第3話
「おしっ。無事登録も終わったし、早速探索に行くぞ」
「お~!」
迷宮の入口前で円と和の双子は探索前の打ち合わせを行っていた。円の仕切りに和が笑顔で軽く拳を突き上げ相槌を打つ。
奥多摩迷宮は山の中にあり、二人の目の前には車が横に3台くらい余裕をもって通れそうな迷宮のトンネルが地中へと伸びていた。その手前は森がぽっかり開けた広場になっていて数組のシーカーがたむろしている。想像していたより人がまばらだが、これは14時過ぎという中途半端な時間のせいだろう。
珍しい子供の姿に一部のシーカーが好奇の視線を向けてきた。だが銃で武装した自衛官が目を光らせていたため、ちょっかいをかけてくるようなことはなかった。
双子は他のシーカーから少し離れた場所で今日の探索方針について確認する。
「今日は初めての探索だから迷宮の雰囲気に慣れるのが目的だ。入口の近くを軽く散歩するぐらいのつもりで行こう」
「危なくなったらいつでも逃げ出せるように、だね」
「ああ」
和の言葉に円は頷く。
「それと、今日は一度敵と戦ったら探索を切り上げる。例え余裕があったとしても、興奮状態で冷静な判断が出来てない可能性があるから『もう少しイケる』は無しだ。近場で敵が見つからなかったり逆に危なそうなヤツがいてもやっぱり撤退する。絶対に無理はしない」
「うん」
円の言葉に和は素直に頷いた。本音を言えば折角ここまで来ているのだから、できるだけ迷宮への適応を進めたいという思いはあった。特に病弱な和にとっては、ここまでやってくるだけでも簡単なことではない。
だが無理をして死んでしまえば元も子もないことは二人ともよく分かっていた。自分だけならともかく、妹/兄を犠牲にしてはならない。互いの存在が双子にとっての安全弁になっていた。
「迷宮の中では俺が先行するから、和は5メートルぐらい離れてついてきてくれ。敵を見つけたらハンドサインで伝えるからその場でストップ。移動中は後ろから敵が来てないか警戒を頼んだぞ」
「それはいいけど……」
和は円の荷物を見て口を挟んだ。
「やっぱり荷物は私が持つよ。探索も戦闘も全部お兄ちゃん任せなんだし、せめてそれぐらいはしないと」
円が探索用の荷物が詰まったバックパックを背負っているのに対し、和は小さめのポーチを腰に下げているだけ。まして彼女は武器も持っていない。負担が円に偏り過ぎているというのはその通りだった。
だが妹の申し出に円はキッパリと首を横に振る。
「駄目」
「どうして?」
ムッとする和に、円は彼女を傷つけないよう言葉を選んで言った。
「俺はローグで和はヒーラー。どっちも直接戦闘向きじゃない。何かあったらすぐ走って逃げなきゃいけないんだ。出来るだけ移動速度は揃えておいた方がいいだろ」
【Tips】シーカーは迷宮に適応し超人的な力を獲得していくが、その力の方向性には個人差があり、これを「クラス」と呼ぶ。クラスは大まかに「ファイター」「メイジ」「ヒーラー」「ローグ」の四つの系統に分類され、より詳細な分類では十数種類、そこから成長に応じて更に数十種類以上に分化する。
「でもでも、逃げる時に危ないのは前に出てるお兄ちゃんの方だし、戦う時も身軽にしてた方がいいんじゃないの?」
「そういう時はここを引っ張れば一発で外せるようになってるんだよ」
心配する和に、円はバックパックの紐を引っ張り一瞬で荷物を地面に落として見せた。
「……それができるなら私が持ってたっていいじゃん」
「体力の問題があるだろ。あんまり言いたくないけど、お前の場合、迷宮の適応が悪い方向に働く可能性だってなくはないんだ。気持ちはありがたくもらっとく。だけど今回は俺に頼ってくれ」
「……むぅ。分かりました〜」
これ以上粘っても却って兄に負担をかけるだけだと理解し、和は口を尖らせながらも納得する。
円はそんな和を見て苦笑し、フォローを入れた。
「それより和はナビとマッピングをしっかり頼む。俺一人じゃそこまで手が回らないし、万一迷宮で迷子にでもなったら洒落になんないからな」
「……うん、分かった!」
迷宮内では磁場の影響で電子機器が使えないし方向感覚も狂いやすい。明確な役割を与えられた和は機嫌を直し、地図と目印を描き込むためのペンを握りしめた。
「よし、それじゃ突入だ。あまり気負わずに行こう」
「うん!」
そうして二人は初めての迷宮に足を踏み入れた。
傾斜になった長いトンネルを50メートルほど下ると、石造りの床と壁がところどころ崩れて岩肌が除く遺跡のような空間が広がっていた。事前情報にあった通り一部の岩が淡く光を放っていて、ライトをつけなくても活動に支障はなさそうだ。
天井は高く、閉鎖空間故の圧迫感はあまりない。けれどシンと静まり返った空気は二人の緊張感を否が応にも高めた。円が先行して迷宮内を進むと、ほどなくして二又の分かれ道にぶつかる。円は予め決めていた通り右のルートに進んだ。
「…………」
妹の前では落ち着いて振る舞っていた円だが、その内心は緊張とプレッシャーでぐちゃぐちゃだった。
いつどこから敵が飛び出してくるか分からない命懸けの迷宮。しかも自分の背には大切な妹の命がかかっている。突入前の言葉は妹ではなく自分自身に言い聞かせるためのものだった。
──ピチャン
「!?」
天井から垂れた水滴が円の肩に落ちる。ただそれだけのことで円の身体はビクリと強張った。
──駄目だ。これ、地に足がついてないってやつなんじゃないか?
