第2話
「……本気かい?」
奥多摩迷宮管理事務所の受付で、男性自衛官──榊一郎からそんな言葉が口をついて出た。
管理事務所は広くはあるがプレハブ小屋に毛が生えた程度の簡素な造りをしていた。バックヤードでは十人前後の同僚自衛官が事務員としてデスクワークに励んでいる。反対にカウンターの向こう側ではガラの悪いシーカーたちが何をするでもなくたむろしていた。
「えっと……はい」
少年が言葉を詰まらせながら言った。
榊が担当している受付カウンターを二人組の少年少女が訪れていた。提出された書類によると今日5月2日に15歳の誕生日を迎えたばかりの双子の兄妹だ。榊と相対しているのは兄の杜崎円。大人の榊に厳しい声音で詰問され、その表情には若干の戸惑いが滲んでいた。
榊は子供を威圧してしまったことを申し訳なく思いながら、しかし態度を緩めることなく確認した。
「君たち二人がシーカーとなって、この迷宮を探索すると?」
「その、つもりです」
円はハッキリと頷いた。
兄の方は問題ない。決して好ましいことではないが、この国では15歳になれば誰でもシーカーとして登録し、迷宮を探索することが可能とされている。机上には保護者の承諾書面もある。防刃ジャケットとショートソード、探索用のバックパックやポーチなど装備はしっかり整えていた。記録を見れば自衛隊が開催しているシーカー向けの講習の受講歴もある。冷やかしではなく本気でシーカーとなり、迷宮を探索しようとする意志が見て取れた。
問題はもう一人。兄の後ろで椅子に座り、体調が良くないのか顔色を悪くしている妹の方だ。
「君はともかく、妹さんがシーカーになるのは無理があるだろう」
榊の言葉に妹の肩がピクリと震えた。
妹の名は杜崎和。背中まで伸ばした黒髪が美しい人形のように可愛らしい少女だった。あと数年もすれば艶やかな美しさを身にまとうことになるだろう。だが今は病的な線の細さと儚さの方が際立っていた。
彼女の顔色の悪さが一時的なものかどうかまでは榊には判断がつかなかったが、絶対的に体力が不足していることは間違いない。過酷な迷宮探索に耐えられるとは到底思えなかった。
「竜の迷宮は訓練を積んだ我々自衛官でも生きて帰れる保証のない危険な場所だ。本来なら君たちのような子どもが探索すること自体あまり好ましいことじゃあない。まして君の妹さんはとても迷宮探索に耐えれる状態には見えない。どんな事情があるかは知らないが、まずは体力をしっかりつけてからにすべきだと思うよ」
【Tips】二〇世紀末に突然地球上に現れた無数の竜は世界各地に迷宮を作り出した。迷宮内は異形の怪物や罠で溢れかえっており、竜が出現してから三〇余年が経過した今も、竜の迷宮を踏破した者は一人も現れていない。
「あ~……」
榊の言葉に兄の円が困った風に頭をかく。ただそれは痛いところを突かれたからではなく、どう説明したものかを迷っているように見えた。
「お兄ちゃん。私が自分で言うよ」
「和……」
妹の和が兄に微笑みかける。そして榊の目を見て言った。
「私は病気で、お医者様からは大人になるまで生きられないだろうと言われています」
「!」
突然の告白に榊は目を丸くする。和は言葉の悲壮感を感じさせない堂々とした態度で続けた。
「運動しても体力はつきません。多分、後一年もしない内に外を出歩くことも出来なくなると思います」
「…………」
榊が先ほどの自分の発言を思い出し、顔を顰めて後悔する。
だが自分の発言が無神経であったことと、病弱な彼女が迷宮に潜って良いかは別の話だ。それほど身体が悪いというなら猶更、病院で治療に専念すべきだろう。
──いや、彼女の口ぶりからすると、治療は不可能で医者も匙を投げたということだろうし……まさか、そういうことなのか?
「────」
そこで榊はあることに思い至り、円と和の顔を見る。和は榊の想像を肯定するように頷いた。
「多分、ご想像の通りです。私はシーカーになって、迷宮に適応することでこの病気を克服したいと考えています」
【Tips】迷宮内で活動することで人はその環境に適応し超人的な力を獲得していく。未だその理屈も安全性も確認されておらず、この現象を危険視する者は多い。迷宮に適応し、その深淵に挑む者たちを人はシーカーと呼ぶ。
「…………」
榊は何か言葉を返そうとして、結局何を言えばいいのか思いつかなった。
和が言っていることは理解できた。迷宮内で活動することでシーカーは超人的な力を獲得していく。それは単純な筋力や体力、反応速度に留まらず、生命力や免疫系など様々な領域に及ぶことが最近の研究で分かっていた。その意味で、シーカーとなり、この恩恵を獲得することで病気を克服したいという和の発想は理屈としては間違っていなかった。実際この現象を医療に転用できないか、医療関係者の間で注目が高まっているという話を聞いたことがある。
また一部のシーカーが習得する「魔法」の中には怪我や病気を治療するものも存在する。シーカーとして成功すればそうした魔法で病気を治療することも可能になるかもしれない。
だがそのことと現時点でリスクとリターンがつり合っているかは全く別の話。迷宮は極めて危険な場所だ。そこでは人の生は一切保証されておらず、どれほど訓練を積み万全の準備をして挑んでも生きて帰れるとは限らない。自衛官として迷宮に挑んだ経験を持つ榊はそのことをよく理解していた。
子供二人──まして一人は病弱で足手まとい──で迷宮に挑むとなれば、それはもはや死にに行くようなものだ。せめて誰かの助けを得られればまだ何とかなるかもしれないが、それは言うほど簡単なことではない。そもそもシーカーなんて危険な仕事をしている連中は大抵社会からあぶれたロクデナシか、そうでなければ余程の事情がある者のどちらか。彼らのような子どもに手を差し伸べようなんて奇特な人間はまずいない。
相応の金とコネがあれば人を雇うという方法もあったが、登録用紙に記載されていた二人の保護者欄の続柄は叔父。とても金やコネがある境遇とは思えない。
そこまで思考を巡らせて、榊は目の前の双子が置かれた状況を概ね理解する。二人はほとんど詰んでいた。
妹が生きながらえるため──そして兄が妹を救うためには、死のリスクを負ってでも自ら迷宮に挑む以外の選択肢がなかったのだ。
「……心配しないで下さい。無理をするつもりはありませんから。暫くはお兄ちゃんと二人、入口近くで身体を慣らして適応を進めていくつもりです」
和が笑顔を作ってそう言った。
『そういう問題ではない』『入口だろうと一層だろうと迷宮に安全な場所などない』『君たち二人には手に余る』とは、榊は言えなかった。和も、そして彼女を見つめる円もそんなことは当然分かっている顔だ。
「せめて──っ」
思わず口をついて出そうになった言葉を榊は呑み込んだ。せめて自分が同行してやれたら、との考えが頭をよぎりはしたが自衛官は任務外での迷宮探索を固く禁じられている。
自衛隊の役割は迷宮の管理と周辺への侵食を食い止めること。リスクが高い上に意味があるかどうかも分からない迷宮探索は任務においてもごく限定的な範囲でしか許可されていなかった。
まして悪意ある迷宮内では自衛隊の銃火器も戦術も十全に力を発揮することは難しい。海外の迷宮では最新の装備で武装した軍一個師団が突入後僅か数時間で全滅した例さえある。彼らを支援できるほどの余力は自分にも組織にもなかった。
「……書類を確認しました。登録手続きを行いますので、少々お待ちください」
結局、榊は自分の無力さを噛みしめ、事務的な口調でそう言った。




