難しいだろう。言ったからにはしっかり隙を作らなくてはならない。
円は頭の中で自分の行動をシミュレーションし、覚悟を決めて動き出した。
「──こっちだデカブツ!!」
接近してきたホブゴブリンの間合いに入る直前、円は投石機で鉄球をホブゴブリン目掛けて放った。正面からの攻撃にホブゴブリンは足を止めて腕と棍棒で急所を庇う。
──ガンッ!!
運悪く鉄球は棍棒に当たって弾かれたが、円はショートソードを構えてそのままホブゴブリンに接近。敵の死角から脇腹に刃を突き立てる。
──go!
「ぐっ!?」
円の攻撃は人体で言うところの肝臓目掛けて行われたが、ホブゴブリンの硬い皮膚と腹筋が刃を阻んだ。
──ブオンッ!!
円を突き放すようなホブゴブリンの大振りの攻撃を円は大きく斜め後ろに跳んで避ける。彼は避けながら再度ポーチから弾を取り出した。するとホブゴブリンはさせるものかと大きく踏み込んで棍棒を振り下ろし、スリングでの攻撃を妨害した。
──狙い通り!!
ホブゴブリンは円を警戒して和を視界から外していた。そして和と出口まではぽっかりと道が出来ている。和を逃がすため邪魔になるのは出口付近に立つノーマルゴブリンだけ。
円は左手に持っていた弾を投石機にセットすることなく、そのまま出口目掛けて投げつけた。
──ボフゥンッ!!
床に衝突した弾が弾け、白い煙が広がる。煙幕だ。
──gob、gob!?
ゴブリンたちが煙に含まれた催涙成分をもろに吸い込んでしまい、涙と鼻水を流しながら咳き込んだ。
「行け!」
円が叫ぶより先に和は走りだしていた。ホブゴブリンもそれに気づくが、円に背を見せるわけにもいかず止められない。
和がローブの襟で口元を押さえて煙幕に突入する。ゴブリンたちは喉を押さえてそれを止めるどころではなかった。
──よしっ! 後はホブゴブリンを牽制しながら、隙を見て脱出する!
円が胸中で喝采を上げ、改めて目の前の敵に向き直った──その刹那。
「──きゃっ!?」
煙の中から和の悲鳴が聞こえ、何事かと再び円の視線がそちらに向く。
大きな腕が和の胴を鷲掴みにして煙の中からぬうっと現れた。遅れてその腕の主も煙の中から姿を見せる。
「!」
ホブゴブリンがもう一体いた。当然予想してしかるべき可能性。けれど考えても対応できないため目を逸らしていた可能性を突きつけられ、円は思わず絶叫した。
「和っ!!!」
「おにい……ちゃ……」
そしてそんな隙だらけの円を、目の前のホブゴブリンが見過ごす筈がなかった。
──ドゴォッ!!
「っ!?」
ホブゴブリンの棍棒で殴り飛ばされ、円の身体が宙を舞って壁に叩きつけられる。無防備に攻撃を受けてしまい、本来なら死んでいてもおかしくなかった。しかし不幸中の幸いというべきか、円が走り出したその動きが結果的に打撃のダメージを受け流すことに繋がり、見た目ほどのダメージは入っていなかった。
「ぐ──ぅっ!」
ただしそれは致命傷を免れたという程度の意味でしかない。円は殴られたショックで視界がぐるぐると回り、直ぐには立ち上がることもできそうになかった。
──gob
和は宙吊りにされて身動きが取れず、円もまた止めを待つばかり。
まさしく絶体絶命の状況。そんな中、
──grrrr……!
少女の中で、咆哮が響いた。