マズいと感じたらもう手遅れだと思え──教官の言葉を思い出した円は通路の途中で立ち止まり、その場で大きく深呼吸した。
「ふぅ~……」
後ろにいた和が追いついてきた。
「……お兄ちゃん、何かあったの?」
「ああ、いや──」
円は振り返り誤魔化そうとしたが、結局取り繕うのをやめて素直に苦笑してみせた。
「悪い。思ったより緊張してるみたいだ」
「!」
和は兄の珍しい弱音に一瞬目を丸くし、すぐに悪戯っぽい笑みを浮かべて言った。
「ふ~ん。怖いなら代わってあげようか~?」
「ハッハッハ」
「わわ……っ?」
円は調子に乗る妹の髪をグシャグシャとかきまぜた。
「……今日のところはもう少し頑張ってみるさ。もしヤバそうなら後ろから尻を引っ叩いてくれ」
「任せて! こないだ先生に借りたサッカー漫画で覚えたキックをお見舞いして上げる!」
楽しそうに親指を立てる和に、円は「お手柔らかに」と苦笑した。サッカーはボールを蹴るものであって人を蹴るものではない気がするが──ああいや、往年のあの漫画とかは結構普通に蹴ってたか。
「ふぅ~…………」
程よく肩の力が抜ける。そこで円はこの迷宮に入ってからすっかり索敵を忘れていたことに気づき、改めて五感に意識を巡らせた。
──タ……タタタ……
まだ迷宮への適応は進んでいない。だが元々鋭敏な彼の聴覚は、道の先に響く小さな足音を捉えた。
「…………」
「お兄ちゃん?」
円は和の言葉に答えず、代わりに彼女に手を差し出した。
「地図を」
「あ、はい」
管理事務所で購入した迷宮の地図を広げ、円は音の聞こえてくる方向と部屋の配置の位置関係をチェックする。
足音は進行方向右側から聞こえてきた。地図ではこの先の分かれ道を右に進むと突き当たりに開けた空間があることになっている。十中八九、足音の主はそこだろう。敵の数や種類までは分からないが、まだ一層なのでそれほど強い魔物ではない筈だ。
「…………」
ただ迷宮にいるだけでは適応はほとんど進まない。効率よく適応を進めるためには敵と戦って倒さなければ。自分たちはその為に迷宮に来た。
円は覚悟を決め、顔を上げて口を開いた。
「和。この先の小部屋に多分敵がいる」
「!」
「まだ入り口からそんなに離れてない場所で敵が見つかったのはラッキーだ。様子を見てイケそうだったら倒す。ヤバそうだったら逃げる。俺が突っ込むから、和は後ろを警戒しながらついてきてくれ。合図したらいつでも逃げれるように準備を忘れるな」
「……分かった」
和が円の言葉に緊張した面持ちで頷く。
そして二人は敵に気取られぬよう無言で、極力音を立てないよう慎重に道を進んだ。
──gobgob……!
小部屋まで20メートルほどの距離に近づくと何かの声のようなものが聞こえてきた。人の声ではない。けれど獣の鳴き声でもない。第一層に出現する人型魔物となると、ゴブリンかコボルトあたりだろう、と円は当たりを付けた。
言葉を発しているということは敵は複数。だが伝わってくる気配からすると決して多くはなさそうだ。運がいい、と円は改めて思った。
訓練所で人相手に戦闘訓練を受けてきた円にとって、獣や虫型の魔物より人型の魔物の方が動きが読みやすくて戦いやすい。急所の位置も分かりやすいし、固い装甲や粘性の身体で攻撃が通らないということもないだろう。最初に戦う相手としては手ごろ。身体のサイズ的に足はこちらの方が速い筈だから最悪逃げれば何とかなる。
円は背後を振り返り、ハンドサインとアイコンタクトで和に突入の合図を送った。
「…………!」
和が頷いたのを見て、円は小部屋に突入する。
──gobb!?
半裸に腰巻をした薄汚い小人が三体、小部屋の中にいた。写真で見たことがある。ゴブリンだ。
ゴブリンは円たちの接近に気づいておらず、動揺で反応が遅れていた。奇襲成功。一対三だが敵の強さが事前情報の通りなら十分に戦える。円はバックパックの紐を引いてその場に荷物を落とし、ショートソードを構えてゴブリンたちに襲いかかった。
一方その頃、和はヨタヨタとした足取りで兄の後を追いかけていた。戦闘には参加しないよう言い含められていたので急ぐ意味はない。意味がないことは分かっていたが、それでも兄を独りにしたくなかった。
「……?」
その途中、和は通路に奇妙な違和感を覚えた。だがその違和感の正体が何なのかまでは分からない。
──gobgob!?
「!」
小部屋からゴブリンの鳴き声と戦いの音が聞こえてきた。和はその違和感を頭の隅に追いやり慌てて小部屋へと走った。




