第20話
「……全然敵が出ませんねぇ」
楓がポツリと呟く。その声には隠し切れない疲労感が滲んでいた。
長い順番待ちの末に円たちが迷宮に潜ってから既に二時間近くが経過していた。現在三人がいるのは狩場としている第二層。しかし通過した第一層も含め三人はここまで一匹も敵に遭遇していなかった。
「ここも空振りか……」
魔物の溜まり場になっていることが多い小部屋に入るも敵の姿は見当たらない。戦いの痕跡もなく他のシーカーが狩った後という訳でもなさそうだ。
どうにも妙な感じだ、と円は溜め息を吐いた。
この迷宮内で活動しているシーカーは自分たちだけではない。だから当然、他のシーカーの動向次第では先に魔物が狩られてしまい歩き回っても中々エンカウントしないこともあり得る。浅層ほどその傾向が顕著で、円たちはそれを嫌って先日一層から二層へと活動場所を移していた。二層も人通りは多いが一層と比べればフロアそのものが広く、三層へと続く順路以外の脇道が多く存在する。先行したパーティーは三層以下をメインで活動している筈だし、順路を外れれば敵とエンカウントする確率は低くないフロアなのだが、今日は全くと言っていいほど敵の姿が見当たらなかった。
「どうしたもんかね……」
円は頭をかいて背後の和と楓を振り返った。
三人ともシーカーとして迷宮への適応が進んでおり、体力的にはまだまだ余裕がある。だが何もない時間が続き緊張を強いられたことで精神的な疲労は確実に溜まっていた。円は小部屋の改めて見回し敵や罠の気配がないことを確認してから提案する。
「少し休もう。こう何もないと体力はともかく集中力が持たない」
「ですね」
「……うん」
二人がホッとした表情で同意し、三人は小部屋の隅に車座になって座り休憩した。
丁度時間としてはお昼頃だ。円はバックパックからカ■リーメイトとペットボトルの水を人数分取り出し二人に配った。三人無言でモソモソとカ■リーメイトを頬張り、水で喉に流し込む。胃に物を入れたことで血糖値が上がり、人心地ついたところで楓が口を開いた。
「今日は全然魔物に遭遇しませんけど、どこかのパーティーが狩りつくしちゃったんでしょうか?」
「どうだろ。そういうマナー違反の可能性がないとは言わないですけど、だとしても戦った跡が全然残ってないってのは……」
楓の疑念を円は曖昧に否定する。楓もそれは分かっていたのか「ですよねぇ……」と食い下がることなく同意した。
二人とも話がそこから続かない。
迷宮は日々変化する。昨日がそうだったから今日も同じだという保証はない。だが円たちはまだシーカーとなってまだ一か月にも満たない駆け出しで圧倒的に経験が不足していた。この状況がいつもと違うとは感じても、それが良くあることなのか、何か警戒すべき異常事態なのかの判断がつかなかった。
「他の人たちはどうしてるんでしょうか?」
「う~ん……さっきから気配はするので、同じようにフロアを歩き回ってるんじゃないかと思いますけど……」
円は迷宮内で他のシーカーたちと出くわさないよう先ほどからルートを変えており、そのため直接対面こそしていないが他のパーティーの存在はしっかり感じ取っていた。そしてその動き方からすると彼らも戸惑っているのではないかと思えた。
──マジで気持ち悪いな……
明確な根拠はないがそう感じる。円は勘などというあやふやなものをあまり信じていないが、この感覚は無視してはいけない気がした。
──今日はもう撤退するか? でも週に一度の探索をこんなところで切り上げるなんて言ったら和たちが反対するかな。安全策を取って第一層に移るか、それともすっぱり今日は帰って明日改めて潜ることにするか……
円の判断が撤退へと傾き、メンバーが納得いく落としどころを探して和へと視線を向ける。
「──和? 顔色が悪いけどどうかしたか?」
「えっ?」
「…………」
円の言葉に反応して楓も和の顔を見る。楓にはほとんど普段と区別がつかなかったが、円には妹の様子が普段と違うことが見て取れた。
いつもと比べて口数が少ないとは思っていた。てっきり疲れているからだと思っていたのだが、和の眉間には何か気になることでもあるのか小さなしわが寄っていた。
兄の心配そうな声に反応して和が顔を上げる。
「えっとね……上手く言えないんだけど、タマちゃんの様子がいつもと違うの。普段は迷宮に入ると動き回りたくって仕方ないみたいに興奮してるのに、今日はずっとピリピリしてる」
『…………』
和の言葉に円と楓は顔を見合わせた。自分たちだけならまだしも竜であるタマまで何かを感じているとなればこれはもうただ事ではないかもしれない。
「今日はもう──」
円が立ち上がり撤退を宣言しようとしたその瞬間、それは起きた。
──ガタガタガタガタガタッ!!
