第11話
──arf……
夢の中──和の精神世界でタマが不満そうに唸った。
そこではタマは不定形の淡い光の姿をしていた。普段はピッタリ自分に寄り添い離れようとしないタマが今日は落ち着かない様子で動き回っている。それを見て和は仕方ないなと苦笑した。
『ほら、タマちゃんおいで』
──woof!
和が呼びかけるとタマは彼女の胸に飛び込んできた。いつもならすぐに大人しくなるのだが、今日はもっとかまえと言うように身体を擦りよせる。
タマの気持ちが痛いほど分かる和は進んで彼女の要求に応じた。
兄の円は知らぬことだが普段の和は一日の半分以上を眠って過ごしている。それは病によって人より体力の消耗が激しい和が、体力を少しでも温存しようという精一杯の努力だった。
適応により日常生活に支障が出ない程度には体力に余裕ができたが、迷宮を探索するにはまだまだ心もとない。退院して兄のいる家で一緒に過ごしたいという願望を押し殺して和は力を蓄えていた。
そのことにタマは不満そうだった。円と生身で触れ合う喜びを知ってからタマはずっとこの調子だ。けれどもう少し我慢してもらわねばならない。自分も兄といたい気持ちに蓋をして和はタマを宥めた。
『もうちょっと我慢しようね、タマちゃん。私たちで迷宮を踏破したら、ずっとお兄ちゃんと一緒にいられるから、ね……』
──grrrr……
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
──ピロン!
「うん?」
5月8日、金曜日の夕方。学校から帰宅した円のスマホから通知音が鳴る。画面を見るとそこには『奥多摩迷宮管理事務所』と表示されていた。どうやら登録していたアドレスに管理事務所からメールが届いたようだ。何事だろうか、とメールに目を通すと、そこには次のような内容が記されていた。
~~~~~
杜崎円様
突然のメールにて失礼いたします。
奥多摩迷宮管理事務所、受付担当の榊でございます。
先日迷宮内で回収頂いた遺体の件でご相談させていただきたいことがあり連絡いたしました。
こちらの都合で恐縮ですが、5月9日、10日 9:00~17:00の時間帯に事務所に寄っていただき、直接お話させていただければと考えております。
面談は1時間ほどを見込んでおります。
急なお話で恐れ入りますが、ご都合についてメールで返信いただきますようお願い申し上げます。
~~~~~
迷宮で回収した遺体がどうなったかは後で結果だけ教えてもらえるという話だったが、何か問題でもあったのだろうか?
いずれにせよ明日は和と一緒に迷宮に潜る予定だったし、その前に事務所に寄ればいいだろう。
「明日、9時からでお願いします……と」
円がメールを送ると5分と経たず管理事務所から了承の返信があった。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
死者蘇生というと大仰に聞こえるが、実態はそれほど都合の良いものではない。
その存在が世に知られるようになったのはシーカーと呼ばれる存在が世に現れてから数年後。迷宮への適応が進んだ一部のヒーラーが【蘇生】の奇跡を授かった。当時、人はついに死を克服したと世界に衝撃が走ったが、すぐにそれは極めて限定的な奇跡であったことが判明する。
まず蘇生が可能なのは迷宮内で亡くなった場合のみ。迷宮の外で亡くなった者への蘇生についてはこれまで一度も成功例が報告されていなかった。迷宮内で亡くなった場合でも必ず成功するとは限らないし、蘇生が成功しても病気や肉体に定着してしまった損傷には効果が及ばない。またそもそも死体が残っていなければ蘇生を試みることはできないし、損傷が大きければ当然成功率は低下する。
結局、死者蘇生と言ったところで実際にその恩恵に与れるのはごく一部のシーカーだけ。そのシーカーにしたって生き返ったのだからそれで良しなんて簡単な話はなかった。
「礼金の支払いを待って欲しい、ですか?」
自衛官の榊とその横にいる女性の申し出に、円は『何だそんなことか』と拍子抜けした。
5月9日土曜日の午前中。奥多摩迷宮管理事務所の応接室で、円と和は自分たちを呼び出した担当自衛官の榊一郎と、時雨楓と名乗る若い女性と対面していた。
管理事務所は全体的に安っぽい造りをしているが、応接室は木目調の落ち着いた雰囲気の内装だった。内密の話に使われることを想定しているのか防音もしっかりしていて、最初ここに通された時は一体何事かと緊張に身体を強張らせた。
だがいざ蓋を開けてみれば、榊の用件は先日自分たちが回収した死体について、その礼金の支払いを待って欲しい、というもの。繰り返しになるが『何だそんなことか』と円は拍子抜けして和と顔を見合わせた。
「えっと、それは別に構いませんけど、礼金ってアレですよね? 蘇生が成功したらその人の財産の一割、失敗したら最低保証の50万円が死体を回収した人に支払われるっていう」
「ええ。細かい規定はありますが概ねその通りです。今回は蘇生が成功したため、不動産などを除く当人の財産の一割か50万円のどちらか高い金額が遺体を回収した杜崎さんに支払われることになります」
榊は落ち着いた態度で説明した。それを聞いて初めて円は回収した死体の蘇生が成功したことを把握した。
横にいる和は円の肘をチョンチョンと突いて囁く。
「……お兄ちゃん。ひょっとしてこの人」
言われて円は改めて榊の横にいる時雨の顔を見た。
「──ああ。もしかしてこの人があの時の?」
あの時の死体は恐怖で顔が歪んでおり皮膚も変色していてパッと見ただけでは気づかなかったが、よく見れば面影があった。当然分かっているという前提で話をしていた榊はハッと気づいて謝罪する。
「……すいません。紹介が漏れておりました。この方が先日杜崎さんたちに遺体を回収していただいた時雨さんです」
「し、時雨楓ですぅ! その節は助けていただきありがとうございましたぁ……!」
時雨はそれに続いて深々と頭を下げた。子供相手にやけに低姿勢だな、と円は思ったが、最初に聞いた用件を考えればそれも当然かとすぐに納得する。
ダラダラ謝られても面倒なので円は自分から話題に切り込んだ。
「いえいえ、遺体の回収は冒険者の義務なのでお気になさらず。それより礼金の支払いを待って欲しいってことでしたけど、要は最低保証の50万円もすぐには支払えないって話ですよね? 別に僕らはいつでも構いませんよ──ああでも、いつ支払うとかは予め決めとかないと駄目なんですかね。条件を言ってくれれば分割でも何でも基本的にそちらの都合に合わせますけど?」
円たちは両親の遺産があるため今日明日金に困っているわけではない。礼金も規定としてもらえるならもらうが、あまりに面倒くさそうなら権利を放棄しても構わないとさえ思っていた。
『…………』
しかしそんな円の申し出に榊と時雨は顔を見合わせる。何かおかしなことを言っただろうか?
