第1話
──カサカサカサ……!
道の先から何かの這う音が聞こえる。少年は足音を立てぬようそっと岩の窪みに身を隠し、ハンドサインで後ろに止まるように合図した。
奥多摩ダンジョンの第一層は洞穴と石造りの遺跡の複合フロア。一部の岩肌が淡く光を放っており、灯りを用意しなくても活動が可能で、敵に接近を察知されにくいという利点があった。
息を殺して聴覚に全てを集中する。迷宮に安全な入門エリアなど存在しない。まして少年は戦闘には不向きなクラスの新人だ。一つの油断、一つのミスが命取りとなる。
「…………」
少年──杜崎円は腰のベルトに吊るしたまだ新しいショートソードの柄に触れ、気持ちを落ち着かせるよう細く長い息を吐いた。
黒髪の中性的な顔立ちをした少年だ。年齢は10代半ば。動きやすそうなシャツとパンツの上から黒い厚手の防刃ジャケットを羽織り、鉄板入りのブーツを履いている。決して華奢という訳ではないが、骨格の影響かどこか線の細さを感じさせた。
道の先で敵の出す音が不規則に揺れていた。こちらに来るのか来ないのか判然としない。あまり長く止まっていると後ろから敵が来るリスクも高まる。円が待ち伏せからの奇襲は諦め一旦退こうかと考えたその時、彼の横をすり抜けて背後から誰かが飛び出した。背中まで伸びた黒髪が美しい小柄な少女だった。
「和っ!?」
「rooaar!!」
双子の妹の名を呼ぶが、少女はそれに反応することなく獣のように叫びながら駆けていった。円は思わず舌打ちし慌てて彼女の後を追う。
道の先にいたのは中型犬ほどの大きさのダンゴムシが四体と大蛙が二体──クロウラーとジャイアントフロッグだ。二対六。正面から戦うのは些か分が悪い。円の表情が引き攣る。だが少女は一切の躊躇なく魔物の群れに突撃した。
「bow!」
少女が手に持っていたのは小柄な彼女の身の丈ほどもあるメイスだ。先端の打撃部には四方向に刃がついていて、見方によっては槍にも大剣にも見えた。
少女は大の大人でも持ち上げるのが精一杯だろうメイスを肩に担いで弾丸のように疾走。突撃の勢いそのままに手前のクロウラーにメイスを叩きつけた。
──グシャァッ!!
「grrrr!」
クロウラーをその硬い甲殻ごとミンチにし、少女は猛々しく笑う。
一瞬遅れて、他の魔物が少女に一斉に襲い掛かった。彼女は正面から飛び掛かってきたクロウラーをメイスの柄で受け止め、横から伸びてきたジャイアントフロッグの舌を身体を捩って躱す。
「tsk!」
だが対処できたのはそこまでだ。いくら少女が俊敏であろうと攻撃直後の隙を多方向から突かれては反応が間に合わない。まして彼女の得物は巨大なメイスで取り回しに難があった。背後から回り込んできたクロウラーとジャイアントフロッグの舌が彼女に襲い掛かる。
「タマっ!!」
「!」
──ザシュッ!
少女の背に回り込んだ円がクロウラーを体当たりで弾き飛ばし、伸びてきた舌をショートソードで斬り払った。呼びかけに少女の目が嬉しそうに輝く。叱りつけたいところだが、今は敵に囲まれていてそれどころではない。円は舌打ちを堪えて言った。
「説教は後だ! 背中は俺に任せて思い切り暴れろ!」
「bow!」
少女は一吠えして飛び出した。その無軌道な動きに円は振り回されながら、ショートソードで敵を牽制してカバーに回る。
本音を言えば少女を安全な場所に下がらせたかった。だがローグで戦闘に不向きな円ではこの数の敵には対処出来ない。ファイターのタマに暴れてもらい、自分がその援護に回ることがこの場における最適解だった。
クロウラーがギチギチと歯のような何かを伸ばして飛び掛かってきた。円はショートソードで殴りつけるようにして弾き返す。刃は正しく入っていた筈だが、円の力では硬い甲殻が微かに削れた程度でほとんどダメージが入っていなかった。
──焦るな。俺が敵を倒す必要はない。
甲殻の隙間を狙えばダメージを与えることは出来るだろう。だが動き回る敵相手にピンポイントで急所を狙うのは簡単ではないし、攻撃に意識を振り分ければその分被弾しやすくなる。円一人であればそのリスクを負う必要があったかもしれない。だがここには頼れるアタッカーがいた。
──グチャァァァッ!!
