第21話
豚頭の怪人──即ちオーク。竜の迷宮に第四層以降から出現する魔物だ。
創作ファンタジーではゴブリンと並ぶ定番の魔物で、序盤~中盤のモブ敵として扱われることの多いこのオークは、駆け出しを脱したシーカーの死亡理由上位に名を連ねる難敵である。その理由はシンプルに強いこと。
オークは成体で平均身長180~200cm、体重200kg超の巨躯を有する二足歩行の魔物だ。ずんぐりとした肥満体型に見えるが、実際は体脂肪率15%前後と人間で言えばアスリートに近しい筋肉質。そして多くの格闘技で体重による階級制が採用されていることからも分かるように、近接戦では体格やパワーは極めて重要な要素だ。筋肉質で俊敏な力士が武器を自在に操り襲い掛かってくるようなものと言えば、オークがどれほど理不尽な存在か分かってもらえるだろう。またオークは攻撃力だけでなく耐久力にも優れており、分厚い皮膚や筋肉は生半可な攻撃では貫くことができない。シンプルに強く、隙のない強敵。それが竜の迷宮におけるオークという存在だった。
──oink……!
「ひ……っ!」
そんな難敵が今、円と楓の前に立ち塞がっている。手には重量感のある両手槌を持ち、目を血走らせて既に興奮状態だ。
オークを見て顔を引き攣らせる楓を庇うように円は一歩前に出て、ショートソードを抜き迎撃体勢をとった。彼我の総合的な戦力差は大人と子供、円のショートソードなどあちらか見ればマッチ棒のようなものだろう。オークの顔が嘲笑を浮かべたように見えた。
楓はハタと我に返り、杖を構えて口を開く。
「わ、私が呪文で──」
「楓さんは下がってて。ここは俺一人でやります」
「──え?」
円の言葉に楓は呆気に取られる。円を信頼していないわけではない。だがオークは今の自分たちより明白な格上で、しかもローグ系の円とは相性最悪。そもそもオークの肉が分厚過ぎて円のショートソードではそもそも内臓まで刃が届かないのだ。また円はアーケイントリックスターと呼ばれる呪文が使える斥候職へとクラスチェンジしていたが、その呪文は幻術等の補助的なものが主でオークを直接倒せるものではない。
そうした不利は円も当然に理解していた。その上で楓に自分が戦うと宣言した。
「和を見つけて脱出する為には楓さんの呪文が必要です。こいつは俺一人で十分なので呪文は温存してください」
「……!」
和の為と言われ楓は反論の言葉に詰まる。
実際のところ円の言葉は半分嘘だった。この後、楓の呪文が必要というのは本当。けれど下がっていろと言ったのは温存の為ではなく、オーク相手に楓の呪文があまり有効ではないからだ。楓の攻撃呪文ではオークの豊富な生命力を削り切ることは難しく、また【誘眠】の呪文は格上かつ興奮状態の敵には効きが悪い。呪文で足止めして逃げようにもオークと楓ではオークの方が足が速く、地形が把握できていない状況で闇雲に逃げれば余計に追い詰められることにもなりかねなかった。
「大丈夫です」
これは嘘ではない。確かにオークは難敵だが自分にも十分に勝機はある。円は口の中で小さく呪文を詠唱し準備を整えた。
「…………」
円の宣言に楓は迷いながらも一歩後ろへと下がる。
──oink?
この時、オークは小柄な円を完全に舐めていた。
迷宮でシーカーとの戦闘経験を持つこのオークは、小柄な小剣使いが前衛で自分の注意を引いている隙に呪文遣いが何か仕掛けてくるに違いないと予想した。それがシーカーの基本戦術だからだ。
完全に小剣使いを無視するつもりはなかった。だが仮に小剣使いから攻撃を受けても自分の肉体なら致命傷とはなり得ない。それよりどんな手札を隠し持っているか分からない呪文遣いの方を警戒すべきと判断した。
──ノソリ
故にオークは円を視界の端に移し、楓を追いかけて足を踏み出す。その一歩が開戦の合図となった。
──ダンッ!
円が地面を蹴る音が響き、その身体が勢いよくオークへと飛び掛かる。それはオークの予想を遥かに上回る速度だった。視界の端でぶれるように急加速した円の身体が大きくなり、オークは反射的に両手槌でそれを迎え撃つ。
──ドゴゥン!!
些か不意を突かれはしたがカウンター気味に振り下ろされたオークの両手槌は狙い通り正確に円の姿を捉え、轟音を鳴らして地面を叩いた。
──?
違和感。確かに自分の槌は敵を捉えた筈なのに手応えがない。
そしてオークは疑問に思った──何故叩き潰した敵のすぐ後ろに、もう一人同じ姿をした小剣使いがいるのだろうか、と。
この手品の種は第一階梯呪文【音なき幻像】。円はこの呪文を使って突撃する自分の幻を先行させオークの攻撃を誘った。
大振りの一撃を放った直後のオークは隙だらけで、しかも何が起きているのか分からず混乱している。円はその好機を逃すことなくオークに接近。ここで更にフェイントを織り交ぜ、幻惑するようなステップでオークの背後を取った。
──oink!?