『!!?』
突然迷宮内に激震が走る。
「じ、地震っ!?」
「違う! これは──」
楓の言葉を円が否定しようとした瞬間、迷宮が轟音を立てて縦に割れた。
──ゴゴゴゴゴッ!!!
「っ!?」
円と和の間の地面が大きく割け、和のいる側が下へとズレていく。
「和ッ!?」
「お兄ちゃん!!」
円は咄嗟に和に手を伸ばすが、それを楓が背後から抱きしめ押し留めた。
「何を──!?」
円は楓を睨みつけるが、彼女が円を止めた理由は直ぐに分かった。
──ズシィィィンン!!!
地面の亀裂はあっという間に広がり、和のいる場所が勢いよく落下して見えなくなってしまった。もし円が手を伸ばしたままであれば、彼の身体は亀裂に挟まれ轢死していただろう。
「──っ! のどかぁぁぁぁぁぁぁっ!!!」
円の悲鳴が辺りに響き渡る。次の瞬間、円と楓が立っていた床が崩落し、二人は闇の中に落ちていった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「────っ」
意識を失っていたのはそれほど長い時間のことではないと思う。
暗闇の中で目を開けた円はまず手首に嵌めたリストバンド型のライトを操作して灯りを確保した。円の視界に大量の蔦で覆われたボロボロの岩壁が浮かび上がる。先ほどまで彼らがいた第二層の景色ではなかった。
「ここは……っ!? 楓さん……!」
直ぐ近くの瓦礫の上に倒れて意識を失っている楓を見つけ円は慌てて駆け寄った。
「楓さんっ! 大丈夫ですか!?」
「……っ、うぅ……」
楓の瞼と口が苦し気に動く。どうやら意識を失っているだけのようだ。円は近くに自分のバックパックが落ちているのを見つけると、そこから治癒薬のボトルを取り出して楓の口元に運ぶ。
「楓さん。これ飲んで……」
「ぅっ…………げほっ、げほっ!」
ゆっくり口に含ませようとしたのだが、気管に入ってむせてしまう。しかし結果的にそれが気付けになって楓は意識を取り戻し、円からボトルを受け取ると残りをごくごくと飲み干した。
「……ここは?」
楓は大きな怪我こそないが意識が朦朧としていて状況が把握できていないようだ。円は自分も治癒薬を飲みながら彼女の疑問に答えた。
「分かりません。見た限り四層とか五層の景色っぽいですけど……」
「──っ、五層!!?」
円の言葉に驚愕して楓の意識が一気に覚醒した。
「なななな、何でそんな──」
「多分、さっき迷宮の地殻変動が起きたんだと思います」
「っ!」
【Tips】竜の迷宮は生きており、数か月に一度の頻度でその構造が変化する。この現象は迷宮の地殻変動と呼ばれ、運悪くこの変動に巻き込まれた場合、迷宮による圧殺を免れた場合でも未知のフロアに放り出され命を落とす可能性が高い。
「あわわ……!」
「…………」
目に見えて混乱する楓に対し、一見円は落ち着いているように見えた。しかし実際、彼の内心は平静とはかけ離れたものだった。
──あの感じだと和とは別のフロアに飛ばされた可能性が高い。どうする? いや探すしかないけどどうやって? こうなったらマップも役に立たないだろうし、上に向かうだけで命懸けだ。安全策をとるなら楓さんを連れて一旦脱出してから和の救出に動くべきだろうけど、そんな悠長なことしてたら和がどうなるか──いやでも楓さんに一人で地上に向かえなんて死ねって言ってるようなもんだし……
円にとって和が最優先であることは間違いない。だがそれは楓を軽く切り捨てて良いという意味ではない。そもそも自分一人で和を見つけ出し救出することができるのか。
円が判断に迷っていると、楓が円の肩を掴んで叫んだ。
「た、大変じゃないですか!? ははは、早く和ちゃんを探しに行かないと……!」
「!」
ごく自然に楓の口からその言葉が出てきたことに円は目を丸くする。
「? ど、どうしたんですか、変な顔して?」
「……いえ」
円は誤魔化すように目頭を揉み、大きく息を吐く。
──そうか。頼って良かったのか……
自分以外に和を助けようとしてくれる人間がいる。その事実に円の胸の奥から暖かいものがこみ上げた。そして荒れ狂っていた内心がゆっくりと落ち着きを取り戻す。
「──和とは逸れてしまいましたけど、楓さんが一緒なら探す方法はあります」
「! ホント!?」
希望に目を輝かせる楓に円は力強く頷き、そして視線を動かし闇の奥を鋭く睨みつけた。
「ええ。だけどまずは──」
──oink
迷宮の奥から、武装した豚頭の怪人が姿を現した。