突進した少女──タマが、ジャイアントフロッグの巨体を汚い床の染みに変える。打撃に強いというカエルの特性などモノともしない圧倒的な破壊力だ。
遠距離攻撃手段を持つ敵が減ったことで、円が警戒に回していた意識のリソースに余裕ができる。円はもう一匹のジャイアントフロックを警戒しつつ、タマが敵に挟み撃ちにされないよう接近してきたクロウラーを牽制した。
「grrrr!!」
タマの攻撃は嵐のようで、彼女がメイスを振るう度に敵はその数を減らしていく。タマは一分とかからず纏わりつくクロウラーを殲滅し、最後に残ったジャイアントフロッグに突進した。
──ribbit!?
ジャイアントフロッグは舌を伸ばしてタマを絡め捕ろうとするが、俊敏な彼女を正面から捕らえることはできない。円はその時点で勝利を確信して気を緩め──あることに気づいた。
──グシャァァァァッ!!
タマのメイスがジャイアントフロッグを粉砕する。敵を殲滅した彼女が自慢げに円を振り返った──その時、迷宮の奥に隠れていた三匹目のジャイアントフロッグが彼女に向けて舌を伸ばす。
「!?」
完全に気を抜いていたタマはその攻撃に反応が遅れた。
──シュルルルッ!
「ぐおっ!?」
「yip!?」
咄嗟に間に割って入った円が、タマに代わってカエルに舌に身体を絡めとられて宙を舞った。彼の上下逆さまになった視界に、口を大きく開けて待ち構えるカエルの頭部が見えた。
「あ──」
──パクリ
食われた。頭からまるっと一呑みだ。
「むご……っ」
気持ち悪いし臭いし息苦しい。けれどこの時、円は落ち着いていた。こうなっては自分はもう手も足も出ない──いや、足の先っぽは口からちょっぴり出ているが、それはさておき。舌と呑み込みという敵の最大の武器を使わせた時点で、円は自分の役割を果たしていたし、この戦いは既に決着していた。後はそう。出来るだけキレイに決着してくれることを願うばかりだ──無理だろうけど。
「grrrr!!!」
──ドクシャァァァッ!!!
咆哮が聞こえた。そして一瞬遅れて円の全身を包むカエルの肉から衝撃が伝わってきた。衝撃はそのままカエルの細胞をズタズタに破壊し、その勢いのままカエルの血と肉と粘液ごと円の身体を吹き飛ばした。
──ドサッ!
「で……っ!」
宙を舞い、受け身を取ることもできず背中から床に落ちる。幸いかどうかは判断が分かれるところだが、飛び散ったカエルの肉がクッションになってダメージはほとんどなかった。
カエルの血肉と体液塗れになった円は呻きながら上半身を起こす。
「てて……」
「yip―yip!!」
──ドンッ!
メイスを投げ捨てたタマが勢いよく胸に飛び込んできて、再び床に押し倒された。
「どわっ!?」
円はタマに文句を言おうと睨みつける。だが、
「grrrr……」
とうのタマは泣きそうな表情で唸りながら円の胸に頭を擦りつけていた。彼女なりに彼のことを本気で心配していたのだろう。
「…………はぁ」
可愛い妹の顔と身体でこんなことをされては怒るに怒れない。円は自他ともに認めるシスコンだった。
「…………」
円は床に倒れ込んだままタマを落ち着かせるようにポンポンと彼女の背中を叩いた。そして何故こんなことになってしまったのだろう、と途方に暮れて天井を見上げる。
迷宮で危ない目に遭って、カエルに食われて、吹き飛ばされて、体液に塗れになって。だけど病弱だった妹が元気に動き回っている姿が見れたことは嬉しくもあって。なのにその妹の身体を動かしているのは妹ではなくて。
シーカーとなったあの日から色んな事があり過ぎて感情の処理と理解が追い付かない。
「bow?」
胸の中で妹の身体を使ったタマが不思議そうに円の顔を見つめる。その姿に円は『やっぱり可愛いな~』と今更なことを思いつつ、その頭を優しく撫でた。
「…………はぁ」
そして再度深々と溜め息を吐き、自分たちがシーカーとなり始めて迷宮に潜った三日前のことを思い出していた。
最近ものは試しと色んな流行りのネタを書いていましたが、久しぶりにオーソドックスな現代ファンタジーを。