榊と時雨は暫く見つめ合った後、榊が溜め息を吐いて口を開いた。
「そのことなんですが、実は時雨さんは礼金だけでなく蘇生代金の200万円の支払いもまだでして、少し話がややこしくなっております」
「ははぁ……」
蘇生も当然タダではない。蘇生を試みた時点で成否に関わらずシーカーにはその費用を支払う義務があった。合わせて250万円。若い時雨では確かに一括で支払うのは難しいかもしれない。
「え~っと……要は蘇生代金を優先しないといけないとか返済開始を先送りにしてくれってことですか? それとも利息を免除してくれとか? その、まだるっこしい話は抜きにして、先にそちらの希望を教えてもらえるとありがたいんですけど?」
『…………』
榊が時雨に説明を促すように視線を向けると、時雨はガバッと頭を下げた。
「──す、すいません! 実は待っていただいてもお支払いできそうにないんです!!」
「はぁ……?」
頭を下げる時雨に円は説明の続きを待った。しかしいくら待っても時雨は頭を下げたまま何も言わない。円が榊に視線をやると、彼は仕方なく代わりに事情を説明した。
「実は──」
榊の説明を一言でまとめると、時雨には支払い能力が皆無で礼金を払えそうにない、ということだった。
まずシーカーとしての彼女は死亡したその日にシーカーとして登録したばかりの新人で他の仲間は全滅。全く稼げる見込みが立たない。
では一般の仕事で、というのも難しいそうだ。実はこの時雨は元々ある会社で事務員として働いていたのだが、その会社は副業を禁止していた。今回死亡したことでシーカーとして登録したことが会社にバレてしまいクビになってしまったらしい。
一度シーカーとして登録し、解雇された人間が真っ当な職に就くことは相当難しい。ある程度実績を積んだ後なら自衛隊というルートもあったが、全くの素人ではそれも不可能だ。
後は方法として考えられるのは親や親戚にでも頼ることぐらいだが──
「ウチの親は年金暮らしで全然お金が無くて、むしろ私が仕送りが出来ないか頼まれてるんですぅ~!」
ということらしい。つまり今のところ八方塞がりで支払える見込み無し。円は和と顔を見合わせ、仕方ないかと頷いた。
「そう言うことなら礼金はもういいですよ。払えないもんは仕方ないし、要は免除してくれって相談でしょ?」
今は金よりこんなことに割く時間の方が惜しい。円は投げ槍に言うが、榊は首を横に振った。
「礼金を免除していただいても、結局時雨さんには蘇生代金の支払いが残りますので破産は免れません」
「それは本人がやらかしたんだから仕方ないでしょう」
そこまでは自分たちの知ったことではない。円の言葉を認めた上で、榊は続けた。
「ええ、それは分かっています。ただ彼女の場合、破産して債務が無くなってもこのままでは定職に就くことも難しい。そのため本人としてはもうシーカーとして身を立てるしかないと考えておいでです。一度蘇生代金を踏み倒してしまうと登録を抹消されてしまうので、破産はせず、少しずつ返済しながらでも何とかやっていきたいと」
「…………」
チラと時雨に視線をやると、彼女は悲壮な表情で拳を握りしめていた。生き返ったとは言え一度死の恐怖を経験したのだ。本音を言えば二度と迷宮になど潜りたくはないのだろう。だがこのままでは身体を売るぐらいしか生きていく方法がない。それならいっそ、と言ったところか。
事情は分かった。だがそれは円たちには関係ない。
「そうですか。こっちの支払いはさっき言ったように免除しますので、後はお好きなように。どうぞ頑張ってください」
『…………』
返事がない。まだ何かあるのか、言いたいことがあるならハッキリ言ってくれ、と円が口に出そうとしたその時。
「──もう。お兄ちゃんたら察しが悪いな~」
「?」
それまで黙って話を聞いていた和がふふんと笑って口を挟んだ。
「榊さんは、この人とパーティーを組んだらどうか、って言ってるんだよ」
「……はぁ!?」




