第19話
「────」
放課後訓練所に向かう途中の街中で、円は視線を感じてビルのガラス越しに背後を見た。周囲は街中で人通りが多く誰が視線の主か分からない。昨日も視線を感じたが、こちらが警戒を表に出した瞬間気配が途切れてしまった。ここ数日ずっとそんな感じだ。
気のせいということはあるまい。適応により強化されたローグとしての五感が誰かが自分をつけていると囁いていた。
──仕掛けてみるか。
不意に左折しビルの隙間の裏道へと入る。それと同時に気配を遮断し、小声で呪文を詠唱した。
「『虚ろなる魔導の繊手よ──【魔法の手】』」
不可視の魔力の手が空間に浮かび上がる。そして数秒後。
「っ!?」
後ろからやってきた男が裏道を覗き込み、至近距離で円と目が合った。相手は顔も服装も平々凡々。特徴という特徴を削ぎ落したようなどこにでもいそうな男だ。男は一瞬だけ驚きに目を見開くと、すぐに顔を逸らして裏道に入ることなく通り過ぎていった。
円は横目で男の背を見送る。追う必要はない。既に目的は果たしていた。
「ふ~ん……△□マーケティングねぇ……」
円の手には不可視の手により男の内ポケットから抜き取られた名刺入れがあった。名刺に書かれているのは聞き覚えのないマーケティング会社の名前。後で確認はするが恐らく架空の会社だろう。典型的な興信所のダミー名刺だ。
さて心当たりがないわけではないし、慎重な手合いなら事前にこうした身辺調査をしてきてもおかしくない。ただし、ここに先日楓から聞いた情報を付け加えれば少し話が変わってくる。
「……念のため、保険はかけとくか」
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
「……不幸な身の上ではある。でも取り立てて特別というわけでもない」
自室のベッドに腰をかけ、調査員から上がってきた報告書に目を通しながら予言者は独り言ちた。
そこは15畳ほどの広さのアンティーク調の部屋だった。全体的に薄桃色を基調とした内装や家具で統一されていて、少女らしさと品格とが絶妙につり合っていた。机と大きめのベッドを除くとあまり物は多くなく、部屋の奥に鎮座したぬいぐるみ台が一際異彩を放っていた。
予言者はネグリジェ姿だ。風呂から上がったばかりで、その白髪はほのかに湿り気を帯びていた。
彼女の手にはA4用紙20枚ほどのファイルされた冊子が握られている。そして表紙をめくった一枚目には『調査対象者:杜崎円 及び 杜崎和』と記されていた。
「妹の病気を治療するために一縷の望みをかけてシーカーに……多少短絡的な気はするけど、まだ子供で親もいないとなれば目についた希望に飛びつくのも分からなくはないわ。何より子供なりに準備はしてきたようだし、決して短慮というわけでもないのでしょう」
報告書には双子の生い立ちや現況が詳細に記されていた。
20■■年5月2日生まれの二卵性双生児。弁護士の父親と絵本作家の母親の間に生を受ける。
双子の人生に最初に影が差したのは半年後。妹の和が進行性細胞無力症と呼称される原因不明の難病に罹患していたことが判明する。当時まだその存在が知られ始めたばかりで、治療法どころか原因も分かっていない未知の病。全く治療の目途も立たず、成人まで生きることは難しいだろうと宣告された。
当時の杜崎一家が娘の運命をどのように受け止めたのかまでは報告書には記されていない。
二つ目の転機は五年前、多摩地域に舞い降りた赤竜の襲来により双子の両親は混乱の中で命を落とした。この時、双子は僅か10歳だった。
不幸中の幸いと言うべきか、両親が十分な生命保険をかけていたお陰で、その死後も双子は金銭的に困ることだけはなかった。
遠方に住む父方の叔父が双子の保護者となり引き取ることを申し出たが、双子は妹の治療環境を優先してそのまま八王子市に住み続けた。あるいはその時から彼らは迷宮を利用して妹の病気を克服することを考えていたのかもしれない。
「15歳になると同時にシーカーとして登録を済ませ、たった二人で迷宮に挑む。一人は戦闘に不向きなローグ、一人は日常生活さえままならない病人ヒーラー。すぐに全滅するかと思われたが、この一月で既に五回の迷宮探索を成功させ、新たにウィザードを加えて第二層に進出した」
些か出来過ぎた展開だが、あり得ないという程でもない。適切な判断と幸運に恵まれれば戦力的に不十分なパーティーでも浅層なら生き延びることはできる。兄の方は訓練所で何年も戦闘や立ち回りについて学び、高い評価を得ていた。特別不自然な結果ということもあるまい。