オークが円の姿を追って背後を振り返る。
──ザシュ!
しかしそれより一瞬早く円が小剣を振り下ろし、軽い刺突音がオークの脳に直接響いた。
──?
結局オークは自分の身に何が起きたのかも分からぬまま回転しながら地面に崩れ落ち、絶命した。
──ドサッ!
オークの死因はショートソードによる延髄の破壊。二足歩行の生物にとって後頭部は鍛えようのない構造上の弱点だ。それは強靭な筋肉の鎧を纏ったオークであっても例外ではなかった。
「……ふぅ」
緊張から解放された円が大きく息を吐く。時間にすれば数秒にも満たないほんの一瞬の攻防。楓にしてみれば言われた通り下がろうとした次の瞬間にはオークが地面に崩れ落ちていた。
「え……?」
鮮やか過ぎる決着に思考が追いつかず目を瞬かせる楓。対して円は直ぐに次の行動に移るべく楓に声をかけた。
「楓さん。早速ですけど、今朝預けた──」
「?」
円の言葉が途中で不自然に途切れた。楓はどうしたのだろうと首を傾げる。彼の視線は楓の背後へと向いていた。
恐る恐る、楓は背後を振り返る。
「────!?」
闇の中で無数の眼光が爛々と輝いていた。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
──arf!
タマがいつもと違う高い声で鳴いていた。一体何をそんな不安そうな声を──
「──ちゃん……和ちゃん!」
「……っ!」
馴染みの薄い声と共に身体を揺らされ和の意識は覚醒する。ズキリとした疼痛が背中に走り不快感の中で目を開けると女の顔と緑の壁が視界に映った。
「和ちゃん! 良かった、無事だったんだね……!」
目の前にあったのは目を潤ませる茶髪の女──小鳥遊一紗と名乗ったあの自称動画配信者だ。和は抱き着こうとする一紗を押しのけて上半身を起こし辺りを観察した。
「ここは……?」
そこは一言で言い表すなら水没した遺跡だった。荒廃した石造りの遺跡の大部分が水に沈み、水上に残った壁や天井は緑の苔や蔦などで覆われている。
──多分、気を失う前のアレは迷宮の地殻変動ってやつだよね。お兄ちゃんたちとは別フロアに放り出されちゃったっぽいし……ここは何層だろう? 水場のフロアって六層? いや七層だっけ? 流石に一〇層より下ってことはないよね? とにかく早く二人と合流しなきゃ。二人とも大丈夫かな……
和は頭の中で素早く状況を整理する。この状況における選択肢は自分から動くか待つかの二択。自力で脱出を目指すのも一つの手ではあるが、その場合は兄と入れ違いになるのが怖かった。逆に待っていれば時間はかかってもいずれ兄が自分を見つけてくれると和は確信していた。
──どこかでジッとしてた方が安全だし確実だよね。となるとここは見晴らしがよすぎていつ魔物に襲われるか分からない。隠れる場所を探さなきゃ。
和は方針を固めると立ち上がって身体の具合を確認する。あちこち痛むが打ち身ぐらいで骨に異常はなさそうだ。呪文で治療しなくても動くのに支障はない。
──そう言えば、メイス……あった!
少し離れた場所に愛用のメイスが転がっているのを見つけて拾いに行く。そして柄に手をかけたタイミングで背後から声が聞こえた。
「あ、あの! 和、ちゃん……?」
「────」
和はジロリと一紗を睨みつける。そう言えばこの女がいたのを忘れていた。
無言で見つめる和の態度をどう解釈したのか、一紗は縋る様な表情で口を開いた。
「アタシ、一緒にきたスタッフと逸れちゃって、和ちゃんもお兄さんたちと逸れちゃったんだよね? こ、ここどこなんだろ? その、アタシは道とか分からないんだけど和ちゃんは出口がどっちとか分かる?」
「…………」
「ご、ごめん。いきなりあんなことがあったばかりなのに分かるわけないよね。えと、とにかくここにはアタシたちしかいないし、一緒に行動しましょ。ジッとしてるのがいいのか、それとも出口を探すのがいいのかどっち──」
「貴女と一緒に行動するつもりはありません」
一紗の言葉を遮って和は冷たく言った。和を知る者なら彼女がこんな冷たい声を出せることに驚いただろう。
一紗は顔を引き攣らせて言った。
「……え? な、何でそんなこと──」
「迷宮内では他のパーティーとは極力接触を避けるのがマナーでしょう」
「そんな! 今は非常事態でしょう!? 生き延びるために協力しようって言ってるだけじゃない!」
その叫びに和は目を細めて告げる。
「非常事態だからこそ、この期に及んで素人の演技してる人間なんて信用できないって言ってるんですよ」
「────」