「兄の方は学業も優秀で何をやらせても卒がない。ただしそれは説明のつく優秀さだわ。何か特別なものがあるわけじゃあない」
予言者は報告書を読み、兄の円についてそう総括した。
「多少の能力差なんて竜の前じゃただの誤差。そんなものが迷宮を踏破する鍵になるとは思えない」
予言者が求めているのは優秀なシーカーではなく、竜の迷宮を踏破するための鍵だ。ただ優秀なだけで迷宮を踏破できるなら既に誰かそうしている。必要なのは竜を倒し得る可能性。そしてその為の予知を予言者は五年前に授かっていた。
──竜を従える双子。
分かっているのはその漠然としたイメージと、竜たちがその存在を警戒しているということだけ。
それが何を指しているのか、また本当にその予知が迷宮攻略に繋がるものなのかは分かっていない。だから予言者は自分のネットワークを使って新たにシーカーとなった者の情報を集め、「双子」がそこに含まれていないかを注視してきた。
「気になるのはむしろ妹の方ね。いくら適応が進んで体力がついたとはいえ、たった五回の探索で不治の病が日常生活に支障がないレベルにまで回復している。ひょっとしてこの病気自体が迷宮の存在と何か関りがあった? そして本人もそのことを知っていたのだとすれば……」
この杜崎兄妹が予知にあった双子かどうかはまだ分からない。
「……試して、みましょうか」
ちょうどお誂え向きの機会が迫っている。そのやり方をとることに罪悪感はあったが、もはや予言者に手段を選ぶほどの余裕はなかった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
5月30日土曜日。円たち三人は迷宮前の広場でその日の予定を確認しながら迷宮に入る順番を待っていた。
迷宮内は一般の警察の調査が及びにくい一種の治外法権となっている。仮に迷宮内で殺し合いが起きたとしても、死体を処分されてしまえば事件ではなく事故として処理されてしまう可能性が高い。実際、過去には迷宮の秘匿性を悪用したシーカーによる殺人が起きたこともあったという。
その為、迷宮内では他のシーカーと遭遇した場合、救護が必要なケースなどを除いて極力接触を避けることが努力義務として明示されていた。またその一環として迷宮内への突入も前のパーティーが入ってから一定の間隔を空けることが運用上のルールとなっている。
更にこの突入の順番は、やってきた順よりもより先の階層へと進む実力者が優先。先に並んでいても後から来たパーティーが自分たちより格上であれば順番を譲らなければならなかった。
まだ新人で第二層がやっとの円たちは既に一時間以上ここで時間を潰している。こんな順番待ちにはもう慣れていたし、どうせ自分たちの実力では迷宮内で活動できる時間には限界があるのだから焦っても仕方がない。一通りの確認を済ませると、三人は関係のない雑談をして過ごしていた。
「──あ。そうだ」
ふと円が何かを思い出し、バックパックから巻物を二本取り出した。
「楓さん。これ何かあった時の為に持っておいてください」
「? はい。何の巻物ですか?」
巻物は呪文が封じられた使い捨てのアイテムで、メイジ系のクラスであれば例え習得していない呪文であってもリソース無しで使用することができる。便利ではあるが低ランクでもそれなりに高価なアイテムで、あまり新人シーカーが使用するものではなかった。
楓の質問に円は無言で巻物を指で叩き中を見るよう伝える。指示されるまま巻物を開けた楓の目が大きく見開かれた。
「これって……?」
「しっ」
円は何も言わないようにと唇の前で指を一本立てた。そしてニコリと笑って続ける。
「念のためです。必要はないと思いますけど、備えておくに越したことはないですから」
「…………」
楓は円の言葉の意味を頭の中で咀嚼する。巻物は三人にとっては決して気軽に準備できるほど安いものではない。しかもその内一つは一般的に迷宮内ではあまり使われることのないものだった。その意味を改めて考える。
「? 何なの、それ?」
「ただの保険だよ。和は気にしなくてもいい」
「え~? 私だけ仲間外れ~?」
「…………」
楓の前で無邪気にじゃれ合う円と和。その背後、自分たちから少し離れた場所に、先週出会った動画配信者だという女を含む一団が見えた。




